荒んでる手稿:35歳の女子大生

▪️実はこの度女子大生になりました。

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田舎の弱小ハナクソ進学校に通っていた私は家庭の事情で大学進学を諦めた。
その頃の自分はもういろんなことに疲れ果てていた。働きながら進学するのは無理だと思った。

「学年で進学しないのはお前だけだからせめて就活実績だけでも作れ!」と先生に言われたため、絶対に受からないだろうと思って市役所事務の筆記試験を受けたらなぜか採用通知が来てしまうという珍事に見舞われつつも、
先生の喜ぶ顔を見た後で辞退の申し出をし、
とりあえず何の考えもなしに従姉妹を頼って上京した17年前。昨日のことのようだ。


自分の人生に全く悔いはない。
チャランポランに生きていても周りの人に恵まれて本当に幸せに生きてきた自覚がある。
不登校Youtuberが言うように、確かに人生の幸福度と最終学歴は比例しないのかもしれない。

でも私の場合はただ単に幸運が重なっただけ。香港のビザも夫がいなければ取れなかったし、働いてたキャバレーもオーナーが色々と根回しをしてくれていた。
拠点を変えてもなんだかんだ仕事を続けさせて貰えて、人に助けられて生きてきた。
でもいざ母親になった時「私は自分から人に与えられるものなんてあるのか」と考えるようになった。

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▪️幸運には自分の力で意味を持たせる

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たまたま尊敬する方に背中を押してもらって出場したBOB2021も、映像を作るのが楽しくて始めたことだった。コロナの自粛期間中に何度か投稿したショート動画を、大好きな先輩たちが褒めてくれたという幼稚な理由もあった。
おだてられるとデルソーレも木に登る。

しかしながら映像大会というのはまた別格である。自分で撮って編集していると際限なく反省点が出てくる。ショーも心から満足がいく出来栄えになることなど本当に少ないのだが、映像の場合は更に手応えがないので知識がないと病む。

ただ、この混沌の中でこれからどうバーレスクの文化を繋いでいくかと考えた時に、
私には「必修だ」と思えた。

また運良く3位に食い込んでしまったことで、
私は学びたい!という欲求を抑える術を失った。


"幸運には自分自身の力で
意味を持たせなければならない"

私は常々ラッキーで怠惰な人間だ。
だからこそ、この信条を貫いている。
しょっちゅう自分の実力以上の評価をもらうことがある。それは周りの力であったりタイミングであったりと、純粋な外的要因である。
しかし私はそれを謙遜しすぎずありがたく受け取ることにしている。
今は相応しくないと思っても、これから相応しくなればいい。だからこそ頂いた幸運は必ず"意味があるもの"にする。
あの時彼女にこれを与えたことは間違っていなかった、そう思わせることが出来れば誰も文句を言わないのだ。多分。
だから私は今学ばなければならない。そんな気がする。うん。
動機なんてザックリだ。
今思えば、バーレスクを始めた時もそうだった。


▪️通信制大学という選択肢

専門学校で学ぶには時間が足りなすぎる。
理不尽と不安定な自我、それを補って余りある可愛さを兼ね備えた3歳児を育てている私には
毎日通学する余裕がない。

でもyoutubeやセミナーで独学で学ぶのは知識量に限界がある。
しかも自分はレッスンで金を貰っておいて、自分の学習はタダで済ませようとするなんてちょっと理にかなっていない。
もちろんYoutubeなんかで知識をシェアしてくださる方には感謝しかないけど、あくまであれは応用であって、基盤のないところに積み上げたとて想定外のことが起これば簡単に崩れてしまう。
まごうことなき昭和生まれである私は、そのシステムにまだ慣れていないし、それを活用出来るほど若くもないのだ。

母親でも、仕事をしながらでもきちんと基盤を学べるのはどこかと考えた時に
通信制大学という選択肢があった。

これなら大卒も取れる。次に海外で暮らす時も自分でビザが取れるかもしれない。
何よりあの時疲れ果てて諦めた18歳の自分を、35歳の私が救ってあげられるかもしれない。

18歳のあんたはよく頑張ったよ!バイトしながら高校の学費を納めて、めげずによく生き抜いてくれた。あんたが生きていてくれたおかげでおばさんになった私は、あんたが知りたかったことや学びたかったことを全部回収してあげられる。
おばさん最強の生き物ぞ!!…と。w

一時的にモルヒネでごまかしても痛みは必ず戻ってくる。誰かや何かに救いを求めるよりは、生きて生きて、それから自分で過去を癒していく方が結果的にダメージが少ないと私はそう思う。

"ちなみに私がおばさんを自称するのは自嘲的な意味ではない。私にとって「おばさん」とはタフでストロングな女の総称である。
「お姉さん」なんて呼ばれるようなシャバい生き方はしていない、反吐が出る!
若い女子と同じ扱いされるなんて御免だわ!
どうぞおばさんと呼んで!!"


