見出し画像

自分が持つ固定観念に恐怖を感じた

先日サウナに入りながら気づいたことがある。私は知らず知らずのうちにマイルールにがんじがらめになっていた。そして制約の中で息苦しく生きていた。

あまり好きな表現ではないけれど、いわゆる思考停止って状態かもしれない。


私は何事にもこだわりが強い。もっと言えば極端な考え方をする傾向がある。そして自分事になると一層その傾向が強まる。

例えば こんな感じ
・競合企業の製品は競合の利益源になるので買わない
・冷凍食品は使わない コンビニも基本的には食べない (美味しいことは知っている)
・季節の行事や伝統は大切にする 
・お椀は右、お茶碗は左
・家に虫が出たら迷わず退治する 屋外なら放置
・過度な露出のある服装はしない
・年収を下げる決断はしない
・サウナはヒートショックのリスクがあるので入らない

いずれも完全には間違ったことを言ってはいないと思うのだけれど、きっと共感しない人も数多くいるだろう。あと否定文が多い、、、

次にもっと具体的なエピソードを一つ、お正月。お正月はおせちを食べるのが当たり前だと思っていた。

がしかし、正直私はおせちの味はあまり好きではない笑 栄養価はそこまで高くないし作る工数も高い。買うのも金額が張る。義務感に駆られながらお正月の準備をするのは何ともストレスフルだった。本末転倒だ。
パートナーともお正月の過ごし方ですれ違いがあった。なぜ元旦はお節を食べたいのか、神社に行きたいのか、家族で過ごしたいのか上手く説明できなかった。冷静に考えると、稀有になりつつある古きを重んじる人物でいたかったんだと思う。


やっと気づいた、私は 〇〇すべき論の囚われの身だ!!!

いつからか自分の意思ではなく"損しないように" "そういうものだから"が行動背景の中心になっていたようだ。
べき論が一般的に良くないことはもちろん知っている。何度もビジネス書で読んだし、何ならまさか私がするわけないと思っていた。
認めたくないけど私って排他的なんじゃない?外気浴をしながら戦慄した。
辻村深月さんの傲慢と善良 という言葉を借りて表現すると、自身のひどく傲慢な一面を思い知った。


その後、私は慣れない行動をしてみた。

・身体を隠さないで歩く
・競合商品のアメニティーを使う
・夜道を歌いながら散歩する
・山道で海の歌アリエルを歌う
・ステーキを2切れ同時に大きい口で食べる
・満腹になったので夜ご飯を残してみる (旅館の方には申し訳ない)

自然と口角が緩んだ。同時に今まで心のダムに堰き止められていたものが溢れ出したのか涙が止まらなかった。

欲望のままに生きるという生物として当たり前のことがこんなに楽しいことを忘れていた。自分の意思よりもマイルールの順守、そしてその先の他人からの視線を意識しすぎていた。

絶対的なものと思われがちな統計でも95%有意は5%誤差の可能性がある。ならば自分の一つ一つの行動はもっと自分の欲望にならって決心してもいいんじゃないか。
先日三食汁物を作ろうと宣言したけれど三食ポテトチップスの日があってもいいかもしれないし、美容院に3ヶ月行かなくても大差ない笑 長い人生一つ一つの決断なんて誤差でしかない。

きっと今後も知らず知らずのうちに、固定観念に侵食されることとなるだろう。サラリーマンで成功するなら時に理不尽でもやったほうが賢明なこともあるし、やりたいことだけやって上手くいくほど世の中甘くない。

でも私はもう大丈夫だと思う。悩むことは沢山あるけど思い詰めたらまたリフレッシュしに来よう。自分の治し方を知れたのが1番の収穫だ。自分で自分の人生を切り開ける自信がついた。

それでもきつかったら、人に頼ったって移住したって転職したっていい。旅館の給仕をしてくれたお姉さんは、子供が高校生の時にいきなり今のお宿に移ってきたらしい。人生いつからでも意思さえあれば何とでもなるのかもしれない。

一旦今日から東京に戻るけど、もうちょっとだけ羽を伸ばしながら生活したいと思った。

〜自分探しの旅 完〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?