SEKIROをやれ

 みなさんはフロムソフトウェアというゲーム会社を知っているだろうか?主に高難度として知られるアクションRPG、ダークソウルシリーズやSEKIROといったゲーマーなら一度は聞いたことであるであろうタイトルをリリースしてきた会社だ。このフロムソフトウェアはゲームオタクたちから絶大な支持を得てきた。高難度を謳いながら実際のところはゲームが下手くそなオタクでもトライ&エラーでいつかクリアできるようにデザインされていることにも気づかず、自分だけがクリアできたと思うオタクの自尊心を絶妙に満たすようデザインされているためだ。その手腕は見事と言えよう。

 かくいう俺もフロムソフトウェアウェア(以下、フロム)のゲームは好きな部類に入る。もちろん超A級アクションゲーマーである俺様はフロムのゲームの難度などに惹かれたわけではない。誰でもクリアできるのは先に述べた通りであるため、俺にとってその点は残念ながら全く評価の対象にはならない。全くだ。ではフロムの何が俺様ほどのゲーマーを惹きつけてやまないのか?

 それはゲームにおける死、つまりゲームオーバーの意味について真摯に考え、ゲーム性に落とし込んでいるためだ。

 ゲームにおける死。例えば任天堂のマリオシリーズ(生粋のアクションゲーマーの俺がとても大好きなシリーズで3Dマリオは全作完全クリアしてきたことは覚えておいて損はないかもしれない)では、マリオは敵にぶつかって体力がが無くなったり、奈落に落ちたりすることで命を落とす。しかし数秒後マリオはリスタート地点から何事もなかったように再び命を取り戻し、冒険を進める。もちろんゲームとしてはそれで良い、テンポは大事だ。

 だがよくよく考えるまでもなく、ライフを一つ失うというのは不自然だ。俺たちはたった1つのライフにしがみついて現実世界生きている。なのにマリオは何十機もライフを持っており、一回や二回死んでも平気だ、これは不公平ではないか?正直こんなツッコミは任天堂の宮本さんも何回もされてうんざりしてきたと思うし、普通の日本人はゲームが面白けれゲーム中の生死なんてどうでもいいやと思っているので突っ込まないのが大人の対応だ。

 しかしフロムの製作者は違う。彼らはめんどくさい人たち(それは作品にも表れているが)なので、大人の対応をせずに、ゲームオーバーになって復活してゲームを続けていく一連のの意味をゲームの中で説明したいと思ったのだ。

 そうしてフロムの導き出した回答では、ゲームオーバーになっても復活する主人公はどう考えても不死者という生き物に成らざるを得なかった。あまりに素直で拍子抜けしてしまうような結論だが、文句がある人は対案を出すべきだと俺は思う。死なないのだから不死、素直で好感が持てないか?

 1-1の最初のクリボーで死んだことのある俺たちはフロムの提案する不死者を主人公とする世界を受け入れることで、ようやくゲームオーバーを乗り越え、その先の世界と到達できるのだ。

(おわり)

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