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誰も知らない復讐

 思い出した。横山と名乗ったあの大柄の男。髭がなくなっていて気が付かなかったが、それは間違いなく今ルイの横に座っている男だ。高圧的な笑顔、会話の主導権を握りいつの間にか相手を同意へと誘導する話術。ルイの前で、「なにぶん新人なもんで、自分の見せ方っていうのがまだあんまり解っていないものですから」と言い放った男。ルイの指先がまた小刻みに震える。それは、薬を飲み始めた頃の蒼介を思い出させた。
 
 「今回の作品は、僕にとっても挑戦で」
 ルイが口を開く。
「また一枚殻を破って、新しい表現をしてみたいなと」
「そういう心境になった、きっかけは何だったんでしょうか?」
「えーと、」
 ルイがしばし、考え込む。
「まあ色々あるんですけど、単純に、自分の今のモードですね。この声を使ってどんな事ができるんだろうとか、もっとこういうテイストに乗せてみたら面白いんじゃないかとか、好奇心を持ってやっていきたいんで」
「なるほど」
「できれば、前回よりもっと多くの人に、んー、と言うか、僕のことをまだ知らなかった人たちにも聴いてもらいたいですし」
 そう答えながらも、ルイはどこか自分の言葉に納得がいっていないような様子を見せた。
「歌詞についてもそうですか?」
 そう訊いた時、彼の口元が微かに緩んだ。
「あー、歌詞は」
 息を吸い直してルイがこう答えた。
「こんくらいわかりやすくしないと、馬鹿には伝わらないんで」
 光の無い瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。私は目を逸らす事ができない。お前らに、何がわかるんだよ。どこかでそう聞こえた気がした。蒼介の声だろうか。一切の会話が耳に入っていないような態度でパソコンに向かっていた女性マネージャーも、流石に手を止めてゆっくりと顔を上げている。会議室の時計の音が途端に大きく感じ、酷く長い間沈黙が続いているように思えた。次の瞬間、沈黙を破るルイの大きな笑い声が響いた。
「あはははははは」
 今日聴いた中で一番大きな声だった。その場にいる全員が、ルイの言動に呆気に取られていた。
「ははは、はー、あーあ」
 呼吸を整えてから、ルイがこちらに向き直る。
「冗談ですよ。書かないで下さいよ、これ」
 そう言ってもう一度私を真っ直ぐ見つめたその目は、大人達の想像を遥かに超えた、ルイの賢さと強さを証明しているかのようだった。
「…あ、はは、わかりました」
 不自然な作り笑いを返しながら、心のどこかで、深く安心している私がいた。これ以降私が何を訊こうが、ルイが何を答えようが、もう大丈夫だという気がした。まだ動揺している大人達を尻目に、ルイは一人楽しそうだ。
 「それでは最後に、ツアーへの意気込みや、リスナーに向けて一言あれば、お願いします」
 何が大丈夫なのか、自分でもよく分からないが、とにかくルイはどうなってもきっと大丈夫なのだ。自分を含め、大人達がルイの手腕に振り回されている様子が、何故だか嬉しくて仕方がなかった。私の最後の質問にルイがどう答えようと、正直もうどうでも良いとまで思っていた。
 全ての質問を終え、レコーダーの録音停止ボタンを押し、資料をバッグにしまう。会議室にはまだ得も言われぬ空気が漂っている。私はその場にいる全員に一通り礼を言い、席を立った。

__________

 エレベーターホールまで見送りに来た横山が、神妙な顔をして何かを言いかけたが、私はそれを遮るようにして尋ねた。
「松井蒼介って、覚えていらっしゃいますか?」
 横山は一瞬不意を突かれた表情をしてから、記憶を辿るようにしてこう答えた。
「松井さん…ええと、御社の方でしたか?」
「いえ。ザ・キャロッツというバンドで歌を歌っていた」
「ザ・キャロッツ。あー、ええ。覚えてますよ」
 横山は大きく相槌を打ちながら目を見開く笑い方をした。
「彼、蒼介君といいましたっけね。お知り合いですか?」
「ええ、まあ古い友人で」
「ああそうでしたか。良いバンドでしたよね」
「ええ」
「あのまま上手くいっていれば、今頃すごく売れてたんじゃないですかね」
 そうどこか残念そうに言いながら、横山は何故か「はははは」と笑い声を上げた。何が面白いのだろう。
「まあ僕はそこまで深く関われずに終わってしまったんですけれどもね。彼はどうされてます?」
 点滅している階数を確認しながら、明らかに興味のなさそうな質問をする。
「私ももうしばらく会っていないもので、わからないんですが」
 そう答えた時にエレベーターが到着し、私は半ば逃げるようにしてそれに乗り込んだ。
「ああ、では、記事の方くれぐれも、よろしくお願い致します」
「はい、メールさせて頂きます。失礼致します」
 閉まりかけたエレベーターの隙間から、横山の冷たい表情が見えた気がした。

 時刻は十四時半をまわろうとしている。無機質なエントランスをくぐると、まだ冷たい四月の風がビルの隙間を吹き抜け、私は抱えていた上着を羽織った。
 元来た道を通り、『Giraffe』の跡地にできたカフェの前に差し掛かる。風が冷たいというのに、テラスでは小さな犬を連れた女性がアイスコーヒーを飲んでいる。私と同じくらいの歳だろうか。ここに『Giraffe』があった頃、この女性はどこで生きていたのだろうか。
 七年前に音楽雑誌の誌面を飾っていた多くのバンドを、ほとんどの人がもう覚えてはいないだろう。
七年前、ルイは十二歳だ。きっとこうして、何も知らないまま、誰もが何かの跡地で生きている。





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