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セックスとは本来、何よりも神聖なもの

あまりこういう話は得意ではないけれど、「性的なこと」で世間が騒がれている今、すごく思うところがあるので、今日はその話題にしてみる。

「性」のことって、すごく難しい問題だと毎回思う。
人間という生物である私たちのそれと、繁殖の為に交尾する動物たちのそれと、何がどう違うのか、自身に内在するそのエネルギーとどう付き合っていけばいいのか、それがうまくコントロールできない人や、特異な性癖を持っている人は、一体どうしたらいいのか。
性加害者をただ非難するだけじゃなくて、これは私たち全体で取り組む必要のあるテーマでもある。
なぜなら、どんなに涼しい顔をしていたって、私たちは一歩化けの皮をはげば、本能を理性でなんとか説き伏せながら生きているようなところがあって、その大元をたどればそれは同じエネルギーで、それがどんな形で外に放出されているのか、という違いだけだから。

私たちの多くは、女性も男性も、「セックス」というものに対して、壮大な勘違いをしながらことに当たっている。
“性”に対する私たちの認識や前提は、その本来のものからは大きく歪んでいる。

世間に蔓延るイメージは、その多くが男性優位のもの。
基本的に男性が「イク」ことばかりが目的になっていて、そこを主軸にした場合、セックスはただ“肉体的な欲求を解消するためだけのもの”としてしか機能しない。(しかも主に男性の)
私の周囲では、その行為があまり好きではないという女性が多い。(私も)
きっと多くの女性の中で、それは「男性に合わせなきゃいけない」苦痛の時間であったり、そしてそのことがなんとなく、“仕方のない”ものになってしまっている。

それに多分、私たちのチンりょくも、マンりょくも、全体的に落ちている。
現代の生活習慣から、女性の体は開きにくくなっているし、男性も、女性の体が開き切るまで、待てない人が多い。
それに、お手本にできるものがAVくらいしかなくて、そのことが勘違いを更に加速させている。



セックスは、昔は神事として行われていた。
巫女がまぐわいを通し、天とつながり、神の声を降ろす。
男性は、そのお手伝いをする。
今では「3P」と呼ばれる、神聖さとはおよそかけ離れた卑猥さを連想させるものだって、多分儀式として普通に行われていただろうと想像する。
しかもそれは、私たちがそう歪めて捉えているような現場ではなく、きっと女性を大切にしながら、限りなく神聖なものとして執り行われていた。
なぜなら、女性の心に反して無理矢理するようなセックスでは、神へ至る扉が開かないから。

これは何かの情報からではなく、自身の体感から、そう直感したこと。
なぜなら女性は、イクとこまでイクと、正に神の領域とも言えるべき、ものすごい次元に飛ばされるから。
もはや、「セックスをしている」という体感すらなく、相手など目の前にいない。自分すらも、“いる”のか、“いない”のか、よく分からなくなる。
通常ではありえないほど知覚が広がって、“この世のすべての謎が解ける”くらいのところまで意識が上昇してゆく。(「問い」を発した瞬間に「答え」が目の前で展開される領域。時間や空間を超えている)
後から考えたら、これが昔の人たちが言う“神の声”なのだと、明確に分かった。

今まででたった1度しかないけれど、このあまりにも神聖な領域に触れた時、世の中の、そして自分自身のセックスに対する認識がいかに歪んだものなのかということに気づいた。
私たちが通常「セックス」に対して抱いている印象は、とても物質的な次元に落ち込み過ぎてしまっているもので、その次元でしか捉えられていないから、どうしても男性優位になり、様々なものが歪んでくる。
そして歪んだものしか、後世に伝えることができない。

セックスとは本来どういうものなかということや、内在する性の本質とは一体何なのかということ。
それは私たちにとって極めて根源的なことであり、土台となる大切な部分。
ひとりひとりがそういったことと丁寧に向き合い、その本質を捉えていくことが大切だと、私は感じている。


本来人間は、ものすごいポテンシャルを内に秘めている。
それを解放するひとつの鍵として、セックスがある。
その本来の姿は、純度の高い、神聖な領域へと至る階段。
私たちは自分のエネルギーの使い方を、もっと学ぶ必要がある。

こんな動画も見つけてしまった。
改めて、じゃあセックスとは何なのか…と、考えさせられた。笑


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