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とあるINFJの理想―「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」―

 皆様お疲れ様です。
 今日はいちINFJの私の対人関係においてこうありたいという理想の話をします。

 当たり前ですが、全てのINFJの方に当てはまる考え方ではないでしょうし、INFJを代表するつもりもございませんので、このような人間もいるという程度にとらえていただければと思います。

(発信する以上、誰かの参考になったり、共感してくださる方がいれば嬉しいかなとは思っております)

 閑話休題。

さて、私は長年、対人関係に関しては基本的に「来る者拒まず、去る者追わず」のスタンスを貫いてきました。

 その理由を以下に列挙すると、

・そもそも、離れようとする人を繋ぎとめることはできないと考えているため。
・自分と関わっている(た)人との記憶を綺麗なままで保ちたいから。
・自分が傷つきたくないから。
・相手も傷つけたくないから。
・期待した人に執着しやすいため、必要以上に期待しないようにドライな距離感を保ちたいため。

といったものになります。

 これまでは、孟子に由来するこの考え方が自分には一番合っており、心の平穏につながると考えていましたし、それは今でも変わりません。

 ただ、最近知った言葉に感銘を受けました。
 その言葉が、これです。

「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」

 これは、ドイツのローテンブルクの入口のシュピタール門に刻まれている言葉だそうで、実際にはラテン語で『Pax intrantibus, Salus exeuntibus』と表記されているようです。

 先述した「来る者拒まず、去る者追わず」とどこか似ていますね。
 ただし、「相手と自分のどちらに焦点を当てているか」という点で両者は決定的に違うものだと考えています。

 「来るもの拒まず、去る者追わず」という言葉には、「相手がどうであろうが自分はこういう姿勢をとります」という意志は感じられますが、相手への配慮はあまり感じられません。
 本来の意図とは異なるのかもしれませんが、少なくとも自分の中では人間関係において自分が傷つかないための逃げ場のようなものになっているような気がします。

「誰かが助けを求めてきたら拒まずに安らぎを与え、自分から離れていく人に対しても何かプラスになるものを持たせて送り出せる」

 自分から安らぎや幸せを振りまくような生き方はおそらく自分には難しいのだろうと思います。
 ですが、何かの縁で出会った人にとっての止まり木のような存在になれたなら、なんて感じました。

 もし、この言葉に何かを感じる方が自分のほかにもいらっしゃったら、それがこの記事を書いた意味になるかと思うので、ありがたいです。

 また、止まり木を必要としている方がもしいらっしゃったら気軽にコメントなりしていただければと思います。

 読んでくださり、ありがとうございます。
 それではまた。


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