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BUMP OF CHICKENのメーデーにコーチングを紐付ける

最近思考がすぐコーチングにひっぱられ紐付けされてしまう碧ですこんばんは。

本日ひょんなことからまーさんとの久しぶりのスタエフコラボが実現し、その中で出てきたワードとして、BUMP OF CHICKENのメーデーがあった。

この曲におけるメーデーは救難信号という意味だが、自分の誕生日(労働者の祭典)がメーデーと呼ばれるので、密かに自身のテーマソングに設定している。
歌詞うろ覚えだったけど…と余談はここまでにして、大好きなこの曲から、思い浮かぶことを書いてみようと思う。

同じ曲を聴いたり歌詞を見たりして、いろんな人の解釈をシェアする会をしたいなという希望もここに置いておく。




さあ行こう!

君に嫌われた君の 沈黙が聴こえた
君の目の前にいるのに 遠くから聴こえた

抑圧された自分の副人格の声?
シャドウの声?
願いに気づいて欲しくて、不都合な形で表出されている何かの沈黙が、息遣いが、聴こえているのかもしれない。


発信源を探したら 辿り着いた水たまり
これが人の心なら 深さなどわからない
呼ばれたのが僕でも 僕じゃないとしても
どうでもいいことだろう問題は別にあるんだ

水溜まりのような、なんとはない普段なら通り過ぎてしまうようなものかもしれないけれど
気づいてしまったらそれは入り口になってしまって、底が見えないようなもので、想像するとちょっと怖くなっちゃったな。

でも呼ばれた。
呼ばれたってことは、見る時なのだと思う。
助けて欲しいと、呼ばれたのは僕じゃなかったとしても、救難信号に気づいてしまったのなら…見て見ぬ振りできないよな。


息は持つだろうか 深い心の底まで
君が沈めた君を見つけるまで潜るつもりさ
苦しさと比例して 僕らは近づける
再び呼吸をするときは君と一緒に

君が沈めた君を一緒に見に行く。
沈めて見えないように、なくそうとしたものに再び近づくのは苦しいけれど、発している願いに気付くことができる。
気付くことで、無意識に心を占めていたものが解放されて、再び呼吸がしやすくなる。そんなことを考えた。



僕もまた同じように 沈黙を聴かれた
君もまた同じように 飛び込んでくれるなら
口づけを預け合おう 無くさずに持っていこう
君に嫌われた君へ 代わりに届けるよ

自分ごとになっても同じだ。
1人で飛び込むのは怖い。一緒に飛び込んでくれる人がいるから勇気が出る。
自分では聴けない自分の声を、代わりに聴いてわたしに届けてくれる。
シャドウワークを連想した。



怖いのさ 僕も君も
自分を見るのも見せるのも
あるいは誰を覗くのも
でも精一杯送っていた
沈めた自分から
祈るようなメーデー

やっぱり怖いよな、自分の中の認めたくない自分とか、あってほしくない部分を見るのは。
あってほしくないんだもの。
でもきっといつか、あるのに無いとし続けていると、抑え込めなくなってくる。
自分を見つけて!息ができない!と精一杯の叫びが聴こえてくる気がする。
無視して、見えてても見ないようにして進むことだってできる。
でも気づいてしまったら、自分の一部を沈めたままそのまま進むことも同じくらい苦しいと思う、わたしはね。


息は持つだろうか 眩しい心の外まで
再び呼吸をするときは 君と一緒に
メーデー/BUMP OF CHICKEN


自分はかなりBe withに寄った考えをしてしまうところがある。
深く潜ることは苦しいイメージが強いけれど、でも自分の中の大切な何かと繋がっているものだから、明るく見に行くこともできるようになりたいと思っている。

共に居る、共に在ることを重んじたい。

そして、再び君と一緒に呼吸をするのは、コーチだと思っていたけど違うんだな。
君の中にたしかにいる、大事な価値観の君、覆い隠されていた君と、君が一緒に呼吸をするんだろうなと思った。

そこから先は勝手に進んでいくのだろう。
君の中のたくさんの君が、同じ方向を見て息ができるのだから。
手放すのも共に歩むのも、自分で選択できる。



とまあ、ここまで書いてみてすごく自分のメガネがかかっているなと感じたけれど、それすら自覚しながらこれからも琴線に触れたことは言葉に残していきたい。

そしてまずは自分の救難信号に気付くこと。
いまここにもっと真剣に取り組みたい。
明日の仕事、頑張ってみよう。

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