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鬼のいない節分

私が思い出す節分に、恵方巻は出てこない。
 
私が恵方巻を知ったのは、父からだ。
それはある冬の時期に一時帰国した日、成田空港から自宅に帰る車中だった。
コンビニの前で、ちょうど信号待ちになった。
 
『最近はね、エホウマキというのを、節分に食べるようになったんだよ』と、父が話し始めた。
 
エホウマキが何かも分からず、きょとんとしている私に、見てごらんと、コンビニの方角を指差す。
そこに、大きな広告が出ていたからだ。
 
恵むという漢字に、方角の方、そして巻き寿司の巻きだと、空中に漢字を書きながら、そう教えてくれた。
 
車がまた発進する。
父は運転しながら、関西の海苔問屋のアイデアで、その行事が生まれたことも、ついでに教えてくれた。
恵方という方角のことや、恵方巻の食べ方まで丁寧に説明してくれた。
 
最近、父も節分に、この恵方巻を食べるのだと話していた。
そんな風習が新しくできるなんて面白いね、と私は答えた。
 
 
 
子供の頃のことを、ぼんやりと思い出す。
 
夕方になると、祖母が大豆を炒って、鰯を焼き始める。
その鰯の頭だけを取り、柊の葉と一緒に、一本の串に刺す。
それが出来上がると、私に一緒においでと言って、玄関と勝手口に飾りに行く。
 
このトゲトゲした柊が、鬼を追い払うのは分かる。
でも、鬼は鰯の匂いが嫌いだというのが、不思議な気がした。
私には、食欲をそそる香りだったからだ。
でもやはり、鰯の頭だけというのは、少し気味が悪く思えた。

(写真:神社、御朱印巡りcom)
 
 
それが終わると、炒ったばかりのまだ温かい大豆を桝に入れ、これを父に渡すようにと私に言いつける。
 
父は、その桝を手に取ると、また私に指令を出す。
 
『さあ、全部の窓を開けておいで』
 
私は、玄関から廊下、トイレ、お風呂場まで、あるだけの窓と扉を開ける係だ。
開け終わると、私は父の元へ向かい、任務完了の報告をする。
父は、大豆を手に取り、大きく一呼吸してから、
 
『鬼は~、そと~、福は~、うち~』と何度も言いながら、豆を撒いていく。
 
私もその隣で、大豆を桝から受け取って、真似をする。
でも、ちょっと恥ずかしくて、小さな声で、鬼は~外~と言ってみる。
そんな声じゃ、鬼は出て行かないぞ、と父はニコニコして私に桝を渡す。
 
私は、桝から大豆を一掴み取ると、今度は大きな声で、『鬼は~そと~』と言ってみる。
 
祖母が、あぁ、鬼が逃げて行ったよ、と教えてくれる。
 
 
お菓子のオマケや、節分近くになると頂く、紙やプラスチックでできた鬼のお面。
友達の家では、父親が鬼のお面を被り、豆を投げつけられる役になるようだったけれど、あのお面を私の父が被る事は一度もなかったなと思い出す。
 
鬼は常に、私達の目に見えない「何か」であって、父は退治役というのが、我が家の決まりだった。

(写真:macaroniレシピ)

 
豆まきが終わると、窓を閉めるのも私の役目だ。
窓を閉め終わって、寒い体を炬燵で温めていると、別の桝に残した大豆を持って、祖母も炬燵へやってくる。
 
毎年、歳の数だけ、私の手のひらに大豆を一個一個渡してくれた。
 
私も同じように、祖母の歳の数だけ渡そうとすると、「とても食べきれないから、あなたと同じ数だけ食べるね」と言って、私と同じ数だけ手のひらに取る。
私達は、数を数えながら、同じタイミングで大豆を食べる。

ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いつ、むぅ、なな、やぁ、この、とぅ

お風呂に一緒に入ると、祖母は必ずこんな風に最後に数を数え、しっかり体を温めてから出るようにと私に言った。
私は、祖母のこの数字の数え方がとても好きだった。
祖母と同じように数を数えたくて、何度も何度も祖母の真似をした。
今も浴槽に浸かると、頭の中を祖母の数字が駆け巡る。

父は、歳の数だけちゃんと食べるぞと言い、モグモグと大豆を食べている。
いつまで経っても食べ終わらず、ついには何個食べたか忘れたと言って、途中で止めてしまう。
 
祖母と私は、また失敗だねと、父をからかった。
 
 
 
畳のある和室は、私が箒をかけた。
畳の目に沿って箒をかけることは、小さい頃に祖母が教えてくれた。
 
別の部屋は、祖母が掃除機をかける。
掃除機に吸い込まれる大豆の音が、カラカラと鳴りやまないのが可笑しい。
 
 
節分が終わってしばらくしても、ふとした拍子に大豆を踏みつける事があった。
まだ、こんなところに隠れていたよ~と、私はそれを祖母に見せに行った。
 
祖母は、私の指から、その小さな大豆を、大切そうに受け取ってくれた。
 
 
鰯を焼く香り。
炒った大豆の香り。
 
温かい大豆の温度。
私より体温の低い祖母の手。
 
皺の多い祖母の手。
父のよく通るハキハキした声。
 
連想ゲームのように、次々に溢れる思い出。
 
恵方巻もなく、鬼もいない。
それが私の、節分の思い出。

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