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番外編

僕も今日から劇場入りで、レポートも忙しくなると思うので、その前に今回は番外編です。なので、読んでもらっても読まなくても。レポートといいながら、宣伝よりになりすぎているなと思って。

僕が暇なぁ人だなと思われながらも、時間が許す限り稽古場にいる理由です。

このレポートの最初にも書きましたが、稽古が始まる時点で僕の仕事の大半は終わっているわけです。
本来なら、週に1回くらい顔を出して「よくなってるね」と肩を叩いて回った方が「晴一さん、ちわっす」って感じで、原作者が現場に来るレア感が出ると思うのですが。

そう思いながらも、稽古場に入り浸るのは、一つは稽古場の中に満ちるエネルギーが気持ちいい、ということがあります。これも書きましたね。

他に理由を挙げるとしたら、どういう力学でミュージカル制作が行われているか知りたい、ということもあります。
力学というのは、制作に関わる人の力関係という意味です。

「ヴァグラント」の幕が開ける前にいうのもなんなんですが、僕としては次も作りたいと思っています。幸運にもそういう機会に恵まれたとしたら、です。今回の僕のように挑戦者枠にいるわけにはいかなくなるわけです。
その枠を出るためには、作詞作曲やプロットを作る能力の向上は当然ですが、今書いたような「どういう過程を経て劇場の幕が上がるのか」を知っておく必要があると思っています。

ーーー前置きが長くなったな。

複数人が関わる仕事ならどんな現場でも各々の「職域」を意識する必要があると思います。
野球で言えば、投手コーチは、選手のバッティングに対して打撃コーチを超えてアドバイスをしたらいけないのです。
例え、そのアドバイスが正しいものだとしても、それをしてしまうと組織がうまく回らない。組織として良いパフォーマンスを生む方向にはいかないでしょう。なので尊重し合う必要がある。それが職域の考え方です。

職域を隔てる壁は、いかなる場合も変わらないか、と言えばそういうことでもなく、時期によっても変わってくるような、割と柔らかい素材でできていると感じています。
超えてはならないが、そのエリアは変わる、時期によって、という話です。
野球チームのことはともかく、ミュージカル制作の現場では。

職域とは「その時、ヴァグラントは誰のものか」と言い換えることもできると考えます。

数年前、僕の頭の中に生まれた佐之助とトキ子は、つまりヴァグラントは完全に僕のものです。
まあ、そりゃそうですよね。あなたの頭の中の夢には誰も触れることができないことと一緒です。

そして、アミューズの舞台チームや板垣さんと制作を始めた時点で、ヴァグラントは僕だけのものじゃなくなります。
それでもまだ少人数ですし、開幕という締め切りも決まっていなかったプロジェクトですから、職域という壁はとても曖昧で揺らぎのあるものでした。

そういう時期を経て、板垣さんはプロット作り、舞台チームはキャスティングや予算作りなど、僕は作詞作曲など、それぞれの作業に入っていきました。
まだどんな変更も可能という意味で、職域と言い切るほどではないけれど、それでも、なるほど、そのエリアがあなたの管理地ね、というくらいはわかってきました。

そして今年の初め、脚本の決定稿が上がり、キャスティングが固まり、音楽監督や衣装、メイク、その他諸々のスタッフの顔ぶれが決まっていきました。
この時期のヴァグラントが一番、たくさんの職域の種類と面積があった気がします。
各々の職域の中で自由にクリエイティブに勤しむ時間でしたから。
クリエイティブに集中するには、安全で十分な面積のエリアが必要です。

ヴァグラントが僕の頭の中だけにあった時。
僕の原作者としての壁は高くて頑丈なわけです。安全です。

でここからです。

稽古に入る時期が近づいてくると、スタッフの職種によっては職域が狭まってきます。稽古が始まるまでに終わらせることが求められる職種は。繰り返しますが、代表的なのが僕です。

これが時期によって職域が変わる、という意味です。

曲は僕の手を離れ、音楽監督のもとへ(※)。
歌詞は僕の手を離れ、脚本家のもとへ(※※)。

そして、それらは、演出家に集約されていきました。
これまでの制作過程でも演出家の意向というのは重要でしたが、それにも増して。
船頭多くして船山にのぼる、を徹底的に避けるという印象です。
衣装もセットも照明も。何から何まで。

ーーーこの先は(これまでも)僕の主観と僕の言葉なので、何言ってんだこいつ、と思われる舞台関係者もいると思いますが、大目に見てもらえたらありがたいです。

稽古場に入った序盤は演出家のものなんですね。舞台って。そう見えました。
(いやもちろん、役者をはじめ、この時点でもたくさんの人がたくさんの立場で、クリエイトはし続けてたけれど、極論でいうと、です)

演出家は、どういう世界を作ろうか、まるで軍師が地図を見ながら戦略を考えるように、いろいろな可能性を求めて、役者にリクエストをしていきます。
ーーーこのあたりは過去のレポートを見てもらうとして割愛します。

そしてその後、ヴァグラントは誰のものになるのか。
そうです。役者の職域の中にどっぷり入っていくんです。
このレポートの回に書きました。
もう少し具体的な例を紹介すると。

稽古の終盤に板垣さんに、あるセリフを足して欲しいとお願いしました。

ちなみに僕の職域のスペースはもう1LDKくらいです。
それでも全然満足はしています。
言ってみれば、子育て中に住んでいた一軒家を、子供が巣立った後に売り、気楽なマンションに移り住んだ、みたいなことですから。
ーーーそれでも、マンションの棚には「新藤晴一 プロデュース」という小さなメダルがあるので、お願いするくらいは許されるとして。

話し合いはあったにしろ、板垣さんは足すなら、と、セリフのアイデアを考えてくれました。
でもそれを採用にする前の注釈として、板垣さんから「いずれにしても、稽古をやってみてです。このセリフが役者が頭の中で作っているものとバッティングしたら変更はできません」というのがありました。

役者のものになっていく、というのはそういう意味です。

冒頭にも書きましたが、今日から劇場入りです。
幕が開いてしまえば、誰がどう言おうと役者のものになります。
舞台の上のこの時間だけは、作曲家も演出家も音楽監督も居場所はないのです。

そして幕がおりた後は、ヴァグラントが見にきてくれた人たちのものになりますように。


※音楽監督のもとへ
稽古序盤のことです。音楽がまだ少しくらいは僕の職域にあった時代の話です。
「♪おふねのえんとつ」の歌への導入部分のアルペジオのあり方について、少し変えたいと相談しました。
さゆりさんは変更してくれました。その場面はよくなったと思いましたが、それが後の場面に影響してくるとは、僕は知りませんでした。
「音楽にも伏線がある」とはさゆりさんの言葉。
曲が僕の手を離れてさゆりさんの職域に入った時点で、ミュージカルの音楽として組み込まれていったのです。

※※脚本家のもとへ
上記の音楽監督へ、と同じようなことです。
僕が曲を作って歌詞を書く時、脚本家である板垣さんは、僕から出てくる歌詞をほとんど全部受け入れて脚本にしてくれました。
しかし、稽古中盤になると、僕が歌詞の変更をしたくても簡単には受け入れられません。そこまで作っている物語の作りに関わってくるからです。脚本家で演出家の職域なわけです。


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