親父という存在

今病院です

親父が1月から入院していて、
骨髄異形成性症候群という病気で、水泳の池江選手がかかったのと同じらしい。

年齢が若ければ移植で完治する可能性もあるらしいが、親父の年齢だとそれもできず、根治は難しいとのこと。
1月に医師の診断を聞きに地元に帰った時に会ってきたが、貧血が酷くて辛そうで、その日にそのまま入院になった。

2月に見舞いに行った時にはよく話して元気そうだったので、病院に入って安定したのかな?と思っていたところに今日のちょうど仕事が終わったころに母親から容体が急変したという連絡がありそのまま群馬まで来ている。

肺が機能していないようで、人工呼吸器を付けられた状態で呼びかけに反応したので意識はかろうじてあるようだが、話せる状態ではない。
いつまで持つかわからないが、今後話せるようになる可能性は低いだろう。
病室には2名しか入れないので、家族待機室に母と姉と妹と入れ替わりでいる。
ひまなので何かしていないと落ち着かないのでこんな文章を書いている。

親父という存在について

入院以降、親父について考える機会が多くなった。
一番身近な人の一人でありながら、親父は一番よくわからん人の一人であった。とにかく喜怒哀楽が見えにくい。

善悪の基準はけっこうわかりやすかった記憶がある。
中学以降はほとんど怒られた記憶はないが、それ以前は悪いことしたらしっかり怒られたし、その基準がブレることはあまりなかったと思う。
逆にあまり褒められた記憶もあまりないけど、私が自分で考えて決めたことを否定されたこともないし、基本的には応援してくれた。

よく覚えているのが大学生1年生のとき、バイクの免許取り立ての時に、親父からバイクを買い取る話をして、群馬まで取りに行ったことがある。
取りに行って試し乗りしていたら見事にずっこけて、ハンドルは曲がりヘッドライトは割れるという状態に。
流石にこれは京都まで乗って帰るのは無理だろうし許可もされないだろうと思っていいたのだが、親父が翌日の午前中に知り合いのバイク屋で直してくれて、午後には送り出してくれた。
ほぼ公道発運転で、前日に派手にずっこけた息子を群馬から京都のロングドライブいぶに送り出すこの行動、周りの人には「バカじゃない?」と言われたらしいが親父なりの善悪の基準と応援する意思があったのではないかと思う。

しかし喜怒哀楽、何に喜び、何に怒り、何に哀しみ、何が楽しいのかは本当にわからなかった。
怒りについては表に出るので比較的わかりやすかった。けどそれも「何でこんなところでキレる?」みたいなことが多かった。
趣味の音楽を演っていたり酒を飲んでいる時は喜びや楽しみを感じているようだった。けど偶発的なイベントであったり、環境条件だったり、人間関係において何に喜怒哀楽を感じるかはさっぱりわからなかった。

色んな人と話していて、喜怒哀楽の多くは人間関係に起因していることが最も多いように感じている。しかし親父はそれが全く表に出てこない。
仕事の愚痴を聞いたこともなければ人の悪口も聞いたこともほぼない(皮肉屋なので皮肉めいたことはよく言っていたが)。逆に褒めるのもあまり聞いたことはない。

では人が嫌いとか、人付き合いが苦手とか、他人に興味がないとか、人間関係を絶っているかというとそんなこともない。
そもそも人間関係が嫌いな人が子供を3人も作るはずがないし、前述のように子供のサポートを積極的にするはずもない。小学校の時にやっていた部活のサッカーなどにも積極的に参加してくれていたし、PTA会長などをやっていた記憶もある。
意外と友達も多いし、私の友達とも仲が良い。


この話とは別に、自分が子供を育てるようになってから、親父が自分をどのような存在として認識していたのか気になるようになり、親父が入院する直前の今年の正月に帰省した時ストレートに聞いてみた。

その回答は「親として子どもを自立させるのは義務だからそれを果たすように努めていた」というもの。
聞いた翌日に改めて回答されたので恐らく本人なりに考えた結果なのだろう。

いや、別に「お前のことを愛していて、お前は自慢の息子だと思っている」みたいな言葉が聞きたかったわけではないけど、義務感だけでそこまでやらんだろ、好き好んで3人も作らんやろ、もっとなんか感情的な何かがあるやろ、と思って死ぬまでにはもっとその深層心理を聞き出してやる、と誓ったものだがそれを叶えられそうにないままこんな状態になってしまった。

入院してからは面会時間も限られているのでそんなこと話すこともできなかったが、メッセンジャーは使えたので上記のような「親父の喜怒哀楽がわからん」みたいなことも送ってみたけど既読スルーされた(その他の事務的なことは返信くるのに)

結局親父の口からこういうことについて聞くことはないのだろうな、ともはや諦めているのだが、2月に小さい頃から息子のように接していた私の友人と面会に行った時は面会時間ギリギリまでずっと親父の方から喋っていたので、やはり人のことは好きなのだし、こういう風に自分に会いに来てくれることには人並みに喜びを感じるのだろうな、と思った。

第二の息子ツネと面会に行った時

親父の親父、つまり私の祖父さんも典型的な九州男児で、偏屈で変わった人だったが、年を取るにつれ妻(祖母さん)への感謝や、「こんな家族に恵まれて幸せだ」的なことをよくいうようになった。自分がこれまで書いたようなことを気にしたのも、祖父さんの影響があったかもしれない。
祖父さんは多分「我が生涯に一片の悔いなし!!」と言って死んでいった、親父はどうなのかな。

自分から見た親父

前述のように自分にとっての親父は

  • 善悪の基準がブレなかった

  • 自分の判断や決断を否定されることはなかった

  • その決断は基本的に応援してくれた

ということで何の悪いこともありませんでした。
現代風に言うと親ガチャ「SR」ぐらいは引いたと思っています。

あなたの息子に生まれて幸せでしたよ。





ということもメッセンジャーで送ったのにこれも既読スルーしやがった、このク⚪︎親父。
直接文句言いたいからもう一度話せるようになれ。


追記

これを書いた翌日、父永眠しました。
死に顔見て確信したわ、この親父人生に満足して死んでいったと。

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