見出し画像

女子校出身者が考える女子校のメリット

女子校に6年通い大人になった30代の私が、女子校のメリットってなんだろう?と改めて考えるきっかけ。それは、埼玉県の苦情処理委員会による、県立の女子高•男子高を共学化するべきだという提言。

勧告文には「男女の役割についての定型化された概念の撤廃が求められている。」とあり、「共学化により男女平等の達成に繋がる」という考えのよう。これは少し考えればそんな単純な問題でないことは明らかで、建前としての理由だろうなという印象を持った。男女別学を一括りにできるものではなく、女子高・男子高のメリットや問題点はそれぞれ分けて考えるべきだろうとも思う。

そこで、中学・高校の6年間女子校に通った経験者として、女子校について思うところをまとめてみる。

1. 世の中の女性蔑視に気づかず育つ

よく言われることだが、女子校には女子しかいないため、男子に頼るという発想がない。なんでも自分たちでやるし、「男子から女らしく見られるように、こういう風に振る舞わないと」という意識がない。バカな振りをする必要もない。世の中に女性蔑視というものが存在するなんて、気づいていなかったと思う。同時に、フェミニズムの存在も知らなかった。

卒業後大学に進学すると、日本の大学に進学した友人の多くが「共学出身の女の子ってめっちゃモテる。うまく男を頼ったり、自分をかわいく見せたりする技を持っていてすごい。重いもの持ってもらうとか。何あれ?」と驚いていた。(私はアメリカの大学に進学したため少し状況は違ったが、それはまた別の機会に書こうと思う)

そして、次の章に書くとおり、悲しいことに女性蔑視がバチバチに仕上がった男と付き合ってしまい、何がなんだか分からず傷つくというケースも多かった…

せっかく「女らしく」いる必要がない環境で育ったのに、世の中にはそんな期待があるのだという現実を知らず、女性蔑視から身を守る術を持っていなかった。「女らしくいる必要なんてない、そんなことを言う方がおかしい」と言い返せる準備ができていなかった。

2. 男がどういう生き物なのか知らずに育つ

私は中高6年間女子校だったため(幼稚園から大学まで同じ女子校に通った友達もいた)、私が知っているリアルな男子というのは小学6年生の記憶で止まっていて、次に男というものとまともに対峙したのは大学1年生のときだった。同じ男子を比べたわけではないが、あまりにも何を考えているのか理解できず、この6年の間に何が起きたのか!?と衝撃を受けた。

なぜ私が女だからといって当然のように料理ができると思っているのか?
なぜ私が女だからといって一歩下がるものだと思っているのか?
なぜ男子は女子のランク付けをしたがるのか?

本当に意味が分からなかった。
でもそれが男尊女卑・家父長制・女性蔑視によるものだということを知らなかったため、モヤモヤはしたがそっちがおかしいのだとすぐに言い返すことができなかった。

似たような経験をした友人は少なくなかったと思う。

3. 校則に守られる(部分もある)

これは女子校についてというより、「厳しい女子校」についての考察になる。私が通った学校はとても保守的で、校則が異様に厳しかった。スカートは膝下。膝が見えてはいけない。化粧してはいけない。眉毛を整えるのもダメ。爪を磨くだけでもダメ(そういえば、「磨こう学力、磨かない爪」という微妙に語呂が悪い決め台詞?を言う先生がいた)。髪を染めるのももちろんダメ。髪のゴムは黒か紺。学校帰りにどこにも寄ってはいけない。コンビニすらダメ。帰り道を先生が何人も見張っている。

最も納得がいかなかったのは、ポニーテール禁止。髪を垂らすのも禁止で、肩についたら二つ結びにしないといけない。ポニーテール禁止の理由はどこにも明記されていないが、「うなじが見えると男性を誘惑するかららしい」という噂だった。周囲に教師以外の男性がいないため、本当にそんな効果があるのか謎だったし、あったとしてなんで私たちが男性のために髪型を変えないといけないのか?という疑問をずっと持っていた。

