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ご機嫌ジェットコースター


別に私の本を出したいわけじゃないんだよな。
それをはっきり自覚するきっかけをくれたのが数年前の創作大賞だった。書籍化!連載のチャンス!と大々的に叫ぶバナーを見て、あの頃は頻繁にnoteを書いていたけれど応募する気にならなかったのを思い出す。文章を書くのは好きだけど、「著者」になりたいとは思わない。これを書いて応募したいというテーマの種すらなかった。それよりも、タイムラインの雰囲気がヒリッとしていて、それぞれの文章から滲み出る本気の波動みたいなものへの気後れの方が強かった。今年もあるんですね。

何作か読むうちに段々と、あのハッシュタグから滲み出ている本気度がものすごくて怖くなってきた。

すでに同じようなこと書いてた
2022.02.09

フォローで繋がってくれている、応募する方々のことは応援しています。最近決まったものしか読めていないし、時間見つけてnoteの中を散歩してみたい。


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1月から録り溜めていた『光る君へ』をようやく観始めたら面白すぎて3日で17話まで追いついた。平安貴族文化にメロメロになって生きてきた女なので(だから録画もしていたわけだし)わかっていたことではある。時代背景が好きなのに加えて映像美も音楽も好き。オープニングもかなり好きで一度も飛ばさずに観ている。道長とまひろが物憂げな表情で、離れた場所から同じ月を見るシーンが来るたびときめき過多で身悶えしている。直秀役の毎熊克哉さんのお顔立ちが好きすぎるという発見もありました。大河ドラマを追うのは小学生低学年の頃に観た『篤姫』以来。篤姫を観ていたおかげで、社会の授業の江戸末期あたりは少し解像度が高かったなと思い出した。

あとは『アンメット』を観ている。『虎に翼』は今日1話から観始めた。主人公が三姉妹と知って『9ボーダー』も観たけれどあまり合わなくて断念。連休で『アンチヒーロー』を観てみるつもり。VIVANTも少し前に連休で一気に観たな。同時期に2つ以上観るドラマがあるのは個人的にかなり異例の事態。そういう時期らしい。


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ゴールデンウィーク前半戦の三連休はまあまあ酷かった。どうやら私には定期的に24時間を睡眠に費やさなければならない日が訪れる。……ということにしている。初日本当にずっと寝ていた。意識が起きている時間もずっと布団の中にいて、こんなことならアラバキ行けばよかったな、とくうを見つめてぼんやりと思った。他の予定を考えた結果お財布的に無理だったんだけど。

そして真夜中を堪能して、遮光カーテンの枠が浮き出る頃に寝て、2日目は夕方から日用品の買い物をした。ピッカピカの快晴だった。それなりに生産的なことをしたのに、昼夜逆転により眠くならない夜、どんどん思考が危うい方向に進んだ。これは良くないとドラマを一気に観た。意識的に「考えごとをしないため」という目的をもってエンタメに触れたのは初めてだったと思う。全話一気見できるくらいには面白かったけれど、感想を書きたいほどの感動はないドラマだった。だから名前は出さない。

その夜(というか明け方)書いてた下書き
どういうこと?と訊かれても困る

3日目。家事は終わってしまって、何かを観るのも読むのも、寝ることにさえ気が進まなくて、時間の潰し方がわからなくなって、休みなのに「時間の潰し方がわからない」とか思ってる時点で自分がヤバくて、19時くらいにとりあえず家を出て散歩した。結果的にこれが功を奏した。

あえて音楽を聴かずにずんずん歩く。そういえばコロナ禍のときもこうして、家の周りの通ったことのない道を散歩していたな。季節的にもちょうど4年前。4年経ったのにおんなじようなことで悩んでるね。入ったことのない裏道に進んでみたら三方向に道が分かれていて、一つ目に選んだ道は行き止まりだった。こっちだったか〜って戻って進んだ二つ目も行き止まり。三つ目の道も行き止まりで、さすがに乾いた笑いが出た。出口のない道に入り込んだだけだった。

なんか私みたい。不意打ちの出来事に何かを突きつけられたような気になって、大通りに戻りながら急に、来週のライブを楽しめないかもしれないと思った。今キラキラしている人たちを目の前にしたら、自分の情けなさが浮き彫りになって辛くなるかもしれない。それを想像して泣きそうになった。でも、途端に我に返った。

え、何言うてんの。

あまりにも自分の思考回路がダサかった。すぐに打ち消した。何被害者ぶってんの。夢に描いた舞台に実際に立ってさらに大きな夢を描きながら煌めく人たちを見て、それで苦しくなりたくないなら、自分で自分をどうにかするしかない。え、だっ、ダッサ〜。長く続かないことは私の短所であり長所だ。ダイエットも、英語の勉強も、メソメソしてるのすら長く続かない。そんな自分が続けられていることに焦点を合わせるしかないだろう。

25歳になったとき、ぼんやりと30歳の目標を考えた。自分の暮らしに納得している30歳になりたい。満足していなくていい。満足じゃなくて、納得。自分の年齢を悲観する大人にだけはなりたくないと幼い頃から思ってきた。もう26じゃなくて、まだあと4年以上ある。自分で選んで自分で進んで自分の在り方に納得している、カッケー30歳になりたい。裏道使って器用に渡り歩けるような人間でも、行き止まりの塀を壊したりよじ登ったりして進めるような人間でもない。多分私は街灯のある大通りを、ずかずか進んでいくしかない。
読み返して恥ずかしくなるようなクサいこと言ってるくらいが性に合う。


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