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「伝えること」 決意のアイドンノー展プライマル

こんにちは。はるきです。
巷ではスイカゲームなるものが流行っているこの頃。あっという間に10月になりました。

さて、私ごとですが2023年9月18日〜23日で「アイドンノー展プライマル」に出展しました。

ケンタソーヤング氏 (@kenta_soyoung)が主催し、三度目となる本展示。
通称「化け物たちの巣窟(自社調べ)としても有名な写真展です。実は初回のアイドンノー展には搬入と搬出だけ参加していました。大阪からね!

今回は、4年前に衝撃を受けてずっと目標だった「出展者として参加するアイドンノー展」を、主観たっぷりにまとめていきます。

展示感をぶっ壊すエネルギーの塊。その中ではるきが成したことは?決意は?
それを少しでも伝えられたらなと思います。
ぜひ最後まで読んでくださいね!
読んでくださいね!!(圧)


序章:「やる気ある若者です!」と言ったら運営になってた

「やる気ある若者求む」
ケンタさんがある日あげていたインスタグラムのノートを見て「やる気ある若者です」とDMを送りました。「仕方ねえなあ」の返事と共に、招待されたのは「アイドンノー展プライマル運営」というグループライン。

ん?運営???

この写真バケモンたちと肩を並べて、しかも運営という立場でアイドンノー展を作り上げる。並々ならぬ覚悟ととんでもない不安と、一定の評価をもらえてるというひとつまみの喜びが入り混じって、僕のアイドンノー出展が決まりました。

一部の出展者とお客さんとたぬき氏。

「原点」と聞いて出てきたのが陸前高田

それまでは「彼女のかわいい写真出してカフェスペースで惚気まくったろ」と息巻いてましたが、『原点』というテーマとのつながりに違和感を覚えました。なんかちゃうな、今一度考えてみるかと思考を巡らせ10秒程度。すぐに出てきたのは今回のキービジュアルでもあった一本松の写真でした。

岩手県陸前高田市にある「奇跡の一本松」 (2014年)

「自分が写真を始めた理由。なんで今写真と関わり続けているか。ここだけに思考を集中させてアイドンノー展を彩ろう。
きっと、本来アイドンノー展に求められていない写真かもしれない。でも「I don't know(知ったことか!)」迷ったらGOやで自分!」

僕の原点は「東北を伝えること」。
東日本大震災の今を伝えるツールとして写真を選んだのが始まりです。だからこそ、アイドンノー展プライマルで出す写真はこれ以外あり得ません。
えいやと覚悟を決めて、陸前高田市に行くことにしました。なんと7年ぶりでした。

そうして向かった8月末の陸前高田。2泊3日の短い旅だから、心はフラットに。琴線をシャッターにして、見えたものをそのまま写すことをとにかく意識しました。

2014年撮影。
写真左は山の切り出し工事の風景、右は仮設住宅が写る。
2023年同じ場所から。
見える景色はすっかり変わっていた。

こうして生まれた陸前高田市の写真たち。自分が引いて撮ってるなあというのもすごく感じていました。

2019年に完成した道の駅「高田松原」。
資料館もできていました。
震災遺構の気仙中学校と、コンベア工事の跡
10年越しにようやく見た海岸。
とても穏やかな海が広がっていました。

不安だらけのアイドンノー展。でも…

はるきの展示内容をチラリ

「作品違いすぎてわかりませんでした」
実は作家名もしれっと変えていたので、「はるきさんの写真どれですか?」と僕の写真をスルーしていく友人がたくさんいました。
SNSでは超絶クールなポートレート撮る人と認識されているので、今回の写真に驚いた人も多かったと思います。みんなごめんやで。

東北の写真を出すことには、先述した通りものすごい不安がありました。
これはケンタさんが求めている写真なのか。ドキュメンタリーをこの場で出すことを、他の出展者も含めどれだけ認めてもらえるか。フラットな気持ちで撮った写真を出して響くものができるのか。
当日を迎えても消えない不安を抱えたまま、搬入が始まっていきました。

でも、その霧がかかった不安は、壁が完成した時に全て消し飛びました。

三橋さんに撮ってもらった一枚。めちゃ好き。

B0の一本松も、8月の写真もブックも、めちゃくちゃ活き活きしていました。
なんやろう、この壁からすごいパワーを感じる。これなら色んな人に伝わる気がする!周りにどう伝わるか以上に自分が堂々とここに居よう。そうしよう。

本当に伝えたいことはブックの中に。第一印象で「東北の写真なんや」と思ってもらえるようにセレクトして、あとは少し楽しいギミックも足しました。

あとはもう伝え抜くのみ!
隣にはあきくん (@akira1027_photo )の超癒し空間があるから、ちょっとぐらい真面目な話する場所があっても大丈夫。僕はいちジャーナリストとして真っ直ぐお客さんとぶつかっていこう。そんな気持ちでアイドンノー展は進んでいきました。

