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君が選ばなかったやり方

 『Parade』より幾分か広い『Giraffe』のフロアを、私は茫然と見渡していた。ほとんどの出演者が帰ってしまった後で、蒼介はギターを背負いながらちらりと私の方を振り向き、
「その通りだなって思ってたでしょ」と寂しげに笑った。私は咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。

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 キャロッツが、あるバンドのレコ発企画に出演した日の打ち上げだった。関西から上京してきたそのバンドは、キャロッツと年齢もキャリアも近い。ボーカルの和田という男は蒼介と同い歳で、その飄々とした雰囲気が故に、二人はどこか似た者同士と認識されていたが、実際のところ和田は蒼介より圧倒的に器用なタイプのように思えた。
 イベントで一緒になる事は度々あったものの、『Giraffe』をホームにしていた和田と『Parade』をホームにしていた蒼介との間には、暗黙の境界線のようなものがあるらしかった。

 「今日、あんま呼べなくて、申し訳ない」
 打ち上げが始まってすぐ、蒼介は和田にそう謝罪した。
「まあな、しゃあないけど。とりあえずありがとう、出てくれて」
 和田はそう言うと、ビール瓶を蒼介のグラスに合わせた。
 切りっぱなしの無造作な黒髪に無地のパーカーという、一見バンドのボーカルとは思えないような地味な見た目は、その飾り気の無さに惹かれてライブに通う女性ファンを地道に増やしていた。実情は、手癖が悪い事で有名だったのだが、”見た目の派手さと手癖の悪さは反比例する”というのが私の密かな信条だった。
 自身のレコ発企画とあって、和田はもう既に酔いが回っているようだ。平日という事を差し引いても、確かに今日のキャロッツの集客は多いとは言えなかった。蒼介はそれを自覚した上で、ステージで今できる最善のパフォーマンスをする事で、和田達に対しての誠意を表そうとしているように見えたが、実際、キャロッツのライブはいつにも増して大きな盛り上がりを見せ、終演後の物販にCDを求めに来る新たなファンも何人か見受けられた。

