死ぬのは当分諦めよう
先日また自殺未遂をしたはるしばです。
今回は首吊りにチャレンジしました。
発端は実行前日の些細なこと。
本当に本当に些細なこと。
次の日になってもそこから気持ちが切り替えられなくて、どんどんどんどん落ち込んで。
頓服薬を飲んで、仮眠をとって目が覚めたら、異様な気持ちになっていた。
心がスンッとなって、もうどうでもいい
生きることをやめようって。
シンプルにそんな気持ち。
とにかく静かで落ち着いた、これが自分の正気なんじゃないかと錯覚するくらいクリアな感覚だった。
部屋の中にちょうど手頃な紐があって、最初は部屋のドアノブに紐と自分の首を括りつけてチャレンジしたけど、ドアノブが動いて安定感がなくて失敗。
だから、クローゼットの取っ手で再チャレンジした。
愛犬の写真を手に取り、愛犬に謝罪と別れを告げて、紐に首を括りつけ、紐は玉結び。
ネットのどこかの情報ですぐ死ねると書いてあった情報を鵜呑みにしてたから、苦しさが勝るなんて計算外だった。
苦しさに耐えられず、1回目は失敗。
仕切り直してもう一度。
1回目の反省点を活かして、もっとすぐ死ねるようにかなり工夫を凝らした記憶はある。
でもその工夫内容は覚えていない。
覚えているのは、ただ痛くて苦しかったこと、死が確実に近くに来たのが分かったこと、それに並々ならない恐怖を感じたこと。
死にものぐるいで自分でキツく結んだ紐を解こうとするけどなかなか解けない。
本当に死ぬ1歩手前。
イメージするなら絞殺事件のセルフ版。
危機一髪のところで結んだ紐が解けて、一命を取り留めた。
その後は、母に泣きついて、、。
母に正直な気持ちを打ち明けて。
そのうちに、いつも通り母がヒステリーを起こしてのお決まりパターン。
母がヒステリーを起こす度に、カサンドラなのかな?とか思うけど詳しくは不明。
ひとしきりヒステリーを起こした母だったけど、珍しくすぐに寄り添う母に戻ってくれた。
そんなことがあった数日前。
死ねるかもと思ってODしようとしたり、ハサミを持ち出して自分を切ろうとしたりはあった。
でも、心のどこかで本当に死ぬことはないってこのふたつの時はわかってたんだと思う。
実行する前に家族に見つかって止められていたし。
でも今回は本当に死にそうになった。
そして、簡単に、楽に、すぐに 死ぬなんて無理なことなんだって身をもって経験した。
わたしは思った。
あと2年くらいはとりあえず実行に移すのはやめようって。
自殺より今を頑張る方が簡単かもしれないから。
自殺を成功させた人には本当に敬意を表します。
今のわたしには無理だったよ。
本当にすごいことだよ。
わたしの本心。
わたしは自殺否定派じゃないから、批判することは言わない。
生きるも死ぬも自由。
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