見出し画像

宝塚「応天の門」の原作にハマったわけー平安貴族の日常は占いづけ

宝塚歌劇団ホームページより 

宝塚の舞台の前に原作の魅力にハマる

 宝塚歌劇団月組公演『応天の門』が明日30日に千秋楽を迎えます。生の舞台は4月4日ととっくに見終わっていたのですが、忙しくて感想を書かずじまい。ところが、その間にずっと原作漫画にハマっていました。宝塚ファンは予習好きで、原作があると読む人が多いでのす。

 私は漫画はあまり読まないタチですが、AmazonのKindleで1巻が無料で読めたのでダウンロード。これが滅法面白く、先へ先へと進み、なんと今14巻です。当初は「こんな三白眼の少年道真が、完璧なお顔を持つ美形の月城かなとにぴったりのはずがない。演出の田淵(大輔)先生、変人!!」なんて思っていたのですが、次第に漫画を舞台化したいと思う気持ちがわかるようになりました。

 『応天の門』は「平安朝クライム」とつくように、菅原道真と道真より20歳年上の在原業平が二人で謎を解くクライム・サスペンスです。サブタイトルに「若き日の菅原道真の事」とあるように、道真が文章生(もんしょうじょう)という学生だった17歳くらいからおそらくは「応天門の変」が起きる21歳くらいまで、もしくは文章得業生(もんじょうとくごうしょう)となった22歳くらいまでが描かれるのではないかと思っています。まだ17巻で、連載は続いているので、終わりは見えないのですが。

『応天の門』第1巻

宝塚なのに道真は恋愛せず謎解きに走る

  平安時代は寿命が短いので早く結婚するし、貴族の男性は10代から女の元へ通う人も多いので、少年の道真が恋をしていてもおかしくありません。ですが、彼が夢中なのは学問です。そして科挙のある唐へ行くことを夢見ています。この時代の唐って、1980年代までの日本にとってのアメリカみたいな存在のように思えます。高度な文明があって、科挙にさえ受かれば、貧しい家に生まれても官僚になれる平等な国、と道真は思っている。アメリカンドリームならぬ唐ドリームですね。

 『応天の門』の恋愛担当は鳳月杏演じる在原業平です。舞台化も原作に忠実なので、主人公の道真は恋愛しません。娘役トップの海乃美月ちゃんは昭姫という姉御肌の女主人の役を演じています。昭姫は唐の後宮の元女官で、事情があって日本へ逃れてきました。京で都の遊技場を束ね、唐物を扱う商売も手広くやっています。昭姫は貴族が大嫌いと公言する女性ですが、実は道真もそう。二人は人間として好感を持ち、心を通わすけれど、それは恋ではないんですね。道真には恩師の娘である許嫁の宣来子(12歳)がいて、彼なりに大事に思っていますから。

 もし田淵先生でなければ、原作を改変し、道真が昭姫に淡い恋心を抱くとか、あるいは、宣来子の年齢を少しあげて、二人の恋愛模様を描くとかしたかもしれませが、それはない。唯一の恋愛要素は、『伊勢物語』に出てくる業平と藤原貴子の逃避行の回想と、今でも互いを思っているという場面です。それで良かったと思いますし、恋愛を抜きにしても十分に面白いのが『応天の門』のすごいところです。

『応天の門』の魅力は貴族のワイルドさと道真の成長

 では、何が面白いのかといえば、私的には平安貴族のワイルドさですね。平安貴族には和歌など詠んで雅というイメージがありますが、平安初期の権力闘争は凄まじいです。この頃はまだ伴氏、源氏、紀氏といった奈良時代から続く名家がいて、藤原氏と敵対関係にありました。そして、藤原氏の中でも兄弟同士とか伯父と甥とか、一族ので争っていました。自分が権力を握るため、生き残るためには、人を殺しても構わない、手段を選ばない人たちなんですね。

 この時代は人の命が軽いです。例えば、道真の兄は間接的に藤原基経の兄たちに殺されたようなものです。彼らが飼っていた犬に全身を噛まれ、狂犬病で死んだのですから。それに対して詫びは一切なし。一応、貴族の嫡男なのにですよ。ですから、道真の父、天皇の侍読(学問を教える学者)の是善は道真に「藤原に近づくな」と忠告します。しかし、業平を手伝う過程でどうしても政争に巻き込まれてしまうのです。そして正義感の強い道真は、正しいことをするには力がなければダメだと身をもって知ることになります。漫画では学問にしか興味がなかった道真が、なぜ政治家となったのか、その過程が丁寧に描かれています。

少年時代の道真に思いを馳せた着眼点が素晴らしい

 菅原道真は無実の罪をきせられて太宰府に左遷されて死に、その呪いで道真の左遷に加担した多くの貴族が命を落としたので、太宰府天満宮の祭神として祀られた人です。その話は有名で誰もが知っていますが、若い頃に道真がどんな人だったのか、興味を持つ人はほとんどいなかったと思います。そこに目をつけた漫画家・灰原薬さんの着眼点は素晴らしい。また、在原業平は和歌や女好きなだけでなく、今でいう警察庁長官のような役職についたりしていて、かなり出世した人なんですね。きっと仕事ができて、処世術に長け、立ち回りも上手かったのでしょう。道真が人生の先輩である業平からそれとなく人としての「在り方」を学んで成長していく過程もこの作品の魅力です。

