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抱えて生きていく。

こんな戯言をポストしました。


「周礼」における「十全」とは、特に医療に関わるものの心得を説いたもののようです。その十全について語った古き文書もんじょに、「十人皆癒ゆるを上と為すには非ず」という言葉があります。漢文には疎い💦のでGoogleのAI、Geminiに質問してみました。以下が回答結果(出力結果、質問文=プロンプト)です。


十人皆癒ゆるを上と為すには非ず」は、中国の古典『老子』の第六十四章にある一節です。

現代語訳は、
     十人全員を癒すことを最高の医療とするわけではない
  

という意味です。

この言葉は、医療の本質とは何かを問いかけています。医療の目的は、単に病気を治すことだけではありません。病によって苦しんでいる人の心身を癒し、健康な生活を取り戻す手助けをすることが、医療の真の目的と言えるでしょう。

しかし、十人全員を癒すことは、現実的には不可能です。人にはそれぞれ異なる体質や病状があり、同じ治療法がすべての人に効果があるわけではありません。また、病気の原因は、身体的な要因だけでなく、精神的な要因や社会的な要因も複雑に絡み合っている場合があります。

医療従事者は、こうした複雑な状況を理解し、それぞれの患者に最適な治療法を提供する必要があります。そのためには、患者とのコミュニケーションをしっかりと取り、患者の心身に寄り添うことが大切です。

「十人皆癒ゆるを上と為すには非ず」という言葉は、医療従事者だけでなく、すべての人にとって重要な教訓と言えるでしょう。

Gemini の回答

物質的には十全、欠けることなく整っている(ように見える)現代。人の心理に対しても過剰な倫理観・道徳にも似た正しさの強要を感じることがあるのです。

想像だにできぬ災害(や厳しい状況)に見舞われたとき。人は忘れない、のではなく、忘れること・消すことができないのではないか?そう感じます。
そして、心の傷は単純に癒やし治すものではなく、その欠落を抱え生きていくことを良しとしたいのです。
そして、もうひとつの危惧。
それとは関わりのない時を歩む人が普通に生活する、そのことを誹る謂われはどこにも存在しない、と。

欠けることのない月は存在しません。太陽の光がある限り、私たちが見上げる夜空で満ちて欠け、新月から満月へ、そしてまた新月へと移り変わっていきます。光と影、欠けるもの満ちるもの。*それらを*全て善としたい。難しい境地ですが、感じ願い続けています。

*「それらを」→「そを」と最初表記しておりました。石川啄木の歌にも出てくる文語なのですが、誤用と判断される場合が多いなと判断、公開後ですが訂正いたしました。
石川啄木の歌は以下のものです

ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中に“そを"聴きにゆく
   / 石川啄木『一握の砂』(“"は筆者加筆)

凛として明日を見つめる。医師の眼差しに映るものは。
親しみ、笑顔が希望を繋ぐ。上と共にMicrosoftCopilotによるAIアート。

等。僭越な文言をお目汚しいたしました。又、次の記事でお目に掛かりたく。

※生成したAIアートのプロンプト作成等における貴重な情報をAIイラスト研究室さまより(メンバーシップにて)ご教示いただいております。この場を借りて御礼申し上げます。


また、今回を含め数多の美麗イラストをヘッダーにお借りしている
アトリエはなみ様。AIについての取り組みにおけるご示唆を多々頂戴しております。ありがとうございます。

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