見出し画像

#note書き初め 19通から伝わる父の「優しさ」【発達障害 精神疾患 家族】


プロローグ

あけましておめでとうございます。
2024年もあなたにとって笑顔溢れる幸せな一年になりますように、心から応援しております。

今年は元日から地震や飛行機の火災事故など良くない報道から始まりましたがお怪我や、メンタルの不調は大丈夫ですか?
私も元日には強い地震で家の物が倒れて、机の下に避難している間恐怖で涙が止まりませんでした。
今も余震は続いてますが仕事初めや、行きつけのカフェでnoteを執筆できている今の時間幸せを感じ精神的に安定しています。

あなたも無事でいてくれているなら、本当に良かった。
もし被災されて傷ついているなら、私にできることはとても限られた小さなことかもしれないけれど…noteや募金などいろんな形で支援していきたいです。

今回書く記事は家族の中で「お父さん」について。

実は去年12月に急性腸炎で高熱に2日間うなされた末救急車に運ばれ、約2泊の入院し退院しました。
その時お見舞いはなくても父とたくさん連絡をしまして、その時感じた父の優しさや今の距離・関係について書こうと思います。

土曜日だもの、そりゃ飲んでるよね


とある金曜日、明日から土日休みだという嬉しさから行きつけのカフェにてコーヒーを飲んでいる最中首から下の身体全体に筋肉痛のような痛みを感じました。
最初は「疲れてたのかな?」くらいに思ってましたがだんだん痛みが酷くなり、すぐ

ヤバい。今すぐ帰ろ。

コーヒーは飲みかけでもったいない気持ちや申し訳ない気持ちを感じつつ過去に何度も味わったことのある痛みに嫌な予感がありました。

そして家に着き熱を測るとやっぱり、38度と高熱になってました。
嫌な予感が的中したことに絶望しつつも食事はUber eatsで注文し家にあった市販の風邪薬を服用してとにかく寝込みました。
薬が効いてる間は少し熱が下がって楽になりましたが数時間経てばまた熱が出て、そんなことを土曜日の夜まで続けたのち39.5度まで上がりメンタル的にも誰にも助けを求められないことで限界になって、泣きながら救急車に電話しきてもらいました。

その時救急隊員さんから連絡のとれる家族を教えて欲しいと言われ父に連絡しましたが、父は週末お酒を飲むのが習慣なのでそんな気はしてましたがやはりお酒を飲んでいて

【お酒入ってるから運転できない。】
【どこの病院行くんだ?】
【朝イチなら行けるから】

そう連絡がきたと救急隊員さんに伝え救急外来に搬送されました。

朦朧とする意識の中頭に浮かんだお母さんとお父さん


鼻にめん棒みたいなものを入れられコロナやインフルの検査をしたり点滴や採血で何度も針を刺されたり、お腹の痛みだけでない痛み苦しみでただ目を瞑り早く楽になりたいと願う中思い浮かんだ記憶は、小さい頃風邪で高熱を出して動けない私をおんぶして病院に運んでくれた母の背中のぬくもりと、20代前半うつ病で何もできずご飯の時間以外部屋で寝ていても何も言わずそっとしてくれた父のことでした。

どんなに時間が経とうと、何度も喧嘩して深い溝があったとしてもわたしにとってふたりは大切な存在なんだと痛感しました。

翌日、もしご飯が食べられたら退院していいと先生から言われ頑張る気満々でしたが熱がまだ下がらない・点滴が全然身体に入っていかず栄養を摂取できてないことから

【お昼過ぎまで用事あるけど退院できそうなら迎えに行くから家まで送るよ】
【明日仕事休む連絡はとっておきなさい】

と、帰りについて心配してくれた父と連絡しその日のご飯は半分以上残してしまったものの久しぶりにご飯が食べることができました。

この時、「明日こそ退院してやる!!」と気合いで食べてました(笑)

