見出し画像

エッセン フォルクヴァンク美術館

前回の記事の通り、エッセンは炭鉱の街として栄えた。

ルール地帯の富の結晶とも言える美術館が、このエッセンの街にある。

ルール地帯の街ハーゲン。
この街に住んでいた裕福な銀行家一族のカール・エルンスト・オストハウス氏(Karl Ernst Osthaus)は、美術・建築愛好家であり、個人美術館を持っていた。
それが、Volkwang Museumフォルクヴァンク美術館の基礎となる。
また彼は、松方幸次郎氏とも交流があったそうだ。

このコレクションにエッセン市立美術館が統合され、今のフォルクヴァンク美術館が創られたそうだ。
フォルクヴァンクとは、北欧神話に登場する愛の女神フレイヤの住む宮殿らしい。
(フォルクヴァング美術館と表記されている物を見かけたが、最後のgは濁らずにクの発音が近いのでこちらで表記したい)

美術館建物の建築は、イギリス人デイヴィッド・チッパーフィールド氏(David Alan Chipperfield)の手による。
彼は2023年に、建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞している。

前衛芸術を好んだカール氏のコレクションは、ナチス台頭中には退廃芸術と見なされ、焼き払われたり、売却された過去もあるそうだ。
戦後に美術館は再興され、過去よりも大規模な美術館となった。
中庭のある建物は、とても開放的で心地良い。

美術館内部には、その歴史が展示されている。

展示物の最初には、様々な機械部品が組み合わされて造られたストーンヘンジ。

コレクションの数々。
膨大な展示のため、その一部のみ。

ゴーギャン

うちわを持った少女
浜辺の騎手
未開の地 
この作品を描いた翌年に
ゴーギャンは亡くなっている

ゴッホ

サンレミの病院の庭
刈り入れ
Les bateaux

ピカソ

青いブラウスの女性

ルノワール

日傘を持ったLise

モネ

睡蓮

マネ

爆発

ピサロ

ルーヴジェンヌの雪景色

ムンク

二人の孤独な人達

カスパー

朝日の中の婦人

シニャック

サン・クルー
ポン・デ・アート(橋)

マティス

アスフォデル(水仙)のある静物画

クレー

満月の下の火

モンドリアン

赤 黄 青のコンポジション

マックス エルンスト

ワハウアの皇帝
暗黒の神々

キルヒナー

ダンサー
ハレの赤い塔
ダボス近郊の村の山

リヒター
現代アートの巨匠リヒター。
彼が手がけた世界遺産ケルンの大聖堂のステンドグラスは、こちらから。

Schätzler

クリスト

松方幸次郎氏との交流については前述したが、アジア圏の美術品も多く展示されている。
中でも、柿本人麻呂の木像には驚いた。
他にも、エジプト圏の展示品も多い。

動く展示品もあり、ミラーボールがキラキラ輝く部屋も。

5つの惑星

美術館内で、面白い物を見つけた。
絵の背部には貸出記録が残ると読んだ事があるが、それが分かるように展示されている作品があった。
この絵は、日本の国立西洋美術館へ貸出された事があるようだ。(写真を撮り忘れてしまった)

この絵の後ろ側は、、、


そして、そこにはある印が!

日本通運さんは、世界トップレベルの美術品運搬のエキスパートだと聞いているが、こうして日本への美術品運搬に携わっていらっしゃるのを実際に見る事ができた。
さすが、世界の日通さんだ!
(という感動をパートナーに熱弁していたら、近くにいらっしゃった方が、面白そうに聞いてくださった)

さて、この規模のコレクションの美術館は、欧州や他都市であれば、15ユーロ前後の入場料だろう。
驚くなかれ、なんとこのフォルクヴァンク美術館では、このコレクションの数々を無料で見学できるのだ。
通常展示とは別に、特別展等の催しものは別途入場料がかかるが、10ユーロ程度だ。
初めて行った時には、あまり情報もないままフラッと出かけた。
無料という事もあり、失礼ながらあまり期待せずに入ったのだが、そのコレクションの多さに驚いてしまった。
(入場は無料だが、受付でチケット発行が必要)

エッセンは、デュッセルドルフから近いので、私は時々こうして美術館に出かけるようになった。
特に冬の寒い時期には、私にとって美術館などの室内の楽しみが欠かせない。
今年もまた、フォルクヴァンク美術館に楽しませて頂いた。
このような施設が身近にある事を、大変ありがたく思う。
控えめに言っても、私はこの美術館が大好きだ。
これも、富を築き美術を愛したカール氏と、エッセン市のお陰。
毎回、訪問時には募金箱にわずかながら協力させて頂いている。
そして、このような機会や施設が永続する事を、心から祈っている。

美術館帰りに、近くのドイツ料理屋兼パブ Wirtshaus RÜで、Dampfbier 蒸気ビール を頂く。
これはかつて、バイエルンやヴェストファーレンで多く製造されていた上面発酵タイプのビールで、18~20℃の高い周囲温度で発酵させるそうだ。
蒸気という名前は、強い発泡性の発酵プロセスに関係しているそうで、泡がすぐに破裂し、発酵泡の上に蒸気のようなゾーンが発生する事から付けられた名前だそうだ。
安価で製造できることから、当時は貧しい人たち向けのビールというカテゴリーだったらしい。
私はこのパブで初めて飲んだのだが、とても美味しかった。

写真にあるRuhrpottとは、ルール地方という意味の俗語。
ルール地方の街に行くと、Ruhrgebiet(ルール地方) よりも、Ruhrpottの方が頻繁に使われていて、お土産などでは特にこの言葉を使ったものが多い。
これも、地元愛の表現の一つではないだろうか。

お店の名前RÜも、Rüttenscheider Straßeリュッテンシャイダー通り の略で、この辺りにはレストランやカフェが多く、この一帯を略語RÜと呼んでいるそうだ。

ルール地方の宝の詰まった美術館を見学。RuhrpottにあるパブRÜで、この土地ならではビールをいただく。
地元愛を存分に満喫した一日となった。

この記事が参加している募集

雨の日をたのしく

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?