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わたしの京都移住プロジェクト#1

昨日、そこそこ大きな決断をしました。

これまで人生のターニングポイントは何度か経験してきましたが、きっと昨日もそんな日だったのではないかと思います。

そして、後戻りできないように、早速Twitterで宣言しました。

4月から、京都と東京の二拠点生活を始めます!!

「何を急に!?」と思われるかもしれませんが、実は7年ほど前から(いや、元を辿ると10年前かな…)ずっと京都に住みたいと言っていました。
昨日、突如この決断に至ったのは、いつまでも「京都に住みたいけど〜」とかウダウダ言っていたらお婆ちゃんになってしまう!と思ったためです。

せっかくなので、今の心境を未来のために書き残しておこうと思います。

まず、わたしが京都を好きになったきっかけは、大学時代にハマっていた森見登美彦氏の小説。森見先生の作品はほとんどが京都が舞台で、京大生の主人公が繰り広げる奇妙奇天烈な世界にグングンと引き込まれていきました。純粋だった学生時代のわたしは「京都って面白い人が多いんだなー!!」と、東京には無い何かを感じ、京都に憧れを抱くようになりました。

その後、何度か京都へふわっとした旅行へ行き、ふわっと「やっぱり京都っていいな〜」と思うように。

時は流れ、社会人になり、完全に就活負け組となったわたしは一年半で会社を辞め、なんやかんやで(話すと長くなるので割愛)料理の道へ舵を切ることに。
人生のどん底に陥っていたわたしは、とにかく「一度東京から逃げたい」と思い、「そうだ!精神鍛錬の修行も兼ねて、憧れの京都で旅館の仲居さんの仕事をしてみよう!」と閃きました。

…あ、今ものすごく省略して書いてしまったので、「!?」という方は、こちらをご参照ださい。話すと本当に長くなるんです。笑

京都に憧れた奈良時代

そこで、京都で仲居の仕事を探していたのですが、なにやら京都の旅館は未経験者NGの求人ばかりということで、「京都がダメならお隣の奈良で!」と、奈良の旅館で4ヶ月ほど働くことになりました。(奈良の皆様ごめんなさい。結果、奈良も大好きになりました。)

初めての経験である仲居のお仕事は想像以上に大変で、心身ともに毎日ヘトヘトになりながら働き、休みのたびに京都へ遊びに行くのが唯一の癒しでした。

…しかし、奈良にも京都にも知り合いはおらず、一人きりで幽霊のようにふらふらと彷徨う毎日。ある時「貴船神社に行ってみよう!」と思いたち、出町柳駅から叡山電鉄に乗ろうとしていたところ、「左京区スタンプラリー」と書かれた紙を発見。読んでみると、"スタンプラリーの加盟店舗に行くとスタンプがもらえ、スタンプを3つ集めるとプレゼントがもらえる"という催しでした。

出町柳のサボテン屋さんとの出会い

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左京区スタンプラリーの紙を握りしめて貴船神社へ向かったわたしは、何を思ったか、バスに乗らずに徒歩で駅から貴船神社を目指し、出町柳に戻った時にはぐったり。人間、悩んでいると変な行動をするものだ。

「貴船でスタンプ2個稼いだし、あと1個でプレゼントがもらえるぞ。さあ、どこへ行こう。でも、ご飯は食べちゃったし、お金も大してないなあ。あ、『棘屋』というサボテン屋さんがある。サボテン買うか分からないけど、面白そうだからとりあえず行ってみよう。」

そう思って足を踏み入れたのが、今でも仲良くしてもらっている、サボテン屋さんの「棘屋」さん。あの頃は廃墟のような雑居ビルの一室でサボテンを売っており(今は移転されて立派な自宅兼店舗を拠点にされています)、かな〜り入りづらいお店でした。若いって恐いもの無しだ。

衝撃だったのは、わたしが入店するやいなや、自家製のサングリアが出てきたこと。「一昨日漬けてみたんやけど、よかったらどうぞー」と。

促されるまま椅子に座ってサングリアを頂き、店主の駒さんとお話ししました。
一瞬「え、ここ飲み屋さんだっけ!?」と思ったけど、れっきとしたサボテン屋さん。サービスでサングリアをご馳走してくれたのでした。

あの頃のわたしを、駒さんは「死んだ目ぇした女の子が来たから、やばいなーと思ってサングリア出したわぁ」と言っています。笑

京都にも奈良にも友達がいなかったわたしは、駒さんが親切にしてくれたのが本当に嬉しくて(その日も2時間くらい話聞いてくれました)、東京へ帰る前日にもお邪魔し、夜中までワインがぶがぶ飲んで、お互い大好きなロックンロールのレコードを爆音で流して、夜を明かしました。楽しかったなあ。

↓当時の写真。エアギターかき鳴らしてる駒さんと、泥酔状態のわたし。笑

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そう、わたしが京都と繋がった最初の出会いはサボテン屋の駒さん。駒さんに出会っていなかったら、こんなに京都に想いを抱き続けなかったかもしれません。
今でも京都に行くたびに駒さんに遊んでもらっています。

ちなみに、サボテンを買ったことは一度もありません。笑

…これが2014年初め頃の話。
それから東京の生活に戻り、なんやかんやで発酵料理家という肩書きを掲げて日本酒と発酵食のマリアージュを軸に仕事をするようになりまして…。

