「善悪」と「好き、嫌い」

最近シティなどでポイント獲得の見込みがなくなったらドロップすることに対する是非が議論になっていますね。

個人的な意見を言うと「好きにすればいい」と思っています。
ドロップすると「対戦相手のオポネントが下がるからやめるべき」という意見もありますが、同じ確率で他の人の対戦相手がドロップして自分のオポネントが上がる、ということも発生するのでその議論にはあまり意味ない気がしています。

そもそも、ポケモンカードというゲーム自体が運要素と切り離せないゲームなので、どういう対戦相手が来るか、その対戦相手がどういうふるまいをするかも含めて運でしかないです。

なので、この議論は論理的な「良い、悪い」の議論ではなく、感情的な「好き、嫌い」の議論であると思っています。

  • 負けたからってすぐに諦めるなんて気に食わない、とか

  • 抽選外れた人もいるんだぞ、その人の気持ち考えろ、とか

ドロップする行為は私個人の感情としては「嫌い」の部類に入りますが、良いとも悪いとも思っていません。

私自身はジムバとかでも、いくら負けようがドロップすることは考えたことはないのです(後に予定があるなど、時間的制約でやむなくドロップしたことはありますが)。

その理由を挙げるとするといくつかあります。

一つ目は単純にせっかく時間を取って、コストを使っているのに最後までやらないのもったいないやん、ということです。
普通の社会人はそんな時間が取れないので、リアルで色んな人と真剣勝負する機会は一戦でも無駄にしたくありません。

二つ目は、楽しくプレーしたいからです。
本気ではやっていますが、私にとっては所詮は趣味です、楽しくなければやっている意味はありません。
どんな形であれ、自分が負けたのは相手が自分より上の状態だったからであり、相手を賞賛するべきことだと思っています。
負けたことによる自分の状態を嘆くのではなく、自分に勝った相手に敬意を表し、その結末を見届けたいし、その勝者が良い状態になるように応援したいです。
その方が楽しい状態でプレイできるし、そのためにはドロップするという選択肢はありません。

三つ目は、「諦め癖をつけたくない」からです。
このゲームは確率が絡んでしまうのは避けられないですが、その確率を1%、あるいは0.1%単位で自分が有利なように引き上げられる選択をし続けることができるか、というのが勝負であるゲームだと思っています。
実際、自分が好成績を残した時は、1戦や2戦ぐらいは自分な不利な状況からその確率を高める行為をし続けることによって勝利した試合が必ずあります。
負けたから諦めるような行為をすると、自分自身が普段のゲーム中にも確率の追い込みをせずいい加減な選択をしてしまうような人間であることを認識ているからです。

逆にダメな日はダメ、と諦めてさっさとドロップすることにより自分の状態をコントロールする人もいるとは思うので、これは個人の考えだと思います。

基本的に、やるからには「結果が全て」だと思っています。ポイント獲得できなくなったからドロップすることは、短期的には「結果が全て」ということに基づいているかもしれません。
しかし私にとってはドロップすることは上記のような理由で長期的に考えて結果につながりません、なのでドロップはしません。

不正やイカサマなどは明らかな「良い、悪い」の問題ですが、これに限らず社会にある事象は単純な善悪で考えられないことが多いです。
そういう事象に対して「良い、悪い」を考えるより感情的、直観的に「好き、嫌い」で判断してそれ以上のことは考えない方が精神的に健康でいられると思います。

どうせ他人の行動はコントロールできないのだし。

とはいえ、競技がより多くの人が満足して、良い方向に進むためにルール改善の声を上げること、前向きな議論をすることは良いことだしやるべきだと思っています。

こんな駄文を公開するのもその行動の一つです。

今回の参加者を基本64人にしたのはとてもいい変更だと思います。
参加する場所、大会を選んでポイントを獲得しやすくする、というのはプロのテニスツアーなどでも行われる行為ですし、合理的であると思いますが、参加上限人数まで違うのは明らかに不公平ですからね。
自分の息子が今回その恩恵受けている身ではあるし、そういうルールである以上最大限に利用した方がいいと思いますが、シニアやジュニアの会場で16人だったり32人上限の会場を設けるのはやめた方がいいと思います。
明らかに不公平です。

まあなんにせよ楽しくやりたいですね。

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