あきくんの圧巻の展示。これマジでやばかった。
ありがとうあきくん。

在廊中のこと

 はるき史上最長となる計70時間の在廊を経て、ありがたいことにたくさんの出会いとお褒めのお言葉がありました。

ヒカリエから流れてきた10選メンバー、関東で知らない人はいない重鎮、1000人以上の国民を持つ王、HASEOさんに似た人、7日連続8回来場の猛者、HOT LIMITさんを見てテンションを上げる熱狂的なファン、カフェと間違えて入ってきたカップル、僕の作家名をジャーナ遥にしようとする某アクセサリーブランドの社長等々…

みんな今でもちゃんと東北のこと覚えてくれてるんやなあ」と実感するほど、僕の展示に興味を示してくれる人や、何も言わずブックに手を伸ばしてくれる人が本当にたくさんいました。皆さんの東北の経験や、出身地のこと、当時のこと、色んな東北の話が湧いてきて、1時間以上話し込むこともしばしば…。
出展メンバーからも「この展示が本当に好き」「ブック販売しないの?」「これからもぜひ続けてほしい」「アッツアツのジャーナリズム聞けますよ」と、いった言葉をたくさんいただきました。これも本当に嬉しい。

モトユキさん。めっちゃ褒めてくれた。嬉しい。
カフェスペースなので、写真は座って撮るのが定番でした。おんなじ顔してる笑

わざわざ足を運んでくれて、アーティストだらけの中にあるポツンとジャーナリズムをしっかり感じてくれて、用意したギミックも楽しんでくれて。
来てくれて見てくれた一人ひとりが僕の展示に意味をくれて、その意味が積み重なって大きな価値になりました。僕だけでは到底完成できなかった展示を、ここまで素敵にしてくれて本当にありがとうございました。

そして、アイドンノー展プライマルを経て、改めて自分のやりたいことが見えてきました。これはこの次にお話します。

少し、これからの話

これから自分が撮る写真と、SNS運用の話。

これからは、ほとんどポートレートを撮らなくなります。

アイドンノーを経て改めて気付かされた自分の適性。僕はジャーナリストとして写真を撮ることに価値を生み出せるのではないかと、思いました。
好きと得意は必ずしも一致しなくて、ガチアサリが好きでもヤグラの方が勝率高いのと一緒で、ちゃんと自分にも適性があったんやなって。

正直、ポートレートで勝負する自分の未来には天井が見えていました。その上写真ジャンルの中では一番修羅の道。ジャーナリストとしての道を進んだ方がいい。わかっていても踏ん切りがつかずにいたところを「大丈夫やから進んでみ!」と7年前の自分に言われた気がして、視界がぱっと広がりました。

ああ、これでいいんやな。そしたら、この道でいっちょ頑張ってみようか。

自分が関わった場所に何度も通って、そこに住む人たちや移住者と会って、生活を追いかけながら文化を撮る。歴史も魅力も詰め込んで、展示や写真集にして人に届ける。これからは、「おかえり」と言ってもらえる場所をたくさん増やして写真を撮ろう。

簡単だけど、これが今僕がやりたいこと。
アイドンノー展で見えたこれからの話。

まとめと、出展メンバーのみなさんへ

ということで、いかがでしたでしょうか。
目標にしていたアイドンノー展プライマルへの出展と、そこでできた新たな決意。一つひとつを整理しながら書いたので、ちょっと時間がかかってしまいました。文字数もすんごいことになった…最後まで読んでくれて本当にありがとうございます。
まだまだここがスタートライン。どうか齋藤ジャーナ遥を応援してくださいね。

最後に、出展メンバーのみなさんのこと。
写真の技術ももちろんですが、人柄も熱量も本当に素晴らしい24名とご一緒できて本当に嬉しかったです。一人一人にメッセージ書きたいぐらいです。
このメンバーだから、搬入から在廊中の管理まで本当に楽させてもらってました。運営としてできることが少なかったからこそ、みんながいない時でも少しでもお客さんに届けようと、在廊中にたくさん案内していました。
僕は幸せモンやなあと感じまくった1週間でした。早く飲みにいきましょう!!笑

そしてケンタさん、僕をここに連れてきてくれて本当にありがとうございました。まだまだ展示のこと、たくさん学ばせてください。

終了後の集合写真。
photo by Kudoさん。プロの仕事や。

はい、これで言いたいことは全部言えたので、終わります。
あ、タシロ、木のパカパカ貸してくれて本当に救われました。相談してよかったよ、ありがとう。

てことで、次のアイドンノーやITTOKO写真展でまた会いましょう。

それでは。

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