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ジーゲン ルーベンスの郷を訪ねて

先日、デュッセルドルフの美術館の記事で取り上げたルーベンス。

この記事を書いている時に、ある街を思い出したので、今日はそちらのお話を。

ジーゲン Siegen

ドイツにお住いのかたも、この街を訪れた事のあるかたは、なかなかいらっしゃらない。

ルーベンスの生涯について読んでいた際、彼がここノルトライン・ヴェストファーレン州の小さな街で生まれたと知り、どうしても行ってみたくなった。
Siegenは勝利を表すので、縁起の良い名前の街だ。

ルーベンスをご存じないかたも、アニメ作品、フランダースの犬はご存知ではないだろうか。
主人公の少年ネロが憧れていた画家が、ルーベンス。

そして、ネロが見たいと熱望していた絵は、アントワープの聖母マリア大聖堂にある。
ネロは、天国に旅立つ前にようやくその絵を見る事ができた。

それが、キリスト昇架と、キリスト降架の2枚。

因みに、ネロが毎日見ていた絵は、聖母被昇天。
とても温かみのあるもので、ネロが母親を思い出していたのも納得できる。

この聖母被昇天の別の絵が、デュッセルドルフにもある。
ルーベンスは計4枚この絵を書いており、そのうち私が見ていないのは、アントワープのものだけだ。

一度教会前まで行ったのだが、教会が閉まっており、訪れる事ができなかった。
いつか必ずこれらの絵をを見てみたいと、私はネロと同じような気持ちで、ずっと過ごしている。

さて、これらの絵を描いたのが、ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens。
バロック絵画の巨匠と言われている。

ジーゲンは小さいが、大学のある街の特徴で、若い人が多く活気がある街だった。
街は山々に囲まれており、昔は炭鉱の街として知られていたそうだ。

街に流れる橋の上で、炭鉱夫の銅像を見つけた。 

街の中心には、ニコライ教会がある。
教会でありながら、その尖塔には王冠が付けられており大変珍しい。

市庁舎の壁には、ルーベンスがこの街で生まれた事が記念碑として残っていた。

ルーベンスの父親ヤンは法律家で、プロテスタントの迫害を逃れ、アントワープからケルンにやってきたそうだ。
そして、オランダ総督ウィレム一世の妻、アンナ妃の法律顧問として職を見つけた。
アンナ妃がジーゲンにある宮廷へ引っ越すことになり、ルーベンス一家も共にジーゲンへ移る事になった。

彼の父親には色々な(よろしくない)噂があるようで、ジーゲンにいる間にこのアンナ妃と深い仲になり、後々それが発覚し投獄されてしまったという。
それでも、ルーベンスの母親マリアは、父親をずっと支えてきたそうだ。
そのため、大変懐の深い人として後世語られているらしい。

ヤンが釈放された後の1577年に、ルーベンスが誕生している。
1578年に一家はケルンに戻っているので、ルーベンスがジーゲンにいたのは、わずか1年。

アンナ妃とルーベンス一家が住んでいたというのがオーバレス シュロス。
Oberes Schloss(直訳すると、上側の城)
小高い山の上下にお城があるため、そのように名付けられているのだろう。

映画ミケランジェロ・プロジェクトでは、ナチスが掠奪した美術館の数々を、ジーゲンで見つけるというシーンがある。
以前、アーヘンの街について記事を書いたことがあるが、アーヘン大聖堂の財宝の一部も、ここで発見されたそうだ。
中庭には、その出来事を伝える看板も。

アーヘンについて、ご興味のあるかたはこちら。

中は、博物館兼美術館となっており、 ルーベンスの自画像ほか、多くの作品が飾られている。

また、炭鉱の街らしく、博物館内に炭鉱跡が再現されていた。

建物の頂上にある塔からは、街を見渡せる。

そして、綺麗に手入れされた庭の隅には、石像があった。
それは、三人の女性に抱かれた赤ちゃんの像。
ルーベンスは、ここジーゲンで産まれ、ケルンに引越し、そしてアントワープで暮らした。
それぞれ三都市が女性として象られ、赤ちゃんがルーベンスだそうだ。


山の下にはもう一つのお城があり、ウンタレス シュロスと呼ばれている。
Unteres Schloss(下側の城)

近くに、現代美術博物館もある。

城壁跡を辿りながら街を歩いていると、大きな熊の像を見つけた。
ベルリンのシュパンダウからジーゲンへの感謝の意味が込められているようなので、気になって歴史を読んでみた。
ベルリン(Berlin)は、熊(Bär)のモチーフが使われる。

戦後もなお、飢えと貧困に悩まされていたベルリンの子供達。
ジーゲンは、1952年に地区評議会に於いて、ベルリンの子供達が休暇でジーゲン地区ジーガーランド(Siegerland)を訪れる事を許可した。
子供達は、ジーガーランドで楽しい休暇を過ごしたという。
そして、その友好は何十年にも渡り続き、なんと8300人もの子供達が、その恩恵を受ける事ができた。
この像は1972年に、750周年記念としてベルリンのシュパンダウから、感謝の気持ちを込めてジーゲンに贈られた。

街角に両都市の友情の印を見つけ、心が温かくなる。
この像のお陰で、ジーゲンの街の印象は温かいものとして、私の心に刻まれた。

大学街なので、大学も訪れてみた。
大きな大学関連棟が建ち並び、更に建設中の大学棟もあり、まだまだ拡張しているようだ。

また、ジーゲンの街の近くに、フロイデンベルクFreudenberg という木組の街並みが有名な街があると知り、立ち寄った。
綺麗に並んだ家々は、まるで映画の中の世界だ。

ルーベンスは、まだ記憶もない年齢の時に、すでにジーゲンを去っている。
それでも、ルーベンスに少しでも触れる事ができて、私にとって思い出に残る一日となった。

ルーベンスの展覧会がパーダーボルンで開かれた時にも、訪れてみた。
パーダーボルンについては、先日のブログで街の様子を書いている。
パーダーボルン大聖堂の修復を、当時のルーベンスやその関係者が担った事から、この街で展覧会が開かれたそうだ。

ジーゲン、ケルン、アントワープ、アーヘン、パーダーボルン。
色々な街が、様々な歴史や人物で繋がっている。
一つを知ると、また次に知りたい事が出てきてしまう。
それを辿っていく作業は、私にとっては、一つ一つの点が線になる心地良い瞬間でもある。

さて、ルーベンスと切っても切れない街、アントワープ。
今年こそは、今年こそはと思いながら、私はその機会を逃し続けて来た。
アントワープに行くなら、王立美術館も行きたいのだが、長らく修復中だ。
そして今は、ルーベンスの家も修復中。
行きたいと思う時はいつも、何かしら他のものが見られないタイミングなのだ。

この事を友達に話すと、アントワープは近いのだからさっさと教会だけに行って、夢を叶えてしまいなさいと笑われる。
滑稽な事だと充分理解しているが、この絵を見たくても見られないネロと同じ状況に、私は少しだけ酔っているのかもしれない。

新年を迎えると、いつか訪れたい街を挙げて、いつ行こうかと考えるのが好きだ。

今年こそ、アントワープ聖母マリア大聖堂への夢を叶えるか?
それとも、この絵をずっと待ち望んだネロのように、私ももう少しだけこの絵を待ってみようか?

新年を迎えたばかりの時に、私はこんな事を真剣に考えていた。
それは、私の生きている世界が、今日も平和だという証なのだろう。

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