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「出来ない」からはじまること。

示唆を与えてくださる記事と出会いました。引用いたします。

「出来ない」というのはネガティブに捉えられることが多いですが、「出来ない」を排除しようとしすぎず、むしろ共有し合ったり「出来ない」でつながる。心理的安全性があり、お互いに寛容で、感謝し合え、それぞれが自分らしくいられるコミュニティのためには「出来ない」がひとつの鍵かもしれません。

「出来ない」でつながる。  「出来る」より「出来ない」が生む心理的安全性・寛容性と感謝・そして多様性 若宮和男(メタバースクリエイターズ/uni'que/アート思考キュレーター/福岡女子大客員教授) より

記事を拝読すると、なるほど、と感じる点と、この考え方はスタンダードになっていなければいけないのでは?ということ、双方を感じます。現代の非寛容性を、出来ないというキーワードで捉えた論考は初めて読んだと思います(私が不勉強なゆえだとは思いますが)。

できないこと。それはチャンスでもあるように思います。誰しも得意なことは易くこなしていけますが、不得意なことに直面すると、どうしていいか分からずに呆然とすることがあるでしょう。私はよくありましたし(企業所属時代)今もあります。
そうしたとき、誰に助言を求めるか。そんな人が傍らにいたとしたら、どう協力するか。それがこれからの社会が息のしやすい世となるためのヒントだと、若宮さまの記事を拝読して思いました。

若宮和男さま、優れた記事公開に感謝申し上げます。この場を借りて「noteの読者」として御礼を。


拙稿をお心のどこかに置いて頂ければ、これ以上の喜びはありません。ありがとうございます。