玻璃~はり~

終活として私の人生の棚卸し。 自分の生きてきた道を振り返って、家族のことや関わってきた…

玻璃~はり~

終活として私の人生の棚卸し。 自分の生きてきた道を振り返って、家族のことや関わってきた人たちとのエピソードを書き残します。

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固定された記事

はぎいろモンタージュ 自己紹介

はじめまして。玻璃(はり)です。 終活として・・・。 私の人生を振り返って、 個性的な家族や関わってきた人たち、あの時伝えたかった言葉やエピソードを綴っていきます…

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ラジオの時間です

おいでませ。玻璃です。 中学生のこの頃、父が独立して工務店を開業した。 羽振りの良い元請業者との付き合いが始まり、父もその影響で潤うことができた。 その勢いで、…

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缶ペンケースのおもひで

おいでませ。玻璃です。 中学生活は順調だ。 まず、小学生の時と大きく違うのは、教科ごとに先生が変わること。 教科ごとに個性ある先生が多く,、モノマネ好きな私たち窓…

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中学生になりました

おいでませ。玻璃です。 6年間通った明倫小学校を無事卒業した私は、市内でも一番大きな中学校に入学した。 萩市立第一中学校。 第一だからといって第二があるわけではな…

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2週間前
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会話のチカラ

おいでませ。玻璃です。 小学生生活も残りわずか。 卒業前にクラスのみんなに自分用の寄せ書きを書いてもらう。 「中学生になっても遊ぼうね」 「中学は別々だけどずっと…

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3週間前
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正義は勝つ

おいでませ。玻璃です。 小学6年生くらいになると男女の成長に差が出てくる。 女子の方が精神的に少し大人びてきて、男子の方はまだまだやんちゃな面が多い。 我がクラス…

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1か月前
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語り継ぐための修学旅行

おいでませ。玻璃です。 6年生の春、待ちに待った修学旅行。 行き先は隣の県の広島。 さすがに40年以上前なので、コースなどはハッキリ覚えていない。 まず観光地として…

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1か月前
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小さな恋のメロディ

おいでませ。玻璃です。 私の小学生生活もあと一年。 小学6年生になった私はばあちゃんの家での暮らしやバス通学にも慣れ、毎日充実した日を過ごしていた。 小学6年生…

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1か月前
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呑んだ夜には

おいでませ。玻璃です。 ばあちゃんの家が私の家になったこの頃、父は転職をした。 家から歩いて5分とかからない所に洋平の実の兄、清が結婚をして住んでいた。清おじさん…

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1か月前
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港町へ

おいでませ。玻璃です。 ばあちゃんとの悲しい別れから少し経って、母からまたあの言葉が。 「玻璃ちゃん、また引っ越しするんやけど。」 この武家屋敷を出て、ばあちゃ…

玻璃~はり~
2か月前
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エンディングメッセージ

おいでませ。玻璃です。 病院で亡くなったばあちゃんが無言で自宅に帰り、お通夜、葬儀が執り行われた。 絶賛水疱瘡中の私はお通夜の晩、弔問客が少ない時を見計らってば…

玻璃~はり~
2か月前
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お誕生日ありがとう。

おいでませ。玻璃です。 いつもの金曜日投稿とは別の番外編。 今日4月3日は私の誕生日。 誕生日の日に思うことを書きたいと思う。 55年前の今日、私はこの世に生を受けた…

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2か月前
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ありがとう。さようなら。

おいでませ。玻璃です。 秋風が吹き寒さを感じ始めた頃、ガンで入院中のフチばあちゃんの痛みが強くなってきた。 あの頃は、今のように痛みのコントロールをきちんとしな…

玻璃~はり~
2か月前
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始まりは一年前の今日

おいでませ。玻璃です。 昨年の今日、noteでこの「はぎいろモンタージュ」を始めた。 そう、今日で丸1年。1周年記念日。 今日はそんな記念日投稿なので、この1年で感じ…

玻璃~はり~
2か月前
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カルスト大地にて

おいでませ。玻璃です。 私の母校、明倫小学校の5年生のビッグイベントといえば、秋吉台での合宿だ。 秋吉台は日本最大級のカルスト台地。 広大な緑の中のところどころに…

玻璃~はり~
2か月前
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二人の転校生

おいでませ。玻璃です。 私のクラスに時期をずらして二人の転校生がやって来た。 一人は、東京から来たタムラさん。 彼女は少し茶色い髪の毛でマッシュルームカットの色…

