よいエピソードからは、よいお出汁がなんどでも出るよってお話
最近、昆布とカツオを使って、いちからお出汁をとっています。健康を考えて。パック出汁ではなくて。
はじめは面倒に感じていましたが、慣れるとそうでもなく。また、とれるお出汁のあまりのおいしさがセルフお出汁生活を続けさせてくれています。
お出汁生活中の皆さんにひとつ質問が。
出汁がら、皆さんどうしていますか?私はたまに佃煮にしますが、毎日出汁をとると量がもりもり増え、結果、毎日が佃煮祭りに…。
佃煮ばっかり食べるのもつらいので、出汁がらは活用せずそのまま捨てる…ってことをしてたんですけど……
お出汁って二回取れるんですね!(いまさら)
二度目は出汁がらに熱湯を注ぎ入れるだけでもOKと謳うレシピを発見し、試しにやってみたら、「二番だしってこういうことか!」と、二度目でもじゅうぶんおいしい出汁が取れることに感動している今日この頃です。
わ~今まで、めっちゃもったいないことしてた…
さて、前置きが長くなりましたが、「いいエピソードからは、何度だってよいお出汁が出るよ」という話です。
自分的ベストエピソードを、なんどもなんども振り返ろう
noteやSNSの発信が止まるときは、「過去に書いた記事について、もういちど書く」とめちゃいいと思います。
教えてくださったのは、もちろんみずのさん。
どれだけ大切なエピソードを綴った記事であっても、「いちど書いたらそれっきり」ってこと、意外と多くないですか。
でも、「これ、すごく思い出深かったんだよな」とか「すごく悲しかったor嬉しかったor楽しかったんだよなぁ」って心が動いたできごとについては、時を置いて何度でも書いたらいいと教わりました。いいエピソードからは、何度だってよいお出汁が出るからです。
前回の投稿と重なりますが、人って意外と「書ききれてない」ケースもある。
思ったこと、感じたこと、ずっとずっと向き合って書くなんてなかなかできないから、時間をおいてそのモノゴトが自分にとってどういう意味を持つものだったのか、再検討する。すると、さらに新しい発見に出会えるのではないでしょうか。
しつこく何度も考えたことはあまねく「有益情報」になる
読者にとって有益なものを書かねばと鼻息荒くすることが多いですが、「有益」って何なのか、私のなかでまだまだ解像度が低かったと反省しています。
誰も知らない新しい知見?情報?
そんなもの、なかなか見つけられないですよね。
有益とは個人的な行為やプライベートな日常から生まれる。
たとえプライベートな出来事であっても、「それ」について、何度もなんども考えたことは、そこから見出した「あなたの感情」や情報や知見は、ひとしく有益なものになりえるんだと思います。
だから、しつこく、自分のこと、日常に思いめぐらし、あぁだったかなぁこうだったかなぁって感じぬく、考え抜くのが大事なんだろうな……と振り返っているところです。
パーソナル編集者で教わったことは、自分の気持ちを尊ぶことと同時に、「思考する」大切さでした。
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