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いつか来た場所で

 「ビリーが昔言ってたんだよ。燃え尽きられなかった人間ほど悲しいもんてないっすよ、って」
 ラブがコーヒーを啜った。
 池袋駅から程近い、朝方まで営業している喫茶店。時代に取り残されてしまった赤いビロード張りのソファが、窓から見えるホテル街のネオンと相まって、古いキャバレーのような雰囲気を醸している。
「なんか、耳が痛いね」
 私もラブに倣ってコーヒーを啜る。ビリーは、『Parade』に入り浸っていた誰かの姿を思い浮かべてその言葉を吐いたのだろうか。
「でもさ、俺そんなことないんじゃないかと思って」
「え?」
「燃え尽きるなんて、そんなかっこいい人間、どんだけいるのかね」
 白いワイシャツに黒いエプロン姿のウェイターが、水を注ぎに来る。ラブはウェイターがすぐ近くにいるのにも構わず、言葉を続けた。
「100%の努力して、こんだけやって、結果ダメだったかあ、でも悔いなし!みたいな、そんな高校球児みたいな人さあ、いないっしょ。そりゃもっとやれることはあるのかもしんないけど、それなりに、みんな必死で頑張ってるわけじゃん。その時々で出来る限りのこと精一杯やってさ。でも、もっとやれたような気がして、完全燃焼できなかったなあ、ってどっかで悔やむんだよ。そうやってくすぶって生きてくもんなんじゃないのかなあ」
「うん」
「それに、やらないっていうのもちゃんとした選択だと思うんだよ。ちゃんと考えて決めたことなら。そんな生き急がなくてもさ」
「そうだね」
「まあ、怠け者の戯言って言われたらそれまでなんだけど」
 何となく手持ち無沙汰な様子の指先を見て、そう言えばラブが今日一度も煙草を吸っていない事に気が付いた。
「そういう話さ、蒼介にした?」
「え?ううん。俺も、最近になって思ったことだから。ビリーがそう言ってたときはさ、確かにそうだよなあ、って思っちゃって」
「そっか。蒼介だったらなんて言うかなと思って」
「連絡取ってないの?」
「取ってないよ、全然」
「ふーん。読んでると思うけどな、先輩の文章」
「え?何で知ってんの?私の仕事」
「何でって、前に自分で言ってなかった?それに、名前出てるし」
 ラブは悪戯っぽく笑った。
「いや、言ってないよ」
「そうだっけ?まあいいじゃんそんなことは」
 私は何故だか途端に居心地の悪さを感じて、空になったコーヒーをお代わりしようとウェイターを呼んだ。ついでに灰皿を頼もうとして、ふとラブに尋ねた。
「ねえ、煙草やめたの?」
「ああ、やめたよ」
「マジ?あんなに吸ってたのに」
「マジよ。結構前に」
「どしたの?健康に目覚めた?」
「まあね、身体が資本ですから」
 そう言ってラブがこちらに向けた携帯の待ち受け画面には、おもちゃのギターを抱えて笑っている二歳くらいの男の子が写っていた。
「俺の子よ」
「うそ」
「はは、ほんとだし」
 私はしばらく男の子の顔から目が離せなかった。
 お待たせいたしました、とウェイターに声を掛けられて我に返り、私はお代わりのコーヒーだけを頼んだ。
「そっかあ」
 きっとラブの小さい頃にそっくりだ、と思った。私は画面を見つめながら、胸の中に湧き上がってくる感情を必死に掴もうとしていた。
 喜びと寂しさは、本当は、ものすごく近い感情なのではないかと、その時に気が付いてしまった。訳も無く涙が出るような喜びの中には、いつもほんの少し、寂しさが混ざっている気がしてならなかった。渦を巻き続けるこの気持ちをどう上手く言葉で表そうか考え、またしてもそんな事を考えている自分に気が付き、私は一度深く息を吐いた。そして、思ったままの言葉が口から零れるのに任せた。
「かわいい」
 そう言いながら笑った私の顔を見て、ラブは心底嬉しそうに、「だろー?」と言った。
 

 蒼介だったら何と言うだろうと、もう一度思った。蒼介は、本当に、私の文章を読んだだろうか。先程までの酔いがゆっくりと醒めていく。
「私も、やめようと思って」
「煙草?」
「ううん、仕事」
「あら、何でまた」
「蒼介に読んでほしくないと思っちゃった」
「はは、ほんと、ロックンローラーみたいなこと言うよなあ」
「笑うとこじゃないから」
「ごめんごめん」
 ラブはわざとらしく真面目な顔を作って姿勢を正した。
「たったひとり聴いてほしい誰かがいて、素晴らしいラブソングができるんだもんなあ」
「だからロックンローラーじゃないから」
「いや、それが正直な気持ちならさ、したいようにしなよ」
「うん、ありがとう」
 ラブがちらりと時計を気にして、行くかあ、と小さく呟いた。
「あ、ひとつだけ言っとくけど」
「うん」
「燃え尽きなくていいからね」
 そう言って立ち上がり、レジへと向かうラブの背中を、私は少しの間ぼーっと眺めていた。




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