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π10万桁暗記老人の”目から鱗な人間・社会観”

『はじめに』

  私は後期高齢者ながら日々に円周率10万桁を暗唱するなどの頭脳活性化マニアです。
 ついては一般的な思考とは異にした視点・観点からの発想や想像に親しみこむ習性を持つように成っているようなのでした。
 そんな常識道を大きく踏み外すことで得られる知識や知恵を提供したなら世の人々に喜んで頂けるのではないかとの思いから書き綴って参りますので宜しくお付き合い願って置きましょう。
 なお、ここに於いての〔神仏〕とは宇宙運行の根源・根幹を意味しております。

『Ⅰ、“才”の分類』

1,各才の違い

○、愚才=常識の中でも答えは出せぬ者
○、凡才=常識の中から答えを出せる者
○、秀才=常識にはない答えを出せる者
○、天才=常識にはない問いを探せる者
○、奇才=常識にはない問いを発せる者
○、鬼才=常識では計り得ない能力の者
 但し、大方の誕生時は無才で、その後に変ず。
 以上につき天才に葛飾北斎を、奇才にアインシュタインを当てはめて鬼才にはUFOの乗員と見做してみれば差異のほどが分かって参りましょう。

2,各々が上位を希求するもの

 どの才であって皆が一貫して上位を目指す人生であること間違いありませんね。
 例えば、私自身が愚才から発して一つ二つ階段を上がってきたことにつき実感しているのでした。
 なお、人間の頭脳が死ぬまで向上し、成長するように出来ている理由を考察すると或る種の貢献をしていることも垣間見えてくることにつき末尾辺りで明らかにしております。

『Ⅱ、先天性患者は尊崇されるべき存在』

1,ダウン症患者の笑顔

 ダウン症患者を見かける度に思うことがあります。
 「なんとも優しい表情を為さって居られる」と何方に合っても皆さんが同じエンジェルのような方ばかりなのでした。
 一体、彼らには悪意というマイナス感情が有りましょうや、きっと全く無いのだろうとお察ししますね。
 さて、それで考えるのですよ、「悪意のなさは先天性疾患者に共通することではないだろうか」とです。
 きっと、浮世との関わりが薄い分ほど心の中に邪悪な有象無象が生じないのではないでしょうか、勿論そんな面も有るはずですね。
 でもですよ、そんな些細な事より、もっと大切な使命を帯びて此の世に生まれて来たのではありませんか。
 むしろソレに違いないとなれば、では一体それは何なのか。

2,先天性り患者の貴重性

 かつて、先天性難病と言われる厄介物を背負った人々は前世の悪行が災いした“業病”なのだと言い古されていたようですが、それは全く違いましょう。
 そうではなく人間社会の未熟さを抱え背負わされているのではありませんか、言ってみれば広島や長崎の被害者と同じなのですよ、きっと。
 つまり、人類が抱える未熟な不都合を一身に体現させられているのではないでしょうか、これ見よがしに〔神仏〕から“人類全体の業病”を押し付けられているのだろうと想えて成りませんのです。
 さて、もしもそうなら、翻って思いますに私たちが得られている健康は彼らの犠牲の上に成り立っているという事になりましょう。
被爆者が病苦に苛まれている一方で陽気に繁栄を謳歌している人々が居たのと同じです、彼らを気の毒に思いながらも〗
 要するにですよ。
私たち一般人が享受している日々の平穏・安寧は彼ら先天性疾病患者の苦難を犠牲にして得られているという理屈が成り立つという訳でした。
 さーさー、そうと分かってみればですよ。
「彼ら先天性難病の患者たち」なんぞとの捉え方は不遜すぎて何とも恥ずかしくなって参りましょう、土下座さえしなければならない程の無礼だと言わざるを得ないのではありませんか。
 はい、そんな訳ですからね。
 もしも、あの方々が車椅子で近づいてきたなら道を譲り路肩に身を引いてお迎えし、通り過ぎる後ろ姿に手を合わせお見送りする程の行いを為すべきではないでしょうか。
 つまりは現代のお殿さまとして遇するべきだという話ではあるのでした、もちろん私は実践しておりますよ。
*これにつき今は茶番に過ぎると思われる人でも、いずれは同じ感性を持ちだすこと私は確信しているのでした、ナゼなら人は誰もが心神の成長を希求するよう出来ているからですよ。
*そうして、そんな心持ちを持つ人々が増えることで先天性患者が減っていく仕組みに成っているのだろうと私は推定しているのでした。