「物忌み」と「方違え」を決めたのは陰陽師

 占い師の立場からすると、貴族を筆頭に平安時代の人たちは全員が「スピ系」なのも面白いところです。医学も科学も今に比べるとないに等しい時代ですから、妖怪や祟りが本気であると信じていました。「医師(くすし)」と呼ばれる医師はいましたが、同時に「験者(げんざ)」や 「陰陽師」などの呪術職能者がいて大活躍。病気になると僧侶もよく呼ばれて祈祷していたようです。ですが、道真は物事が起こるには必ず原因がある。鬼や怨霊などいないという立場で犯罪や不思議な出来事の謎を解き明かしていくのです。そんな「科学的」な道真が最後に人に祟ると恐れられ、神様に祀られてしまったのですから、皮肉なものです。

 それから、貴族は「物忌み」と「方違え」の風習に縛られ、とても不自由な生活を送っていました。「物忌み」とは指定された期間、誰にも会わず、引きこもることです。夢見が悪かったり、もののけや穢れ(死や出産、罪悪、疫病)の支配下に入ることを恐れた時に行われました。「方違え」は縁起が悪い方角を避けるため、別の場所に迂回して1泊し、翌日目的地へと向かうことです。たとえ東に行きたくても、その方角が縁起が悪ければ、東を避けて別の場所(方違所)に1泊し、翌日そこから目的地へと向かうというものです。目的地にダイレクトに行けないのですから、時間もお金もかかりますよね。

 では、指定された期間の「指定」や悪い方角は誰が決めるのかといえば、ずばり陰陽師です。ですから、陰陽師は平安貴族には欠かせない存在だったのですね。「物忌み」と「方違え」は来年大河ドラマでやる「源氏物語」や「枕草子」にも出てきます。もしかしたら、当時の売れっ子陰陽師は今でいうアイドルみたいな存在だったのかしれませんね。平安時代で占い師として開業したら、複数の貴族のお抱えになって一財産築けたのでは?、などと漫画を読みながら妄想に耽っていました。

名バイプレイヤー・光月るう組長や千波華蘭が卒業

 舞台の感想から脱線しましたが、千秋楽で大好きな組長・光月るうさん、長年バイプレイヤーとして活躍した千波華蘭さん、娘役スター・有愛かれんさん、君島十和子さんのお嬢さん・蘭世恵翔さんなど7名の生徒さんが卒業されます。るうさん、新公時代は霧矢大夢の役をやっていたくらいで、三拍子揃った素晴らしい舞台人です。最後の役は藤原良房。皇族以外で初めて摂政の座についた人物です。組長に相応しいお役ですね。宝塚最後の日をしっかり見届けたいと思います。

 千波華蘭さんは『応天の門』で13歳の清和帝がハマり役でした。92期で真風涼帆と同期の上級生ですが、純で心優しい少年に見えました。漫画のキャラそのままだったので、かなり研究されたのではないでしょうか。私的には『エドワード8世』の新人公演のウィンストン・チャーチルが印象に残っている名演だったので、少年も老け役もできる、振れ幅の広い男役さんなんですよね。お顔はとても可愛らしく、167.5センチと小柄なので、今なら娘役に転向したかもしれませんが、月組に欠かせない上級生の一人でした。

 蘭世恵翔さんは『エリザベート』の子供時代のルドルフや新公のマダムヴォルフで注目され、順調にトップ娘役に上がってくるかなと思ったのですが、なぜか新公主演がないままの退団で残念です。『グレート・ギャツビー』の新人公演のジョーダン・ベイカーは役になり切っていました。卒業されても女優として活躍できる逸材だと思います。

舞台装置の素晴らしさに宝塚は総合芸術と再認識

 最後になりますが、宝塚の『応天の門』は大橋泰弘さんの舞台装置が素晴らしかったです。幕開け、平安朝の漆黒の闇に大きな月が浮かんでいる。もうそこから平安朝の世界へ誘われてしまうんですね。大橋先生はニューヨークとロンドンでも勉強してレビューが得意と思っていましたが、大ベテランだけあって、演出家の意図を的確に読み取って具現化される方なんですね。舞台は総合芸術なので、スタッフが揃っていないと、いくら演出家に才能があっても形になりません。その点、来年110周年を迎える宝塚歌劇団はスタッフの層も厚いのですね。
 
『応天の門』、同じキャストで続編を作って欲しいけれど、もう清和帝も良房も旅立ってしまうので無理ですね(泣。卒業あってこその宝塚だから。この作品の魅力を教えてくれた田淵先生に感謝して、筆をおくことに致します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?