▪️究極の奥義 「育て直し」

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歳を取ることは本当に幸せなことだ。
くだらないことで悩まなくなるし、バランスも取れるようになる。

思春期に自我が崩壊した私に、母親は言った。

「みんなが親と手を繋いで階段を歩く時期に、私はあなたをエレベーターに乗せてしまった。
あなたはもう一度階段を登り直さなければいけない時が必ず来る。申し訳ない。」と。

私には18歳の時、25歳の時に自分の「育て直し」があった。
しかし大層なことではない。人から見たら本当に幼稚なことを、私はきちんと学ばなければいけなかった。

18歳の時は「お前がやらなければ終わりは来ない。トイレに閉じこもって泣いたって、誰も"もうやめていいよ"とは言わない。それが仕事だ。」と言われた。覚悟と責任を思い知らされた。
そしてその人は2年間、絶やさずに私に仕事を与え続けてくれた。最後は「お前が幸せになるのは権利じゃなくて義務だ。二度と戻ってくるな。」と泣きながら送り出してくれた。

25歳の時は夫に出会った。
彼は私を甘やかして甘やかして「もう自分で全部背負って勝手に破綻するのはやめろ」と言った。
出来ることと出来ないことがあるのは当たり前で、それを受け入れろと教えてくれた。
私がこの歳までバーレスクダンサーとして存在し続けられるのは、この時に自分の能力を見極めてバランスを取ることを学んだからだ。

そして35歳でまた、その時期がきた。
謂わば私はやっと「大学生」まで育て直された。
今だから言える。

"何度でも育て直したらいい"と。
別に回数の上限が決まっているわけではないんだから、納得いかないなら止まった場所から育て直したら良い。
「出来るよ!」と励まして「よくやったね!」と褒めれば良い。自慰だ。人生なんて自慰なのだ。

やり直すのと育て直すのは違う。
過去を捨ててやり直すなんてのは不可能だ。
「可哀想な自分」を餌にブクブク肥えて、ふとした時に噛み付いてくる"過去"という獣は、
殺さずに育て直したほうがいい。
この獣は育て直すと自分の味方になってくれる。周りにウザいヤツが現れた時はスッと出てきて「あいつはダメだ!これ以上近づいたら咬み殺すぞ!」と威嚇してくれる。
そして何かを創っていると、とんでもない肥やしを置いていってくれる。
(が、たまにクソも置いていく。)

とにかくめちゃくちゃ頼りになるのだ。


▪️腹に溜まる本当の学び

昨今なんでも「学び」だの「気づき」だのと簡単に口にする人達がいる。

いちいち気づいちゃって大変だなお前は!と度々毒づいているわけだが、
まあそれはいいとして…咀嚼しただけで食った気になっても、腹に落とさなければ空腹は凌げない。

得てして、咀嚼だけするやつは大人になってから年下から学ぶのを嫌がる傾向にある。
強烈な自意識がなんでも"噛み砕いた気"にさせるのだ。

それは周りから「あの人は出来ない人だ」と思われることよりも、遥かにダサいことだと私は思う。
学びには必ず失敗と恥がある。それを抜きにして腹に溜めることは出来ない。そこにクソみたいなプライドや人の目を介入させる余地なんかない。

35歳で大学生になったって
それがFランだろうが通信だろうが
何も恥ずかしい事はないし、
後ろめたいことはない。

先にも書いたが歳を取ることは幸福だ。
若さは取り戻せないけど、年々「過去の私」という味方が増える。知識も経験も積み重なる。

なんなら、もう今アベンジャーズみたいになってる。(ただし私の場合、全員ハルク。)

恥も外聞もなく、欲望に正直に。
やりたい時にやらせて頂く。
だって明日も歳を取るんだから…。

私は4年を費やして、若いバーレスカー達が「映像撮りたいけど金も時間もない…」と泣いてるところに無償でいつでも駆けつけることができる
暇なBBAになりたいのだ。

だから若人はみんなショー頑張ってね!

ハルクのように力技でまとめた。終わり。




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