中高生だった当初は、あまりにも校則が厳しくずっと見張られている感覚に辟易していた。大人になって、女子中高生を加害のターゲットにする大人があまりにも多いことを知り、少なからず校則に守られていた部分もあるんだなと気づいた。帰りにどこにも寄ってはいけない(寄る場合は親が事前に申請)、下校時の見張り等は、悪い大人が近づかないように守ろうとしていたんだろうなと思う。

外見に関するあらゆる校則については、いろいろと思うところがある。化粧してはいけない等とただ制限をかけるのではなく、「女だからといって媚びる必要はないのだ」と教えて欲しかった。社会に出ると、「女は化粧するべき、いつもきれいでいるべき、美しさに価値がある」と嫌というほど言われるが、そんなこと言ってくる方が間違っているから断固拒否して良いのだと教えてほしかった。

実際、文化祭などで来校した卒業生を見ると、厳しい校則から解放された反動からかほぼ全員髪を染め化粧しピアスを開けているのを見て、一体この校則は何のためにあるのだろう?と当時疑問に思ったのを覚えている。べつに本人たちが好きでやる分にはもちろん構わないのだが、中には「女らしく」を本心ではやりたくない卒業生もいたと思う。大学に入って女子力!女子力!と圧がすごいので、なんとなくそうすべきものなのだと感じ取って外見を変えた人もいたんじゃないか。

ポニーテール禁止(特にその理由)については性差別を助長するものだから、いまだに校則としてあるなら早く撤廃した方が良い。

結局、女子校で学ぶメリットはあるのか?

女子校の悪口を書いているように聞こえるかもしれないが、共学で育った"デキる"女子のように、女らしい振る舞いや男を喜ばせる言動をマスターしていれば良かったとは全く思わない。

いや正直、大学生くらいの頃はそう思った部分もある。世の中の半分は男なんだから、女だけの環境というのは不自然で、男が思春期に何を考えどう育ったのかさっぱり分からないまま大人になるのは、あまりにも無防備だ。うまく振る舞えた方がこの世でサバイブするのに得じゃないかと思った。

でももっと大人になり世の中のことが分かってくると、女子校にいて「女らしく」を押し付けられない環境はものすごいメリットだと考えるようになった。

一方で、社会に出れば嫌でも食らう女性蔑視というものの存在や、校則一つ一つにどういう意味があるのかも併せて教え(意味のないものは撤廃し)、家父長制の波に飲まれず強く生きていけるよう教育することもセットで行うべきだと強く思う。

せっかく女子しかいない環境なのだから、「今皆さんは大学受験のため必死に勉強し将来の夢を描いていますが、大人になり、男性からキャリアを諦め家庭に入れと言われたらどう思いますか?」を議題にテーマにみんなで議論するとか、そんな時間があったら良かったのになと思う。男子がどう思うか気にすることなく、世の中の性差別に考えが染まってしまう前のピュアな子どもが率直に議論ができるチャンスだった。

私が中高生だったのはもう20年も前の話だが、今はどうだろう?
埼玉県の報道を見ていると、男子校にのみ「理数」分野の学科が設置され、女子校にのみ「家政」「外国語」分野の学科が設置されていたり、男子校の多くは「リーダー育成」を目標に掲げていたのに対して、女子校は「地域貢献」を掲げる学校が多く、目指す学校像の傾向の違いが顕著だと指摘されていた。

女子校が性的役割分業の再生産に貢献するような教育をしているなら、やめるべきだと思う。ただし、それは共学化すれば解決するという問題ではない。共学校こそジェンダー教育はとても重要だし、男子の目を気にせず自由に意見を言える環境が女子校よりも作りづらいことを考えると、女子校のそれよりよほど難易度が高いとも言える。

女子しかいない女子校のメリットを最大限活かして、「女らしく」の圧に負けない女性を育てることは可能なはずだ。一概に女子校が良い悪いとは言えず、すべては教育の内容にかかっている。とりあえず共学化すれば良いだろうというのは、とても安易な考えだ。ツイートにも書いたが、既に全国の高校の9割は共学で、それでもなおジェンダーギャップがこんなにも大きい日本という現状があるのだから、男女別学か共学かの形式を変えるという安易な解決法に走らず("やってる感"を出すのではなく)、教育の内容をじっくり見直すべきだろうと私は思う。

埼玉県の共学化に関する出典:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?