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心が動いたとき、ついやってしまうこと

日曜日、家族でプールに行った帰り道。(この寒空の中)

温水プールではしゃいですっかり満足した娘と、私は、車の後部座席で、ぬくぬくうとうと。
もう自宅近くになり、今日も(たいしてお金もかけずに運動できたし)平和な休日であった、などと思いながら。

湾岸のビル群を抜け、車が大きな橋に差し掛かると、急に視界が開けて、うわっと、美しい夕焼けが広がった。

向こう側には、都心のビル群がオレンジ色に映えて、レインボーブリッジのシルエットが美しい。東京の絵葉書にでてきそうな構図。
なんともいえない橙色と群青色のグラデーション。いわゆるマジックアワーと呼ばれるやつだ。

うわー、すごいの見れたねー、よかったねー!
流れる夕焼けを見ながら、私は十分満足していたのだが、案の定、夫は何も言わずに車を路肩に停め、もう外に降りようとしていた。

え、あれ?ここ車止めて大丈夫なとこ?

うん。たぶんダメだけど、ちょっとくらいいいんじゃない?

そうなのだ、私は知っている。
彼は、心が動いたとき、必ず写真を撮りたい人なのだ。

元写真部の彼にとって、写真を撮って、記録して、共有することはとても自然なことのようで。子供をスマホで撮りまくるのは私も同じだけど、日々食べたものや、その日の空、季節の移り変わりの一瞬など、ふとした瞬間を切り取ってスマホのレンズに収めている。

はじめは、やけに写真を撮る人だなあと(不審に)思っていたけれど、きっとカメラマンの人とかもこうなんだろう。心が動いたとき、シャッターを押さずにはいられない、そういう人種がいるんだということがだんだんわかってきた。

だから、おいしそうな料理を目の前にして、何よりもまずスマホのレンズを向けるのを、最初は、ちょっとその振る舞いはどうなの?と思うこともあったが、それは彼にとって自然な感情の表現なのだ。

今では、彼がふと立ち止まって何かにレンズを向けるとき、あ、今心が動いたんだなあとすぐわかるので、わかりやすくて、楽しい。

心が動いた瞬間、彼はきちんと立ち止まって、その時一番いい角度から、レンズを向ける。
私は、それがすごいと思う。
よくカメラマンの人が這いつくばって撮影していたりするけれど、それって、恰好つけてやってるんじゃなくて自然とそうなっちゃうんだね。

私は、いい景色をぬくぬくの場所から見ていたい人。だって外は寒いもん!
でも、暖かい車内から颯爽と外に出てく夫を見て、この人は自然とそうしたい気持ちになるんだなあ、と思って、なんだかいいなあと思う。

寒いー。けど私も車を降りてみる。

瞬間、自分が夕焼けに包まれたのがわかった。
私の低い鼻とか、短いまつ毛が光を受けて影になる。
ふぁー、さむっ!けど体いっぱいに夕日を浴びてるー!

後ろをびゅんびゅん車が通りすぎてく。
観光地とかではないから、わざわざ夕日の写真をとるのに停まる車もいない。
そんな中、夕焼けに向かってシャッターを切る夫の背中。

さっ、行こか。
すっきりして家路を急ぐ夫。
きっとあとで共有してくれるんだろう。

別にプロのカメラマンでもない。
誰かに頼まれたわけでもなく、報酬があるわけでもない。なのについやってしまうこと。自然と手が動いてしまうこと。
心が動くと、そうせずにいられなくなること。
きっと誰にでもあるんだろうな。

それが夫にとっては写真なんだろう。
私にとっては音楽だったり、ピアノなんだけれど、最近は、心が動いた瞬間を文章に残しておきたいという欲求がある。
それがまだうまくできないんだ。うまくできないんだけど、すごく難しいけれど。
少しずつ練習と思って、心が動いた瞬間を文章に残していきたいな。
いつか自然に、それができるようになりたいな。



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