月曜日 無言実行できたけど…


そんな謎の気合いを秘めたまま寝て、朝になり熱もやっと下がり昨日より米粒も大きくおかずも大きくなった朝ご飯を完食できて無事午前中に退院できました。
※職場には午後から出勤しようか相談しましたが止められ1日休みになりました。

朝は父から連絡があり、

【体調はどうだ?】
【何時に退院するんだ?】
【父さん仕事だけど行けそうなら行ってあげるよ。】

と連絡がきましたがお仕事の邪魔をすることが申し訳なくて、入院した病院から家の近くのスーパー付近まで行けるバスに乗って帰ると伝え

【わかったよ。寒いから暖かくして過ごしなさい。】

そしてバスで帰りスーパーで不足していたトイレットペーパーやティッシュの箱セットなど日用品を買い歩こうとしました。

が、病み上がりにはいつもできることができずスーパーの出入り口そばにあるベンチで休憩しながらどうしようか考えました。

お父さん「ありがとうございます」


思いついたのがタクシーでの帰宅でしたが救急車に運ばれた際現金を持って行くのを忘れていて、バスはSuicaのような交通系ICで大丈夫でしたがタクシーでクレジット決済できるか分からなくて。

スーパーから一番近いタクシー会社で働いている父に電話し、ことの経緯を話しクレジット決済できるか確認しました。
※タクシーの運転手さんではないです

「クレジット決済できるよ」と教えてくれたのでそのまま1台お願いするつもりでしたが、

「そこなら会社から近いしお前の家も会社のそばだから父さんが迎えに行くよ。ベンチで待ってなさい。」

そして約10分ほどで父が【ドラえもん】と名付けている青い車で迎えに来てくれて、遠くて歩けそうになかった道を5分もかからず走って家に着きました。

そして夜に

今日は急遽送ってくれてありがとうございました。今はだいぶ体調も良くなってきたので明日からまたお仕事行ってきます。

とLINEを送り、父から

【それは良かった。まあ、無理せずぼちぼちやりな。】

お父さんらしい短文で全く絵文字を使わない文章に少し笑った後

ありがとうございます。

とお礼を伝え、翌日以降は仕事に復帰しつつ固形のご飯はまだいつも通り食べられない中少しずつ食べる量を増やして体調も回復していきました。

尊敬の気持ちを込めた敬語


子ども頃や20代になっても一緒に暮らしていた頃は通常の会話でも喧嘩する時も普通にタメ口で父と会話していましたが一人暮らしを始めてから会うどころか連絡すら何年もせず、距離ができてから…以前のようにタメ口で会話できずお父さんや再婚した奥さんには敬語で話すようになりました。
去年8月ふたりに偶然遭遇する形で父は1年半ぶり、奥さんとか4年ぶりに再会した時も近況話す際敬語で、先月迎えにきてくれた時も。元日地震があり安否確認で連絡した時も変わらずでした。

以前の記事

「会えて嬉しいよ」そう話すおばあちゃんの涙はとても綺麗でした。【発達障害と家族について】


に登場してるおばあちゃんは方言使いながら話すので、私も誰と話す時よりもバリバリの方言で話してしまいます(笑)
けれど世界中の家族がタメ口で親しく、仲良くいることが家族としての正解ではないと今なら理解しているので。

敬語を使い尊敬の気持ちを込めて会話することが父に不快な思いをさせないとわかっているのでこのままでもいいかなと思ってます。

エピローグ


note公式さんからの年末年始での連続投稿チャレンジ企画に挑戦してみようと前回と今回の記事は決められた#タグをテーマに5個記事の投稿を予定していましたが、年末に風邪引くは元日に地震起きるはで…さすがに明日までに残り3個書くのは厳しいので諦めました。

正直すごく悔しいです。

ですが今こうしてコーヒーを飲みながら執筆できる、日常が戻りつつあることに感謝です。
2024年は始まったばかりなのでnote公式さんの企画はまた挑戦する予定です。

そして、今年も「あなた」の心に寄り添えるような作家になれるように1個1個の記事に愛情込めて執筆していきます。

改めて

今年もよろしくお願いします。


#note書き初め

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?