3,人類の宿命的業病

 さて、では “人類全体の業病” とは何なのか。
 先ずは “自然破壊” を挙げなければならないでしょうね、止むことなき経済的強欲で人間以外の生命を激減させ続ける行状ですよ。
 もうそれは傍若無人ならぬ “傍若無神“ な振る舞いと神仏には思えてならないのではありませんか、それで時々生じさせるのが菌やウイルスの爆発的広がりなのかも知れないのですよ。
 はい、ペストやコロナ騒ぎがその典型ではないかと私は捉えているのでした。
 生命存在の頂点である人類に対抗できるのが生命体の最小単位であるウイルスや菌だったとは、そこに興味深いモノが潜んでおりましょう。
 生命体の最大者と最小者が繰り広げる戦こそ、この世での争いの最たるモノとの皮肉が思い知らされては参ります。

4,人類の目指すものとは?

 さて、そんな人類ではありますが然し、コロナも終結し、国際社会は一部を除いて再び繁栄を謳歌し始めました。
 はい、紆余曲折を経ながらもヤハリ人類は進化して参りましょう、それが天命であり宿命だからですね。
 ならば ”その天命・宿命とは何ぞや” につき浮き彫りにすることこそが ”このエッセイの主題” なのだとお捉え願って置きましょう。

『Ⅲ、思考力は絶対に衰えない』

1,大いなる思い違い

 日本中、いや世界中の人々が「思考力は老衰する、加齢と共に必ず劣化するもの」と思い定めて居られましょうね、だから「認知症り患も仕方ない」と安直に受け入れてしまうのではありませんか。
 さて、ではありますがね。
 それは全く違うのだと先ずは断定して置きましょう。
 〖思考力は死ぬまで向上する〗
 
はい、そうであることにつき私は傘寿を目前にした我が身を以て確認できているのですよ。
 つまり中高年の皆さんが「年取ったせいで思考力が・・」と言いましょうが然し、それを180度引っくり返せることにつき実証してまいりますゆえ
期待しながらお読み下さるよう願っておきます。

2,SMで鱗が落ちだす

 ちなみに、スーパーマーケット(SM)に行ったと仮定してみましょう。
 そして、そこに並べられている商品の名称を、例えば「ダイコンだよ」、「豆腐に決まってるじゃないか」などと言えない人が居りましょうや? いいえ、多分は百歳の老人でも殆ど言えるはずですよ。
* 認知症り患者でも初期なら容易に可能でしょうね。
 さて、この辺で既に “目から鱗が落ち始めている” ことにお気づきなのではありませんか。
 はい、つまりですね。
 〖思考対象は無限にありそうだ〗
 それを踏まえて次には品数に目を向けてみましょう、商品ごとに幾つ置かれているか数えられないこともないですね、当然に。
 更には各々の農作物や魚類らが当店に届くまで一体どのような過程で如何ほどの人々が関わったかに想いを馳せてみることぐらいは出来ましょう、指摘されればですが。
 さーさー、以上に小手調べ程度を提供しましたが、これだけの事柄なら難なく考察できると認めて頂けましょうね、もちろん年齢に関係なくですよ。 

3,思考力とは使用量次第と分かる

 或いはまた、ミルクや乳製品に目を向けてみましょう、これらの品物が世に無かった時代に想いを馳せたなら今ある有難さがシミジミ分かってはまいります。
 そうするとですね、昔には口にすることがなかった加工製品のアレコレにも思いが向いて来るのではありませんか。
 はい、つまりはですね。
〖どうやら思考力とは使うか使わぬかだけの話〗
 さて、このようにSMでさえ思考対象が幾つもあるのですからね、となれば売られている品種が極めて多いホームセンター(HS)へ行った場合には食品だけの店とは格段に違ってくること容易に察しがついては参りましょう、間違いなく。
 ですので、今度は一つの製品に集中的な考察を試みてみませんか、とりあえずは“自転車”を題材に定めます。

4,自転車の成りたち

 さて、HSへ行き目の前に“自転車がある”と想像してみましょう。
 ①名称は自転車 ②日本のメーカーは幾つ? ③貴方の初乗りは何時? ④ダレが発明した? ⑤いつ日本に入って来た? ⑥どのように変化した? ⑦自分の愛車に名を付けるとしたら? ⑧部品数は? ⑨部品ごとの造られ方は? ⑩値段は妥当? ⑪これに付け加えたい物は? ⑫電車に乗せるには? ⑬自転車の種類は? ⑭老人仕様にするには? ⑮空気入れも帯同できるようにするには?
 以上、15件ほど挙げてみましたがモチロン設計図や製造工程で関わった人々など等の考察対象は幾らでも広げられるのではありませんか、考察範囲が幾らでも派生してくるゆえにですよ。
 さーさー、自転車一つだけでも此れだけ挙げられるのだから、となればHSに並べられている製品の全てに思いを向けたなら一年いても終わらないのは明らかですね。
 しかも、この考察に年齢的ハンディは無いどころか反対に思考力がドンドン高くも強くも成って行くのは当然の話なのですよ。
 かくして私は主張するのでした。
 〖思考力は死ぬまで向上するもの〗
 
はい、結論が出ましたね、尚この延長上に “あの有名なアインシュタインの思考実験” があることを明示して置きたいものですね。
 以上にて、一件落着、メデタシめでたし! 

