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海の向こうへ

最近、頭の片隅にずっとあるもの。
それは終活。
そう、私は終活を始めたのだ。

終わりなのか、それとも、始まりなのか。
終わりの始まり、という表現が正しいだろうか。

終活という言葉は、もうすっかり日本語の中に定着してしまった。
調べてみると、この言葉は、2009年に雑誌の中で使われたのが最初だそうだ。

死ぬことは、生きること。
生きることは、死ぬこと。

まだ私は、定年には程遠い。
それでも私は、自分の理想の最期を迎えるために、準備を始めた。
準備に早過ぎることはない。
備えあれば憂いなしだ。

私が初めて長い将来設計や、老後について考えたのは、家を買う時だった。
住宅ローンとその返済、万が一の時に備えるための様々な手段。
色々な事を知りたくなり、趣味でFPファイナンシャルプランナーの資格を取ったりしたものだ。

そして今、それらの計画を少しずつ見直している。
より細かく、そして誰が見ても見間違う事がないように、私の遺志を伝えなければならない。
私に最期の時が来たら、日本語の分からない周囲の皆んなが困らないように、充分整えておかなければならない。

大切な人の連絡先。
お葬式は、やってもらわなくても良い。
誰も、私のために泣いてくれなくとも良い。
ただ一つだけ、回避したい事。
Ditoったら、しばらく連絡も寄越さないけどどうしたのかしら?と大切な人に思わせたくない。
だから、私が亡くなった事を、ちゃんと伝えて欲しい人達がいる。

そして、私にどのような資産があるか。
不動産、金融機関と保険会社の一覧とその連絡先。
故人が亡くなった後、これらの情報が分からずに、残されたご家族が大変な思いをされるという話を、仕事柄何度も耳にした事がある。
私の僅かながらの財産を、誰に遺したいか。
誰に使って欲しいか。
特定の人、団体に遺したい財産があるので、遺言状も準備している。

そして私は、どこで眠りたいだろうか。
私は、お墓には入りたくない。
お墓参りは、ご先祖や亡くなったかたの供養の意味があると思うが、私のためにそんな事をわざわざしてくれなくとも良い。
供養などしてくれなくても、化けて出たりしないから。

供養という意味とは別に、お墓参りとは、生きている人が辛いから、お墓に会いに行くのではないだろうか。
その場所にその人はもういないのに、そこにいるフリをして、会ったフリをする。
その人のいない寂しさを埋めるために、それがその人にまだ会える方法だと思いたいのだ。
私に会いたいと思ってくれる人がいたら、こう言いたい。

そんな小芝居は要らないよ。
よく知られた歌の歌詞にある通り、そもそも私はお墓にはいないのだから。

私はキリスト教徒ではないが、自分の遺体が焼かれる事には、小さな抵抗がある。
焼かれる事そのものよりも、あのような小さな白い骨になってしまった後に、私の大切な誰かにそれを見られるのが、なんだか嫌なのだ。
それはきっと、私の幼い頃の記憶が、あまりにも悲しいものだったからかもしれない。

しかし、土葬も嫌だ。
自分の身体が土の中で腐り、悪臭を放ち、虫や微生物によって破壊されていくのは、どうしても気持ちが悪い。
それが自然に還る事だとしても、私の希望ではない。

では、自分の身体を献体するのはどうだろう。
私は、子供に恵まれなかった。
この世に、新たな命を残す事ができなかった。
しかし、私の身体が誰かの中で生き続けるなら、少なくとも私は命を繋ぐ役目を果たせるのではないだろうか。
医療研究のために使われても良い。
それは、いつか誰かの命を助ける基礎になるのだから。

私が生きた証は、この世には何も残らない。
だからこそ、焼かれたり、腐ってしまうくらいなら、少しくらい誰かの役に立ちたい。
自分のためだけではなく、どこかの誰かのために健康な身体を残せるよう、私は健康でありたいと思うようになった。

ドイツには、森林葬という方法があるそうだ。
ある特定の区域内の木の下に、土に還る骨壷に遺灰を詰めて、埋葬する方法らしい。
木に墓標を記す事もできるし、しない選択もあるそうだ。
つまり、匿名。
自分がどこに眠っているのか、誰にも知らせたくないと、そう希望する人も一定数いるらしい。

ドイツの火葬は、骨を残さず、灰になるまで焼くという。
なるほど、それは良い。
私の骨など、誰にも見てもらいたくはないのだから。
献体後に少しばかり残った身体は、綺麗さっぱり灰にしてもらおう。

そして私は、森林葬よりも素敵な最期を見つけた。
それは、海洋散骨。
私は幼い頃からぼんやりと、自分が死んだら海に遺灰を撒いて欲しいと思っていた。
あれから何十年も生きてきて、今もなお、その気持ちは変わらないようだ。

与謝野蕪村の、春にまつわる有名な句。
春の海 ひねもすのたり のたりかな
この句碑が建てられていた場所から見た瀬戸内海は、私にとって最高の、最期の場所であるような気がしていた。

私はあれから、もうだいぶ遠いところに来てしまった。
心も、そして身体も。
私は日本に帰ることなく、このドイツの地で最期を遂げる。

海洋散骨は、北海やバルト海の冷たく波の荒い場所は、真っ平ごめんだ。
アドリア海、エーゲ海、地中海辺りが良い。
太陽が燦々と輝き、蒼く澄んだ水のほうが、イメージが湧く。

私は、お墓にはいない。
私の大切な人が、世界中のどこの海を見た時でも、私がそこにいると錯覚できるように。
街の中を流れる川を見て、その水がいつか海に流れ込む事を、ふと思い出してくれるかもしれない。

どこに撒かれたとしても、私はその時にはもう何も分かっちゃいない。
それなのに最期の場所を探し、ああでもない、こうでもないと考えるのは、何とも滑稽だ。
でもそれは、旅行を計画している時の気分にも、どこか似ている。
私は、少しばかりワクワクしている。
全くおかしなものだ。

死を考える時、同時に、私は生きる事を考えている。
その死を迎える時まで、どのように生きていたいか。
どのような最期を迎えたいのか。

私はこれから迎える死について考え、それを受け入れる事で、今を生きている。
それは、刹那的な快楽を求めるのとは真逆の、真の幸せを得たいという強い欲求だ。

私は今、生きている。
充分幸せに生きている。
そして、これからも幸せに生きていきたい。
私らしく、不器用でも真っ直ぐに。

私の人生の物語。
最期の旅のしおりを、今こうして準備しているとも言えるのではないだろうか。
その最期は、暖かい海から始まる。
桜の花びらが風に舞うように、私の遺灰も海に撒いてもらえるだろうか。
それとも、遺灰の入った壺が、静かに沈められるだけだろうか。
同時に、私の身体の一部はまだ、誰かの身体の一部として機能し、生きているかもしれない。

南インド洋海流にうまく乗り、そして黒潮に乗り、いつの日か、灰の一部は瀬戸内海まで辿り着くだろう。
長い長い、私の最期の旅。

老後は日本で暮らしたいと願う、在独の日本人の知り合いや友達はかなり多い。
しかし私は、ドイツが好きであるし、老後もここで暮らしたいと思っている。
それにもかかわらず、亡くなった後には日本に戻りたいという欲求があった事に、私自身が軽く驚いている。
私は、やはり日本人なのだ。

瀬戸内海に到着する日は、春の日が良いだろう。
ちょうど今日の天気のような、春の暖かい日差しを選びたい。
暗い地中のお墓の中ではなく、私はあの長閑な海で、一日中のたりのたりと漂っていたいから。

5月1日はメーデー。
そして、鈴蘭の日。

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