 「で、そっちはどうすんの?今後の展望」
 数人の取り巻きが私達の周りを離れたのを見計らって、和田はそう切り出した。
「展望って?」
「あるやろ、色々。どういう作品出して、いつまでにどういうとこ目指したいとかさ」
「展望ってわけじゃ無いけど。ライブやってくよ、変わらず」
 蒼介は、いつもの適当な様子で答える。和田は、蒼介の言葉に一瞬渋い顔をしてから、
「てか、どうやったら客増えるか、考えてライブやってる?」
 そう尋ねた。
「それはまあ、俺らなりにさ」
「で、増えてんの?」
「まあ、ぼちぼちって感じかな」
 ラブがドリンクカウンターでスタッフに絡んでいる声が、フロアの隅まで聞こえてくる。和田は瓶ビールを飲み干し、カウンターに向かってジェスチャーでおかわりを注文し、蒼介に向き直る。
「何も考えんと闇雲におんなじことやってたってしゃあないやろ。前に対バンした時と、何か変わったりしてんの?」
和田はわざとらしく抑揚をつけてそう言った。
「それはまあちょっとずつ良くしてるつもりだけど」
 蒼介は、ここで込み入った話をするつもりはないといった表情で、和田の言葉を軽く流そうとしている。フロアにはパイプ椅子と長机が出され、スナック菓子の入った紙皿が置かれていたが、ほとんどの出演者は立ち飲みをしながらそこかしこで会話をしていた。
 「前から思ってたんやけどな、なんかもうちょいうまいことやったほうがええで」
 雑音の中で、和田の声が大きくなる。
「やーまあわかるよ、自分でもそう思うわ」
 蒼介は苦笑いを浮かべながら私の方を一瞥した。何か助け舟を出すべきか考えている内にも、和田は言葉を続ける。 
「いやわかってへんやろ?」
「はは、わかってないっす。でもまあ、やりたいようにはやってるからさ」
 蒼介はあえて軽い口調で答え、話題を変える隙を探っているようだったが、和田は逃さなかった。異質な空気を察したラブが、こちらを窺っている。私は、おかわりをもらうついでにさり気なく席を外すつもりで、少しずつ二人から離れようとしていたが、次の言葉に足を止めた。
「俺な、金のためだけに音楽やってる奴は嫌いやけど、売れんでも、全然金にならんでもええみたいな奴は、もっと嫌いやねん」
 和田はわざと顔に皺を寄せ、難しい表情を作って見せた。
「売れなくていいとは思ってないよ。その方法がそれぞれあるってだけで」
 蒼介は面倒臭そうにしつつも、会話に付き合う覚悟をしたようだった。ポケットから煙草を取り出し、火を付ける。まともに取り合おうとしない蒼介に、和田は苛立ちを隠さなくなった。
「尖ってるフリしたいんか知らんけど、そういうのって自分に才能がないの誤魔化してるだけやん。なんかお前見てると、自家中毒っぽいっていうん?こうやってライブやってる以上、一応商売なわけやん、ただ自分らが楽しくてやってるなんてそりゃ結構な事やけど、もうちょい頭使って考えた方がええんちゃうの、そろそろ」
 酔ってはいるものの、和田の言っている事は冷静だった。「ぼちぼち」と蒼介は言ったが、この数ヶ月でキャロッツの集客が目に見えて増えている様子はない。問題なのは、それに対して蒼介が何の感情も抱いていないであろうという事だった。
「いつまでもフラフラやれるわけちゃうんやから。なあ。彼女かって応援してくれてんねやろ」
「何で俺が何も考えてないみたいになってるわけ?」私への言葉を遮るように、蒼介が咥え煙草で言う。口調は軽かったが、その目はもう笑っていなかった。
「考えてるように見えへんからや。ライブ、ずっと変わらんしな。じゃあ何をどう考えてんのか言うてみいや」
「お前がどう思うかは知らねえけどさ」
「いやいや、正直なこと言うたってんねん。ほんまよく言えば不器用よな。でもそれさ、悪く言うと何かわかるか?馬鹿やで」
 和田のその言葉に、ゆっくり煙を吐き出していた蒼介が声を低くした。
「うるせえんだよ、洋楽かぶれが」
「はあ?」
「説教とかめんどくせえからやめてくんねえかな、そんな話聞きに来たわけじゃねんだわ」
 蒼介は根元まで吸いきった煙草を灰皿に押し付ける。
「誰もほんまのこと言うてくれへんのやから、ありがたく思えや」
「頼んでねえわ。新譜も聴いたけどさ、何の影響か知らないけど急に小難しいことやってんじゃねぇよ。歌詞もこねくり回してるだけで何を表現したいのか全くわかんないっすわ。小手先でポップスから逃れようとしたって無理だぜ。そんなのただの猿真似だわ。正々堂々と日本人にわかるようにやってくれよ」
 決して自分のペースを乱さない蒼介が、怒りらしきものを顕にしているところを、私は初めて見た。
「はは、言うてくれますやん。けど他人の心配してる場合ちゃうで」
「じゃあお前がさっきから偉そうに言ってる、その通りにしたら売れんのか?」
「俺ら?俺らは売れるに決まってるやろ。そうなるように動いてるからな」
「あのクソだせぇMCしなきゃいけないんなら願い下げだわ」
 何かを言いかけて、和田は諦めたように大きなため息を吐いた。
「ほんまに何も考えんとやってんねんな。心配したってんねんこっちは。お遊びの青春ごっこなら勝手にせえや。一生バイトしながら内輪でライブやって、歳だけ食って踏ん反り返ってるライブハウスのオッサンになり腐ったらええんちゃう?」
 蒼介は黙っている。
「でさあ、どうでもええけど、二年くらいずっと言ってるアルバム、それいつ出んのよ?」
 和田は笑いながら呆れたように吐き捨てた。いつの間にか私のすぐ後ろで、ラブが二人の会話を聞いていた。店内はそろそろ清掃に入る時間で、スタッフが長机のスナック菓子を片付け始めていた。

 揉み消されたアメスピが灰皿でくすぶっている。携帯の画面を確認すると、『Cigarett ends』と打ち込まれていて、こちらを斜めに見据える和田の顔が大きく映し出されている。昔より少し伸びた相変わらずの黒髪に、年齢の割には幼さを感じさせる顔。あの夜『Giraffe』の看板に書かれていた和田のバンド名は何だったか。『シケモク』だ。英語にしただけじゃねえか。心の中で突っ込みを入れる。遠くで人々が談笑する声が聞こえる。パーティーは終わったのだろうか。あの日蒼介が傷ついたのは、和田の言葉にではなく、私の中に和田と同じ気持ちがある事を感じ取ってしまったからだった。 

今君が言おうとしている事がわかるよ 君は僕にそっくりだから
言葉は少ない方がいい 鐘の音が僕たちを包むよ
そしたら君は笑うだろう 一番大切なセリフを明日に残して

 あれ以来、シケモクがどうなったのかは知らずにいた。今日、披露宴会場で聴いたあの曲のサビは、紛れもなく、蒼介が書いたものだ。
 大事な事を言わない蒼介の癖は、彼のせめてもの強がりであり、不器用な愛情表現だった。私はまだ三本ほど残っているアメスピのボックスをゴミ箱に投げ入れ、夢の中にいるような気持ちでふらふらと二次会の会場を後にした。

読んで下さってありがとうございます。思考のかけらが少しでも何かの役に立ったなら幸いです。