HDDの浦島太郎

写真を整理している。
忘れている素敵な写真に再開する
時間を超越した旅みたいだ。

こういうと最もらしいが
大義名分などなく
10TBのHDDの容量がひっ迫していて
それが恥ずかしいことに4TBは
アダルトビデオなのだから
困ったものである。

エロティシズムを哲学した書物を
昔から収集しているため
ここを語り始めると
冗長を極める可能性があるので
それはまた別の機会に書くとして。

3代目になるHDDの容量を
少しでも軽くして
初夏から激動になりそうな
撮影に備えようといった
魂胆なのです。

まあ、そんなこんなで
写真を振り返っているわけだが
「ああ、これはよかったな」
「なんだこれ」
があるわけで。

撮った瞬間は
撮る瞬間は

・すげえいい!カシャ
・この時を何時間待ったことか。カシャ
・最もらしい風景だな。カシャ
・この土地のランドマークだし。カシャ
・撮られている人が喜ぶだろうから。カシャ
・だるいけど仕事の記録として。カシャ
・殴られた証拠のあざ撮らなきゃ。カシャ

と多種多様だが
写真の面白さの1つに時間経過がある。

例えば毎年、桜の季節になると
花をアップで撮る人がたくさんいるが
SNSに載せるか、誰かに送るかで
去年と来年の桜も同じように撮る。

この行為の終着点は
【近況報告】であるから
振り返る写真でもなければ
時間経過によって希少性が生まれる
ものでもないので、
刹那的な写真になる。

例えば桜から引いて看板やポスター
そこに集まる人の髪型や服、
そこに時代を記録する側面があれば
時間経過によって振り返る面白味が
生まれる桜の写真になる。

実家の近所の森に
老朽化で取り壊しになった橋があり
そこからみる湖の景色は絶景だった。
その橋から撮った写真は
個人的に今でも大切な写真だ。

撮ろうとして撮ったものは
振り返ってもいいものになる。
これを便宜上 "質" とする。
クオリティという翻訳とは
微妙にニュアンスが違う。

罪悪感の湧く写真がある。

それはやはり自分のために
撮っていない写真であったり
よこしまな欲望
(そこには若さが故の
イキりも含まれるかもしれない)
が写っていたり
現像が過剰であったり
俺が俺が
私が私が
の主張が無粋な方法で
表されているもの。

撮る瞬間の快楽は恐らく
質に左右されずに、ただ発生する。
しかし、数年では気が付かない
この思い出の質のようなものが
まるで時限爆弾のように
振り返った時に襲う。

そんなものは20代の時に
作った歌を50の歌手が
歌う時にも起こることで
ましてや黒歴史、中二病
揶揄する言葉は
毎年新たに生まれる。

肝心なのは客観ではなく
主観的に問題、であって
記憶も場所も曖昧な写真が
HDDに残留物として、
しかも腐敗し、ガスを放ち
まるで浦島太郎のように
現代の浜辺に帰ってきては
発狂し始めるではありませんか。
不適切にもほどがあるクドカンサイコウ!

見て見ぬふりは簡単であるから
この忸怩たる思いを戒めとして
これらを十字架として背負い
そして成仏させる必要が
あるのではあるまいか、
そんなこんなで
空いた時間に今日も
HDDを整理する。

4代目を買うか
AVを消せる強靭な魂があれば
こんな業と正面衝突せずに
済んだろうに。

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