見出し画像

グリム童話VI 白雪姫と魔法の鏡 後編

ローアの街の中心にあるこの建物は、Schneewittchen Schloß白雪姫のお城と呼ばれているが、正確にはSpessartmuseumシュペサート博物館という。
シュペサートとは、Rhönレーン山地とOdenwald オーデンヴァルトという地域を繋ぐ低山帯のことで、この近辺の土地を意味する。
郷土歴史資料館に、宝物館を融合させたような存在だ。

博物館前の、白雪姫と七人の小人のモニュメントは、とても可愛らしい。

白雪姫とローアの街の関係は、ここで知る事ができる。
館内で、一枚の絵がふと目に留まる。
 
左から、靴職人のHelmut Walch。
薬剤師のDr. Karlheinz Bartels。
そして、元シュペサート博物館館長、Werner Lokbl。
 
この三人のかたが膨大な資料を集め研究し、ローアが白雪姫の生まれた街だと証明したという。
薬局の前に白雪姫のモニュメントとあの文言が書かれていたのは、この薬剤師のバーテルス氏の薬局で、彼は歴史研究家でもあり、三人の中でも中心人物だったようだ。

この街の、長い歴史に触れる展示物の数々。
古くから焼き物の産地だったローアの街は、次第に金属の加工生産に移行する。
その技術は更に、ガラスや鏡などの生産に受け継がれていく。
また、近くの森から採れる木材を利用して、木工業も盛んだったそうだ。
大型の木造船を製造し、マイン川の輸送にも使われていたという。

木工業は、おもちゃ作りにも生かされた。
ローアで作られた物は、おもちゃの街として知られているニュルンベルクに運ばれて販売されていたそうだ。

中世の時代、街の自治を守る事は非常に重要なテーマであり、犯罪者への処罰方法や牢獄跡も展示されている。

他にも、高価な調度品が多数。
美しい木工細工のキャビネットや、煌びやかな宝石箱。

そして、最後の部屋に足を踏み入れる。
そこには、Sprechenden Spiegel話す鏡があった。
 
この鏡は、1698年から1806年の間にローアにあったマインツ選帝侯の鏡工房で製造された物だ。
この工房の技術はとても高く「真実を語る」として評判となり、贈答用に大変な人気だったそうだ。
古い鏡の多くは、緩やかに歪んでいるのをふと思い浮かべる。
それらと比較すると、この鏡は対象物を非常に正確に映し出している。
 
こちらが、話す鏡(真実を語る)つまり魔法の鏡。

この建物は、かつてPhilipp Christoph von Erthal (以後、フィリップ氏)の居住地であり、彼は王ではなく、外務大臣のような役割だったそうだ。
そして、フィリップ氏は前述の鏡工房を所有していたと言われている。
白雪姫は、フィリップ氏の娘Maria Sophia Margarethe Catharinas(以後、マリアさん)がモデルであると推測されており、彼女は1725年に産まれた。
実母は亡くなり、Claudia Elisabeth von Venningen(以後、クラウディアさん)が継母となった。
フィリップ氏がクラウディアさんへこの鏡を贈ったそうだが、多くの財宝を使用したとても価値あるものだ。
この鏡の右上部の楕円の中には、こんな言葉が書かれている。
 
Amour Propre 自己愛
 
この言葉を贈られる女性とは、一体どのような人物だろうか。
自分に自信のある、意思の強い女性だったことが想像できる。
この事が、鏡に、自分が一番美しいと言わせたい欲望として語り継がれたのだろうか。
 
クラウディアさんはフィリップ氏とは再婚であり、自身にも子供がいた。
彼女はフィリップ氏に対して高慢な態度であり、マリアさんに対しても決して良い母親ではなかったようだ。
 
それに対しマリアさんは、とても心優しく慈悲に溢れた人物で、その噂は当時とても広く知れ渡っていた。
魅力的な鏡と、心の美しい一人の少女、そして意地悪な継母という登場人物を得て、街の歴史や風土一つ一つが、まるでパズルのように組み合わされていく。
 
