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ブログ「My blessed days」

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仕事のこと、子どもたちの日々のこと、私自身のことなどを書いています。
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2019年1月の記事一覧

どんな育児書よりも大切にしたいこと。

どんな育児書よりも大切にしたいこと。

昨日は長男の通う園でライアーの演奏会があり、子どもたちと参加したついでに、一曲ライアーと共演させてもらった。

ライアーは初めて聴いた時、「なんて小さな音なんだ!」と思ったけれど、耳を傾けていくほどに自分の中に静かな空間が出来て、それは瞑想をしているときような感覚にとても近いと思う。

それに、自分の中に静けさがあると、子どもたちの言葉にならない声も私は感じやすくなる。

昨日はそんな経験をしたこ

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次男が教えてくれたこと

次男が教えてくれたこと

三人兄弟の真ん中、というのはなかなか切ない立ち位置だなぁと見ていてつくづく思う。
歳が近いから、本当に気をつけて意識的に心を向けてあげないと、ついつい素通りしてしまう。

次男が生まれるまで子どもは遠慮とか、がまんはしないものだ、とどこかで思っていた。でも、それは大きな間違いだったと今では思う。

イヤイヤ期もいいところで、トイレに1回行くのに1時間押し問答をしたりしていた次男だけれど、この時期を

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子どもたちの成長と共に移ろいゆくもの

子どもたちの成長と共に移ろいゆくもの

なんだか気付いたら長女もあっという間に離乳食の時期になりました。

机にちょこんと座って、スプーンを差し出したら嬉しそうに重湯や潰したお豆腐などもぐもぐと頬張ります。

長男もお兄ちゃんがしっかり板について、抱っこも随分上手くなりました。

子どもの成長は早いなぁと思うけれど、同じ分だけ私たち大人も歳をとっているんですよね。ついつい棚に上げてしまいがちになります。

でも、先日インフルエンザが呼び

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「わたしのもの」はなにもない

「わたしのもの」はなにもない

今日はお隣さんのお家のワンちゃんの2歳の誕生日。

ワンちゃんにまでクッキー焼いたのは初めて。(笑)

我が家の隣には私の祖父母くらいのご夫婦がお住まいで、3日に一度はおかずのやりとりをしたり、子どもたちもふらっと遊びに行かせてもらったりと、交流があります。

遠くの親戚より近くの他人で、このインフルエンザの間も、玄関までご飯を届けてくださったり、本当に救われました。

最近、自分が周りの人たちか

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「いいお母さん」の定義

「いいお母さん」の定義

金曜日。

お迎えが終わると、
ほっと肩の荷が降りる。

今日は子どもたちと自分へのご褒美も含めて、棚で大切に寝かせていた真っ黒のバナナで米粉とバナナのシナモンナッツタルトをおやつに焼いた。

クッキー一枚まともに焼けなかった私に、お菓子作りの楽しさを教えてくれた今井ようこさんのレシピ。

「食べる」は昔から好きだったけど、「作る」の楽しさを知ったのは食べてくれる子どもたちが生まれてきてくれてから

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今は当たり前の時間ほど、振り返った時に懐かしくなる

今は当たり前の時間ほど、振り返った時に懐かしくなる

夜の絵本の時間。

この前友人が遊びに来てくれた時、こっそり撮ってくれていたようで、後から送ってくれた。

私にとっては今は当たり前の毎日のこの風景。でも、そういえばこの風景を外から見てる人は普段はいなくて、この時間は世界で4人しか知らない時間。

子どもたちは今日は何を持ってくるのかな、短いお話にしてね、3冊?いやだめ2冊だよ、あれ、全部長すぎだよ声枯れそう〜

やいのやいの言いながらも、静かに

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すきま時間がくれるもの

すきま時間がくれるもの

何気ないぽっかり空いたすきまの時間。

みなさんはどう使いますか?

私は、子育てを始めて自分の時間が慢性的に少なくなってからは、
ついその隙間に何かを埋めて一つでも家事を済ませたい、メールを一通返したい、そんな風に躍起になってしまうことが多くて。

でも、最近それを見直し始めました。

「すきま時間」の使い方は、私の場合、特に心の余裕度とすごく反映しています。

「すきま時間」を埋めようとしてい

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母もまた人間。

母もまた人間。

「これだけは子どもにしないでおこう、言わないでおこう」と思っていたことを、気付いたら口にしている自分に出会ったときのショックの大きさ。

世のお母さんたちは知っていると思う。

子どもの頃の経験というのは、自分が思っているよりずっと根深い。
じわじわと自分の奥の部分に浸透していて、理性で矯正しようにもできないのだ。

例えば私なんかだと父が亡くなった時に

「お姉ちゃんだから、お母さんのことも弟の

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