人生のどん底からのスタートだったので、料理家としてある程度仕事をしていけるようになり、「好きなことを仕事にできて最高〜!!」なんて薄っぺらいことを言っていましたが、ふと立ち止まって、「待てよ。わたしって、本当は何をやりたかったんだっけ?」「何を大切にしているんだっけ?」「どう生きていきたいんだっけ?」と、2019年あたりから頭の中が疑問符で埋め尽くされるようになりました。

料理教室も継続できているし、目標だった雑誌のお仕事やテレビのお仕事も叶ったし、日本酒や発酵食の魅力も伝えられているし。でも、もっと本質的な、「自分はどう生きていきたいのか??そして、人間はどう生きるべきか??」というモヤっとしたものが、昨年はずっとあったんです。

それはきっと、「消費量が低迷する日本酒をどう普及させていくか」とか、「地方の良いものを、どう首都圏に知ってもらうか」といったプロジェクトに加わるようになり、全力で携わらせていただいたのですが、「そもそも、日本酒を普及させることや、地方の良いものを首都圏に知ってもらうことって、何のためなのかな?これらって、ある意味"地産地消"とは相反するものだよね。果たして、人間の生き方、暮らし方とは…??」と、根本から考え始めたからだと思います。

・目まぐるしく発展する世界だけど、一体どこに向かっているの??
・そもそも、こんなに便利なのに、これ以上発展する意味ってあるの??
・本当の豊かさって何??
なんて考えてしまって。

そんなモヤモヤっとした気持ちを抱えながら迎えた年の瀬。
とあるWEBメディアさんのお仕事で念願の連載を持たせていただき、発酵食品の生産者さんの取材に行きました。この取材が、最後の一押しとなったのです。

天地がひっくり返る出会い

それはそれは、刺激的な取材旅でした。
滋賀の鮒寿司、京都のすぐき漬け、どちらも土地に根ざした発酵食品の取材。
鮒寿司を通して見えてくる滋賀県民の暮らし。すぐき漬けから見えてくる京都人の暮らし。そこには、それぞれの暮らしがあって、何がその地域らしさを表しているかというと、それは「関係性」なのではないかと。

鮒寿司を介して培われてきた滋賀県民のコミュニティ。
食糧の生産地と消費地が近い京都のコミュニティ。
そして、そのコミュニティって、実は"人と人"だけではなく、自然や歴史や文化と密接に繋がっていて、その総合的な関係性で成り立っているのではないかと。いや、むしろ人間はもっと大きな地球の循環の一部分で生かされているのではないかと。

全国、全世界の様々なモノやヒトや情報が集まる東京では感じることのできない、その土地ならではの一体感のようなものを感じると同時に、わたしが兼ねてより関心を抱いていた環境問題持続可能性に繋がるものを感じました。

…このあたりの話は、またしても相〜当〜長くなるので、また別の機会にするとして。つまりは、何度も京都に訪れ、じわじわと京都のことが好きになってきたなかで、この取材旅では「なぜわたしが京都に惹かれるのか」を実感できた転機となったのです。

いざ、京都移住プロジェクト始動!!

さて、この取材旅は2019年12月のこと。
その後、年末年始の休暇中に、夫と「これからどう生きていこうかね〜」とたくさん話しました。そして、やっぱり京都に住みたいなあと。

夫とは10年以上の付き合いで、一番のよき理解者。
そして、野性爆弾のロッシーばりに相手のことを否定しない(「自分の好きなように生きればいいよ」、つまりは「京都に行きたければいいんじゃない〜」と言ってくれた)タイプの人なので、わたしはどんどんくっきー!と化し、暴走
でも、夫は東京の企業に勤めているので、近々に京都には移住できません。

じゃあ、わたしだけ京都に移住もしくは二拠点生活するか!!
と考えていたところ、ちょうど東京都内で「京都移住フェア」なる催しがあったので、行ってみました。

自分を動かせるのは自分だけだ

京都移住フェアでは、大変参考になるセミナーを拝聴し(これ単体でも記事を一本書きたいくらいですが、今回は割愛)、自治体ごとの「移住相談窓口」があったので、京都市のブースに相談に行ってみました。

そこで何が分かったかと言うと、「自分を動かせるのは自分だけだ」ということ。

私「東京で料理家の仕事をしているのですが、京都で自然に寄り添った暮らしをしながら、食の仕事をしていきたくて。夫を東京に置いて、東京と京都の二拠点生活がしたいんです。」

職員さん「そんな事例は今まで出会ったことないですね…。えー…、よかったら、あちらのブースへ…」

私「(たらい回しの予感…)」

そんなかんじで、職員さんもたじたじ。

…いや、というか、よく考えてみたら、限られた時間でわたしのバックグラウンドや想いを全て伝えることなんてできるわけがなくて。5分や10分ぽっち職員さんに話したって、わたしの生き方を決められるわけがない。(一応誤解を招かないよう補足しますが、職員さんが悪いんじゃないんです。笑)

そう思って、踏ん切りがつきました。

「人に相談したって、悩んでいたって、何も分かるわけがない。自分を動かせるのは自分だけだ。答えなんて分からないから、とりあえずやってみよう」と。

そして、旦那と相談して、その場で4月から京都へ行くことに決めました。

料理教室もそうですが、何かと4月に新しいことを始めるのが好きです。
フリーランスは自由であるものの、ともすればメリハリが無くなってしまうので、しっかり年度ごとに新しいことに挑戦していくことが私にとっては大事。
今こそ、挑戦の時なのです。

…ということで、長くなったし、まだまだ心の抱えていることは書き切れていませんが、まずは決意表明として、いよいよ京都での生活を始めることを宣言いたします!!
これから、どんな楽しいことが待っているかしら。ワクワクです。

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