白雪姫が、この城に住んでいたマリアさんであるという推測は、館内を見学するうちに次第に確信に変わっていく。
 
白雪姫には欠かせない、七人の小人たち。
鉱山労働者は、小さな穴を掘り進めていたため、腰が曲がったり、小さな体のかたもいらっしゃったそうだ。
白雪姫のお話の通り、七つの山を越えたところに、かつての鉱山があるという。
白雪姫の継母が、真っ赤に焼けた鉄の靴を履いて死ぬまで踊らされるのも、鉄工業が繁栄していた街だからだろうか。
また、中世の時代に、より残酷な方法で罪人を痛めつけ、見せしめにすることで犯罪を防止するという方法は良く取られていた。
更には、優れたガラス加工技術で、白雪姫のガラスの棺を作ることもできただろう。
そして、何よりもその関連を決定づけるのが、魔法の鏡だ。
 
まるで、博物館の存在自体が「マリアさんこそが白雪姫である」ことの証明のようにすら感じられる。
前述の通り、元シュペサート博物館館長は、白雪姫がローア出身であると証明したメンバーの一人である。
この博物館は、彼の作り上げた大がかりな、そして素晴らしいプレゼンテーションなのだと気付き、感服した。
 
 
 
街からマイン川に出る辺りには、小さな門がある。
マイン川の向こう岸は、もう森だ。
白雪姫は、この門をそっとくぐり抜け、森に逃げたのだろうか?
そんな想像を掻き立てるような、古い門だ。
森には、白雪姫の逃げた道がハイキングコースとして残っており、人気があるそうだ。

さて、グリム童話の初版では、継母ではなく、実の母親が白雪姫を殺害しようとするが、第二版からは継母に書き換えられている。
 
この街の白雪姫と、グリム童話の初版を比べると、その相違点に気付く。
マリアさんの母は早くに亡くなり、継母がいたからだ。
実の娘の殺害指示をする母親は、少なくともローアにはいなかったと分かり、安堵する。
そんな血生臭いお話は、この街には似合わない。
川や自然に囲まれ緑多く、少し訛りのあるこの小さな田舎町は、おとぎ話の街であり続けて欲しい。
 
おとぎ話は、全てが明らかにならなくてもいい。
遥か昔の人々が作り上げたお話が、愉快で楽しい夢物語になり、時には教訓になり、語り継がれたのだから。
 
 
かつては、本当に話す事ができたとも言われている、魔法の鏡。
もう話す事をしなくなった魔法の鏡は、その正面に立つ私の姿を、ただありのままに映し出す。
そして、何百年もの時を越え、無言で私に語り掛けてくる。
 
白雪姫の美しさとは、彼女の心。
決して、白雪姫の外見だけを取り上げた童話ではない。
 
幼い頃の私が理解できなかったことを、鏡が私に教えてくれた。
マリアさんの美しい心がなければ、マリアさんを讃える噂は生まれず、白雪姫の物語が作られる事もなかっただろう。
更には、グリム兄弟が、その物語を書き残すこともできなかった。
グリム兄弟の長兄ヤーコブは1785年生まれで、マリアさんより少し後に生まれており、彼らはローアから50キロほど離れたHanauハナウの街に住んでいた。
 
 
他の街も、白雪姫の街だとそれぞれ主張するので、ローアもその一説でしかない。
しかし、その可能性をこうしてじっくり検討していく事は、非常に面白かった。
まるで、あの三人のメンバーの中に入って、一緒にその証拠収集をしているような気分だったからだ。
 
 
前編の冒頭に書いた通り、私は白雪姫を好んで読むことをしなかった。
しかし、この街に来て、彼女が実在した一人の心優しい少女である可能性を知った。
「本当は恐ろしいグリム童話」として語られるような、おどろおどろしい白雪姫のお話でもなく、ディズニーの美化されたお話でもなく、それは等身大の一人の少女のお話だ。
この小さな、しかしとても魅力的な街を去り、たった一人で森へ逃げねばならなかった彼女を、とても哀れに感じた。
亡くなった母親を、どんなに恋しく思った事だろう。
 
白雪姫の物語は、全く違った印象に変わり、私の中に残った。
そして私は初めて、白雪姫に親しみを感じることができたのだ。
 
それは、お姫様としての白雪姫ではなく、一人の少女マリアとして・・・

白雪姫のお城のある街の様子はこちらから。

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?