人はいつか死ぬという絶対的真実について

タイトルについては周知の通りで歴史上死ななかった人は一人もいないわけです。だからまあ俺もこれを読んでくれているあなた(いつもありがとうございます。感謝します)も、いつかは死にます。確実に。

あ、記憶の中に生きていれば死後も生きているとかそういうセンチメンタルな話は今回はしてないので、はい。生物的な死ということです。

「死は救済である」「いや地獄に落ちて永久に苦しむ」「行いがよければ天国に行く」「ただの虚無になる」など解釈が宗教や個々人であるとは思います。俺としては個人的には安倍晋三には地獄で永久に苦しんで欲しいところですが、あれほどの悪人とはいえ人間時間換算で1000年くらいで許してあげてもいいかなって思ったりもします。

生物学的には我々が色々考えたり思っていることも脳の電気的な作用に過ぎないわけですから、心臓や脳が止まって脳の思考回路の電気が止まれば壊れた機械と同じで壊れて虚無になって終わりでしょう、おそらくあの世なんかないと俺は昔から思っています。あったらあったで面白いですが。

虚無になることを想像して虚しくなったり悲しくなる気持ちはわからなくはないのですが、宇宙的視野に立てばそもそも一人の人間なんて塵芥みたいなもんです。

俺もあなたもオッペンハイマーも同様に無価値なんです、宇宙視野では。

ちなみに先日映画のオッペンハイマーをIMAXレーザーで見てきたのですが素晴らしかったです。あれは劇場で、できればIMAXで見るべきだと思いますね。

脱線しましたが、本題に戻りますと最終的に人は必ず死ぬわけです。金持ちだろうが貧乏だろうが偉かろうが卑しかろうが死ねば同じです。そして死後はおそらく何もないでしょう。

じゃあ別に生きる意味なんかないんじゃないか?と皆さん思うかと思いますが、別に死後のために人は生きるんじゃないんですよね。別に死んだ後なんかどうでも良いわけです。

そもそも俺はあまり好きじゃないんですよ、意味がないとか意味があるとかなんだよ。なんだよそのお前のいう「意味」って?

金の亡者は金稼ぎにつながらないことを「意味がない」と切り捨てますが、死ねば金なんか何の役にも立たないです。そもそも日本銀行だの他国の中央銀行だのが発行している貨幣がそれとは原理の違うあの世が(もし仮にそんなものが存在しても)通じるわけないことくらい誰にでも分かる話でしょ笑

人はいつか死ぬ。そして全ては無に帰る。これが大前提としてあるわけです。

俺としては生きる意味なんか求めず今を楽しく、やりたいことをやって生きるというのが俺たち人間にできる最善だと思うんですよ。もちろんそれに「意味」なんかないと思いますよ。でもそれで良くないですか?そもそもたかだか人間の人生に意味のあるものなんか何もないということを理解すべきです。

生きていれば楽しいこととか嬉しいこととか、もちろん悲しいこともあるでしょうけどそういうのを含めて生きてればまあ色々あって、そういったものを味わいつつ日々を生きていくことしか結局できないし、それで良いんだと思うのです。

(終わり)






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