玻璃~はり~
3か月前
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はぎいろモンタージュ 自己紹介

はぎいろモンタージュ 自己紹介

はじめまして。玻璃(はり)です。

終活として・・・。
私の人生を振り返って、
個性的な家族や関わってきた人たち、あの時伝えたかった言葉やエピソードを綴っていきます。

今日は初めての投稿なので、簡単な自己紹介を。

私は、アポロ11号が月面着陸をした年に山口県萩市で四人姉妹の末っ子として生まれました。
小さいときから大人ばかりの中で育った“おませちゃん”。
激動の実家話はまた追々。
今は仕事をし

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ラジオの時間です

ラジオの時間です

おいでませ。玻璃です。

中学生のこの頃、父が独立して工務店を開業した。
羽振りの良い元請業者との付き合いが始まり、父もその影響で潤うことができた。

その勢いで、家の庭部分に増築をした。
平屋だった祖父の建てたこの家が、廊下の突き当りから階段ができて二階建てとなった。二階には3部屋。
その一つの日当たりの良い部屋がマイルーム。
爽やかな薄いピンクのカーテンに白い壁。新しいレコードカセットプレーヤ

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缶ペンケースのおもひで

缶ペンケースのおもひで

おいでませ。玻璃です。

中学生活は順調だ。
まず、小学生の時と大きく違うのは、教科ごとに先生が変わること。
教科ごとに個性ある先生が多く,、モノマネ好きな私たち窓際族の話のネタとなった。

女子の体育教師でスラリと背が高く、日に焼けたショートカット、水泳の木原光知子さん似の「おだばあ」。

家庭科教師で体の比率が湯婆婆に似た「とくばあ」。
(基本女性の中年以降の先生は”ばあ”がつく)

国語教師

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中学生になりました

中学生になりました

おいでませ。玻璃です。

6年間通った明倫小学校を無事卒業した私は、市内でも一番大きな中学校に入学した。

萩市立第一中学校。
第一だからといって第二があるわけではない。
萩市民は一中(いっちゅう)と呼んでいた。
私の在籍中は1学年8クラスあり、市内では一番大きな中学校だ。

私の家は自転車通学の区域だった。
自宅から自転車で約15~20分くらいだっただろうか?
中学入学と同時に買ってもらった新し

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会話のチカラ

会話のチカラ

おいでませ。玻璃です。

小学生生活も残りわずか。
卒業前にクラスのみんなに自分用の寄せ書きを書いてもらう。

「中学生になっても遊ぼうね」
「中学は別々だけどずっと友達!」
「これからも明るく元気な玻璃ちゃんでいてね」

などなど、みんなかわいいイラストを描いてくれたりして賑やかでかわいい寄せ書きになった。
その中で、竹内さんこと「おタケ」の書いてくれた言葉に目がとまった。

「掃除の時間に話し

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正義は勝つ

正義は勝つ

おいでませ。玻璃です。

小学6年生くらいになると男女の成長に差が出てくる。
女子の方が精神的に少し大人びてきて、男子の方はまだまだやんちゃな面が多い。

我がクラスの男子のやんちゃぶりに、女子たちは困っていたし、腹が立っていた。

何かといえば変なあだ名を付けて、からかってくる。
私のあだ名は、旧姓の苗字に「宮」が付くからと、付けられたあだ名は「宮尾すすむ」。それが短くなって「すすむ」と呼ばれて

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語り継ぐための修学旅行

語り継ぐための修学旅行

おいでませ。玻璃です。

6年生の春、待ちに待った修学旅行。
行き先は隣の県の広島。

さすがに40年以上前なので、コースなどはハッキリ覚えていない。

まず観光地として思い出すのは厳島神社。
その荘厳な雰囲気は小学生の私でも身が引き締まるような心持ちだった。
海の向こう側に見える鳥居の立ち姿は見たことのない美しさだった。

宮島の公園で鹿と戯れて、お土産には定番のもみじまんじゅうを買う。
土産物

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小さな恋のメロディ

小さな恋のメロディ

おいでませ。玻璃です。

私の小学生生活もあと一年。
小学6年生になった私はばあちゃんの家での暮らしやバス通学にも慣れ、毎日充実した日を過ごしていた。

小学6年生ともなると友達同士、恋バナで盛り上がる。
この頃の私の恋と言えば、他のクラスの「前ちゃん」こと前田くん。
背がすらりと高く、少し面長でイケメンタイプ。
学校の放課後に活動するサッカー部に所属していてスポーツ万能。
勉強はクラスが違うので

