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人生最後のひとり暮らし


明けましておめでとうございます。
…とは言っても1ヶ月も過ぎてしまったけど

2024年の年明けは自然災害や事故に通り魔と恐ろしい事が続いた。
今年はどんな年になってしまうんだろう?ととても不安になった

でもそれで足を止める時間はない。なんせ1月が本当に山場だった。
いいイベントわるい(?)イベント含めてビッグイベントがたくさん!

修士論文に口頭試問があってパートナーは一足お先に関東へ。我々2人とも1月生まれなのでそこは律儀にお祝いして…と息つく暇もなしとはこのこと。

無事に全てのイベントを終えてやっと一息ついたので
こうしてまた2024年の始まりをここにおさめたいと思う。

さて,私は今おそらく人生最後になる(と信じている)ひとり暮らしを満喫中(?)である。
パートナーが先に関東へ旅立ち、3月に自分が旅立つまでのこの数ヶ月。

パートナーとは大学時代からもうかれこれ5年も共に暮らしている。
その間もバックパッカーで数ヶ月旅立つことはあったけど、その時は私が旅に出ているのでひとり暮らしとは言えない。
さらに過去を振り返っても、大学に入学してからもしばらくひとり暮らしの期間はあったものの、友達が遊びに来たり当時付き合っていた彼が来たりすることも多くでなんだかんだあまりひとり暮らし感のない生活をずっと続けていた私。

今は大学時代のように周りに友達がたくさんいていつでも会えるわけでもないし、いい意味でもわるい意味でも大阪という都市への新鮮味もないので本当になんだか余生を過ごすかのようなそんな気持ちになっている。

バックパッカーなんてやっていただけあって私は元来おひとり様を好むタイプだ。

女子校を出ているため(と自分は思っている)、別に女だろうがすっぴんで1人で牛丼屋に行っても天一に行ってもいいじゃないか!男の目なんて気にする必要はない!という価値観を持っている。

だからひとり暮らしなんてお手のもんといえばお手のもんだ。

特に特別なことをするわけでもなく、朝起きてペットのうさぎに草をあげて話しかけ、大学に行くなりボランティアに行くなりして、帰ってきてご飯作って食べて

今までならその後ずっとパートナーとしゃべくりする。パートナーはそんなに外ではたくさん喋らないし笑わないが、彼曰く私の「ツッコミがうま過ぎて」私といるときはベラベラ喋って笑う。
お笑いにストイックな彼に評価されて、恋人としてを超えてシンプルにM−1で評価されたような気持ちよさを覚え私も秀逸にツッコミをかましているうちに寝る時間になる。

そう。今ぶち当たっている壁は相方不在の状況でこの寝るまでの時間をどう過ごすか。
である。

おひとり様マスターの私であるが、これがなかなか難しい。
1年前くらいから趣味になっているジグソーパズルを新たに購入してとりあえず組み立ててみる。それでも余った時間はこれまた趣味の謎解き問題集を解いてみる。

過去の自分は、他人と何かを共有することにそこまで重きをおいていなかった。もちろん友達と旅行に行ったりするのもそれはそれで楽しいけど、本当に味わいたいことは自分ひとりで味わいたい、そんな自分がなんだかかっちょいい。って思っていた。

故にパートナーとの5年間の中で窮屈さを感じていた部分もあった。
「好きやし、距離置くとかじゃないけどひとりでいるみたいな期間欲しいな〜」なんてめちゃくちゃなことを考えてたことも多々。

そんな私にとって待ちに待ったこのひとり暮らしのはずだったのに
なんか虚無。なんでだろう。



他人は他人、自分は自分
という考え方がある。

ごもっともな考え方であるし、私もそう思う。
どんなに時間を共に過ごした家族であっても、所詮は他人である。
結局人は自分ひとりで決断し、生きていかなければならないのである。

でもこうも思う。
自分を自分たらしめてくれているのは自分を見てくれている他人である

もちろん他人と自分は違う存在であるという意味では他人は他人、自分は自分であるし、私は今までこの考え方が自分の中に結構強くあったからこそ「自分の人生は自分で切り開いていく」というスタンスで生きてきた。

でもこうして、いざ自分の一番身近な存在と距離をおいてみると
いかに自分という存在がパートナーありきであったかがよくわかる。
それはパートナーだけでなく友人なども同じ事が言えるだろう。

自分の趣味を自分だけでやる。この上なく自由で素晴らしい時間のはずなのになんか現実味がない感じがする。どこか機械的にこなしている自分がいて心から楽しめている感じがしない。例えパズルを完成させてもそれを「見て見て」と見せる相手がいないし、謎解きが解けても「解けたー!」「これ解ける?」と言うこともない。

実際にそうするかどうかじゃなくて、共有しようと思えばできる存在が自分の近くにあるかどうかが大切な感じがする。心の居場所ってやつか。

自分の中だけで体験し、熟成していくこともまた自分を豊かにするけれども
自分の体験を誰かに見てもらったり聞いてもらったり、また逆に誰かの体験を見たり聞いたりすることもまた人生を豊かにする

どちらがいいとかわるいとかではなく、バランスが大事な気がする。
どちらかに傾きすぎるともう一方を求めるのかもしれない。なんだかシーソーのようだ。

大学生でたくさんの交流を持った私は、自分の中で体験したいと思ってバックパッカーしたりした。そして今のパートナーと暮らす中で今度は誰かと共有することが中心になって、なんとなくまた自分ひとりで何かを感じたいと思った。でもまた1人になってみると今度はやはり誰かと体験を共有したいと今感じてる。

バランスをとるのは難しいものだ。

新しい家に自分の部屋を作ったのはそういう意味で正解だったかもな…なんてまだ住み始めてもいないのに考えるに至った。

そんな最近考えていたあれこれの話でした。

ちなみに2月は関西ラストを楽しみたいと思っているけどどこに行けばいいだろう
お世話になった北摂を楽しむもよし、大阪らしさといえばミナミまで足を伸ばすべきか。うーむ。迷う。とりあえず京都駅の都路里とチュートリアル徳井がYouTubeで行ってたからしそばを食べに行きたい。

…あれ。なんかおひとり様楽しめそうな気がしてきたぞ…?



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