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瓦礫の中に生まれて

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 横山は約束の十三時ぴったりに会議室に現れ、蒼介達の前に腰を下ろすと、フランクな笑顔を見せながらしばらくの間ペラペラと関係のない世間話をした。冗談を交えた話術で目の前にいる若いバンドマン達を笑わせ、彼らの警戒心を解き、あっと言う間に場の空気を掴んだかと思うと、突然、こう切り出した。
 「君、声は良いんだけど、歌詞がイマイチだよね」
 まるで今日の天気の話の続きでもするかのように、横山は相変わらずにこにことしている。
 誰しもが思わず反射的に同意してしまうような流れを作り出し、いつの間にか話を完全に自分のペースに持って行く、それが横山のいつものやり方だった。案の定、メンバーで一番人の良いギタリストの南が、横山のその言葉に対して、それまでの空気に乗せられるまま「はは」と乾いた笑い声を発した。
 蒼介は、初めて出会う種類の人間の口から発せられた、初めて聞く種類の言葉に、小さく口を開いたまま絶句していた。一瞬、何を言われたか分からなかったのだ。鼓動に合わせて、新しいTシャツの胸元が微かに震える。
 「今、CDって売れないじゃない?なかなか。だからさあ、意図的なパンチが必要なんだよね」
 横山は言葉を続ける。
「わかりやすさって言うかさ」
 南は自分の乾いた笑い声が場違いだった事に後から気が付き、顔に張り付いた愛想笑いをゆっくりと元に戻している。
「今のままだとやっぱりパンチがないじゃない?」
 横山は必ず、相手の同意を前提とするかのような語尾を使う。

 「えーと、つまりどうするべきってことですか?」
 最初に口を開いたのはラブだった。
「まあそれは後々、制作しながら考えていけばいいと思うんだけどね。もちろん、売れたいでしょ?」
「売れたい…」ラブは口の中で小さくその言葉を反芻した。
 横山は、ここ数年音楽チャートを賑わしているいくつかのアーティストの名前を挙げ、彼らがどのような道のりを歩んできたか、どのような意図で作品を作ってきたか、そして何がきっかけでどのように売れていったかについて、持論を展開している。
 今この部屋では、同じ、”音楽”というものについての話が交わされているのだろうか。もしそうならば、自分達のように”音楽をやっている人間”と、この横山という人間が身を置いている”音楽業界”とやらの間には、一体どれ程の隔たりがあるのだろう。蒼介は横山の話を聞きながらそう思っていた。
 朝から降ったり止んだりを繰り返していた雨は、午後から本降りになり、十八階の窓にはくすんだ白い空がのっぺりと張り付いている。


 「俺らって今日、なんで呼ばれたんでしたっけ」
 言葉が途切れた隙に、蒼介が一言、そう尋ねた。八十年代の音楽シーンにまで話を遡らせていた横山は、一瞬驚いたような顔を見せてから、
「はは、申し訳ない。具体的な話してなかったね」
 そう言って目の前のノートパソコンに視線を落とした。
「アルバム聴かせてもらって、ライブも観せてもらって、是非、一緒に作品作らせてもらいたいと思ってるんだけれども」
 蒼介は少し考えてから、表情を変えずに言う。
「パンチがないと言うのは」
「うん。もちろん、売れるためにどうするか、一緒に考えていかないといけない部分はあるよね」
「はあ」
「そのために使えるものはどんどん使っていくべきじゃない?」
「使えるもの」
「例えば歌詞が書けないんだったら、他人に書いてもらったっていいわけだし」
 会話を聞いていたラブの瞳から、輝きが消えた。
「自分達をどう見せたいか、どう見られたいか、アーティストとしては常に考えていかないといけないよね」
 もう南ですら、横山の語尾につられて首を縦に振る事はしなくなっていた。気にせず横山は続ける。
「具体的に、何か夢はあるのかな?」
 その質問に、蒼介が淡々と答えた。
「武道館でライブする事です」
 それは、他のメンバーにとっても蒼介の口から初めて聞く言葉だった。
「おお、いいじゃない」
 横山は目を見開く笑い方をした。
「でも、」
「別に誰かに連れてってもらおうと思ってないんで」
 横山の表情に一瞬の翳りが見えた。代わりに、蒼介は薄っすらと笑顔を浮かべている。
「俺らの代わりなんていっぱいいるじゃないすか?」
「でも、俺の歌は、俺が書けなくなったら終わりなんで」
 横山は明らかな嫌悪感を瞳に浮かべ、何かを考えるようにしてゆっくりと自らの髭を触っている。
「俺、後出しジャンケン嫌いなんすよ」
 そう言うと、蒼介は机に置いてあった携帯をポケットに突っ込んで立ち上がり、
「つーことで、俺、タバコ吸ってから帰りますわ」
 三人のメンバーに苦笑いのような表情を見せ会議室を出て行ってしまった。

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 静まり返った会議室で、ラブが大きな溜息をつく。
「彼は、威勢がいいねえ。どういうこと?さっきのセリフ」
 横山は、おどけたような笑顔を見せた。さっきまで自分の言葉に笑ってくれていた三人に向かって、また調子の良い軽口を叩いたつもりらしかったが、もう誰も愛想笑いで機嫌を取ろうとする者はいなかった。
「んー、確かに後出しジャンケンして負けるとか、最高にダサいっすもんねえ」
ラブが言う。
「え?」
「その頃にはジャンケンのルールごと変わってたりするんだから」
 横山は黙っている。
「時代錯誤ってことじゃないすか?」
 吐き捨てるようにそう言うとラブは席を立ち、残りの二人もその後に続いた。
「そいじゃ、失礼します」
 軽く頭を下げて部屋を出て行く三人を、横山は呆れたような、面倒臭いような表情で見送り、雨が降り続ける濁った窓に向かって、小さく溜息をついた。

読んで下さってありがとうございます。思考のかけらが少しでも何かの役に立ったなら幸いです。