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呑んだ夜には

呑んだ夜には

おいでませ。玻璃です。

ばあちゃんの家が私の家になったこの頃、父は転職をした。
家から歩いて5分とかからない所に洋平の実の兄、清が結婚をして住んでいた。清おじさんは板金業をやっていて、父はそこで働くことになった。

清おじさんは奥さんと白いプードル2匹と暮らしている。
幼い頃にバラバラに育った兄弟が大人になって一緒に仕事をするようになった。普段は仲良くしていたが、お酒やギャンブルが大好きな父と真

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港町へ

港町へ

おいでませ。玻璃です。

ばあちゃんとの悲しい別れから少し経って、母からまたあの言葉が。

「玻璃ちゃん、また引っ越しするんやけど。」

この武家屋敷を出て、ばあちゃんの家に引っ越すという。
亡くなったじいちゃんの兄である”まぁま兄”と呼ばれるおじいさんと家を相続する話ではかなり揉めたらしいが、結局父、洋平が家を相続することになったらしい。

ばあちゃんの家は、城下町の武家屋敷からすると市内でも反

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エンディングメッセージ

エンディングメッセージ

おいでませ。玻璃です。

病院で亡くなったばあちゃんが無言で自宅に帰り、お通夜、葬儀が執り行われた。

絶賛水疱瘡中の私はお通夜の晩、弔問客が少ない時を見計らってばあちゃんに会いに行った。
手足の痛みに加えて、全身岩をくくりつけたように重い身体を引きずってそっとばあちゃんの冷たくなった顔を覗き込んだ。
痛みから解放されたその顔は穏やかだったことを覚えている。

水疱瘡の私はお通夜にも長くは居られず

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お誕生日ありがとう。

お誕生日ありがとう。

おいでませ。玻璃です。

いつもの金曜日投稿とは別の番外編。
今日4月3日は私の誕生日。
誕生日の日に思うことを書きたいと思う。

55年前の今日、私はこの世に生を受けた。
母があの痛みに耐え、踏ん張って私を産んでくれた日。

55年前の今日が、いろんなご縁との始まりの日だ。
私は母のお腹の中で一人で丸くなって安心して眠っていたのに、いきなり

「ここから出る時が来ましたよ~」

と誰かの声が聞こ

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ありがとう。さようなら。

ありがとう。さようなら。

おいでませ。玻璃です。

秋風が吹き寒さを感じ始めた頃、ガンで入院中のフチばあちゃんの痛みが強くなってきた。

あの頃は、今のように痛みのコントロールをきちんとしながら苦痛をなるべく感じないように…というのは難しく、次の痛み止めを使えるまでの時間は地獄のような痛みに耐えなければならなかった。
激しい痛みにも、小さい頃から忍耐を強いられたフチばあちゃんは歯を食いしばって耐えたという。

看病に母は付

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始まりは一年前の今日

始まりは一年前の今日

おいでませ。玻璃です。

昨年の今日、noteでこの「はぎいろモンタージュ」を始めた。
そう、今日で丸1年。1周年記念日。
今日はそんな記念日投稿なので、この1年で感じたことなどを綴る回にしようと思う。

最初のご挨拶投稿から始めて、この記事は57記事目。
最初の頃は曜日を決めずに投稿していた。
でも途中から私の星的にパワーをもらえるという金曜日の16時に投稿を決めた。

そこから毎週金曜日は、忙

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カルスト大地にて

カルスト大地にて

おいでませ。玻璃です。

私の母校、明倫小学校の5年生のビッグイベントといえば、秋吉台での合宿だ。
秋吉台は日本最大級のカルスト台地。
広大な緑の中のところどころに美しい白さを放つ石灰石は、およそ3億5千万年前に南方の海でサンゴ礁として誕生し、それから長い年月を経て現在のようなカルスト台地を形成したという。

秋吉台の地下には日本屈指の3つの鍾乳洞がある。
秋芳洞、景清洞、大正洞だ。
鍾乳洞とは、

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二人の転校生

二人の転校生

おいでませ。玻璃です。

私のクラスに時期をずらして二人の転校生がやって来た。

一人は、東京から来たタムラさん。
彼女は少し茶色い髪の毛でマッシュルームカットの色白の子だった。

友達とタムラさんの家に遊びに行くと、お母さんがとても喜んでくれて、おしゃれなグラスにオレンジジュースやミルクセーキをたっぷりと入れストローを差しておやつと共に出してくれた。

タムラさんは宝物入れのお菓子の缶を持ってき

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