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急に思い立ってとりあえずやってみる人生

現在就職活動真っ只中の私。
心理職のお仕事はいろいろあるけど、新人心理士がまともに働いて行くのはなかなか厳しい世界だと聞く。

美容院とかで話を聞かれて「心理士を目指していて今大学院生なんです〜」というとまず心理士ってなんやねんみたいな顔をされる

「カウンセリングとかのイメージですね」というと「あー!なるほど。人の心読めちゃう的な?」とか言われたり「心理検査とかをとったりするんです」とかいうと「心理検査って、あー最近SNSとかでよく流行ってる感じの?タイプ診断みたいなやつですよね!」とか言われて、話そうとしてくれるのはありがたいけどなんかちょっと違う(というか全然違う)なとか思う。

心理士は別に人の心を読み取ったりとかできない、というかそんなことができるなら心理士なんていらないと思う。別にアドバイスを積極的にするわけでもないし、心理士が何かを変えてあげる立場ではなくて自分を変えるのは自分自身で、カウンセリングはそのお手伝いというか、きっかけになってもらうだけだ。

それに心理検査はよくSNSで流れているようなタイプ診断みたいな根拠のないものではない。ちゃんと理論に基づいたものだ。木を描いたりするだけで何がわかると言われるかもしれないし自分でも不思議に感じる部分は今でもあるけど、とにかく違うんだ。

…と、言いたいけど、せっかく話をしようとしてくれてる美容院さんにそんなこと言ったら喧嘩売ってると思われるし、私も美容院の世界のことなんて全くわからず適当な注文とかをしている立場だからお互い様だろう。

まあそれは置いておいて

就活で東京に行くことになって、今までフラフラ海外渡航したりとかしてたこの私が公務員の常勤心理士の枠にチャレンジしているところだ。

もともと本当に公務員は興味がなくて、お堅いイメージとか逃げられなさそうみたいなそんな感じがしていた。
でも心理職となると話は別で、非常勤の仕事が多い心理職の中でしっかり常勤で、土日休みもあって、なんとボーナスまで出るなんてそうそうないのではと思う。

今までの自分の生き方ならば非常勤で3年毎くらいに新しい領域にチャレンジしたい!という感じだったし大学院入ってからもそう思っていたのだが、これから結婚して、もしかすると子育てもする年齢になって、現実を考え直したら「これから3年後に就活し直すのって現実的に無理なのでは?」となったことが大きかった。

でもそれ以上に、ある虐待されてきた女の子との出会いが大きく私を動かして、虐待に関われる仕事がたまたま公務員で募集があったというのが本当のところ。その話はまた機会があればここに記録するとして

普通公務員は6月くらいから筆記試験や面接を行い早ければ夏中には内定が出るところが多い。それに公務員狙いの人は大体1年前くらいから筆記の勉強などを予備校に通ったりしてしている人が多い。

でも私はその方向を目指し始めるのが遅すぎた。なんと10月だ。とっくに今年の公務員試験は終わっている。
…のであるが、なんと奇跡的にある関東の都市で2次募集がかかった。募集が上がったのが10月で1次の筆記試験は11月で1ヶ月くらいしかない。

こういう時にどういう判断をするのかは人それぞれだと思う。
きっと私のパートナーであれば、もっと入念に考えて考えて頭の中で整理してから決断するだろう。そしてきっと現実的に考えて今回は見送ろうとか、次回の夏であれば他のいろんな地方自治体と併願できるだろうし勉強時間もあるだろうしとかそういう話になるかもなーなんて思いながら、私は迷わずに応募手続きをしていた。

私は本当にいつもそうやって生きてきた。突然人生の選択をする、そしてほぼノータイムで歩き始める。そんな人間なんだ。

例えば大学も、もともと大阪に行くつもりはなくて、国公立の後期試験をどこで受けるか決めるなかで初めて出てきた。一人暮らしに憧れていたこともあって、大阪に行くことは魅力的な話だった。意外と親もあっさりとOKしてくれて、そこからは前期試験なんて目もくれず、こっそりと後期試験の勉強をした。そして受かって、2週間という短期間で内見と布団だけ買って大阪に乗り込んだ。

心理士を目指し始めた時も、全然会社に不満はなくて、辞めるつもりもなかったし、割と期待してもらっていたから居心地は悪くなかったのだが、ある時「本当にこれが私のしたかったこと?」と考え込んで、その日中に出た結論は「NO」だった。その瞬間からもうやめると決めて、動き始めてなんとか今の場所にいる。その時も院試の前期は終わってしまっていて、4ヶ月で詰め込んで後期試験を受けた。

それがいいとか思ってはいなくて、大きな失敗を感じたことはないけど、もう少し入念に色々と考えて動いた方がいいんじゃないの?なんて思うわけだ。
いろいろなものを比べたりして、じっくりと時間をかけて温めて動ける人は尊敬する。
そう思って私なりには少し時間をかけて考えてみたりとか、「本当にそれでいいんか?」とか意識して思い直してみたりする。だけどあまりそれで大きく決断が変わったことはそこまでないかもしれない。東京の移住地くらいかな。

でもそんな私の強みは一度歩き始めたら、達成した先でどうするかは置いておいて基本的に全速力で走り続けることができるところだ。
みんなが1年とか2年とかかけて勉強している筆記試験の勉強をそこからモーレツにやった。まあとは言っても遊びに行ったりとかもしたし、大学院の実習とかボランティアとかもそれなりに変わらずやっていたから隙間時間を使ってだけど。

そして11月に東京に行って試験を受けた。まず例年は専門職の2次募集なんてせいぜい3人受けてそのうち2人は内定みたいな感じだったのに、今年は何故か20人近くの応募があったようだ。なのに最終内定は若干名。その倍率は恐らく6倍ほど。

時間配分とかも全然ちゃんと対策せずに行ったから、教養試験で6割くらい解き進めたところで「残り10分です」と言われてめちゃくちゃ焦った。そこから鬼の速さで解き進めた。幸にして数学だけは誰よりもできる自信があるのでなんとかなったかな?いやなんとかなってないかもしれないなんて思いながら提出して、専門試験はそこまで難しくなく無難に終わって、適性検査して終わり。

あっさりというかなんというか。
帰っている時は軽い絶望感を味わっていた。教養試験の時間配分ミスが痛かった。
「今回はさすがに無謀すぎたか…」とか考えながら歩いた。

でもその足で東京の友達に会ってその子のお悩みを5時間ほど聞き続けてしまうのは職業病かもしれない。

まあとにかく終えて、結果が出るのは12月頭。普段通りの時が過ぎて、修士論文も大詰めになってきて、ドキドキしながら半分諦めながら過ごしていたけど、

結果は合格だった。

ホッとすると同時に、ここから面接でさらに3分の1に入らなくてはいけないと思うとお腹が痛くなった。

今年中には面接もして結果もでる。これで私の次のキャリアが決まるのか、それとも決まらないのかはわからないけど、総じて2023年は本当に怒涛の年だったし、辛いことたくさん大変なことたくさんで忘れられない年になったけど、絶対に必要な年だったと言える。毎年必要な年なんだけど、特に。

最後を綺麗に締めくくれたらいいし、締めくくれなかったらその時はその時か。
それが私の生き方なんだ。そう思うことにする。




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