『Ⅳ、“善意と悪意の言葉数”に大きな違い』

1、善意の言葉

 良い人、秀才、天才、利口、立派、優しい、大物、大器晩成”、他にはえ~と・・。
 なんとマー、かなり少ないですね~!
  “悪意の言葉” との数の違いは何なのでしょうか。

2,悪意の言葉

 バカ、アホ、間抜け、オタンコナス、お前の母ちゃんデベソ、ボケナス、とんま、たわけ、小者、小心者、味噌っかす、昼行燈、落ちこぼれ、ごく潰し、役立たず、うつけもの、やくざ者、人間のクズ、糞ったれ、社会の嫌われ者、アンポンタン、アホンダラ、貧乏人、能なし、用なし、トンチンカン、etc”
 なんとマー、沢山ありますね~!
  “善意の言葉” との数の違いは何なのでしょうか。

3、未来は逆転する

 以上の数量的差異につき、もちろん反論なさりたい人も多いでしょう。
 ですが、いずれは悪意の言葉が消え去る未来が必ずあり、それまでは延々と不都合点を改善し続ける人間社会であることを主張したいがための論なのだとする私の真意を知っなら許して頂けるのではありませんか。

『Ⅴ、“天国と地獄の数”に大きな違い』

1,天国の数

 神仏の天国、歩行者天国、酔っ払い天国”、他にはえ~と…、
 なんとマー、かなり少ないですね~!
  “地獄の数” との違いは何なのでしょうか。

2,地獄の数

 阿鼻地獄、叫喚地獄、炎熱地獄など8つ、他に“135”もあるそうです
 なんとマー、沢山ありますね~!
  “天国の数” との違いは何なのでしょうか。

3,これも未来は逆転する

 UFOで未開部族を観察に来ている宇宙人たちの社会では既に成っておりましょうね、間違いなく。

『Ⅵ、ナマケモノはマジメモノ』

1,怠けている訳がない

 もちろん“ナマケモノ”は身動きがキワメテ鈍く遅いもの。
 ですが、だからって怠けているのでは決してなく、むしろ真剣に動いているのですよ。
 つまり真の姿は全く以て逆なのでした。
 それはソレは必死に、それこそ一所懸命に生きているのであって本当は次のように言えるのではありませんか、間違いなく。
 〖ナマケモノの真実はマジメモノ 〗
 
はい、その姿を観察すればするほど驚かされてまいりましょう、樹木にも遠慮し食事は日に数枚の木の葉のみなのでした。
 彼らは我が身を守る防衛本能さえ捨てた完全なる平和主義者なのであり餌食にしようと襲い来るワシにも無防備で身を晒しているのですよ。
 さて、それで見えてくるのが人類の未来像なのではありませんか。

2,ナマケモノは本能を克服した人類の未来像

 さて、地球の自然は荒れる一方ですが、これは人間の飽くなき経済活動ゆえのことではありましょう。
 これにつき近未来には海産物や農作物の確保が難しくなってくること間違いないのですよ。
 もちろん、そんな状態では戦争などしている状況でも決してありませんね、となれば必然的に知的欲求のみの人類へと変貌してまいりますし、すると次に未来人の姿がダブって来るのは “ナマケモノ” の存在です。
 はい、UFOで地球に訪れてくる宇宙人も、そのような心身に成っているのは間違いないでしょうね、きっとですよ。
 となれは、つまりはナマケモノならぬ ”マジメモノ” こそ私たち人類の目指す存在だという結論が導き出されてくるのでした。
 要するに次のような設定とは相なりましょうね。
 〖”マジメモノ”は人類の未来像なり〗

 『Ⅶ、日本を悪くした三つの言葉』

 戦後の日本社会を悪くした三つの言葉を挙げてみましょう、すると日本人社会に潜む根本的な問題点が見えて参りますゆえにです。

1,終戦

 もちろん先ずはこの言葉でしょうね、日本社会がケジメを付けたがらぬ習性をモロに象徴しているのではありませんか。
 とてつもない未曽有の犠牲者を出していながら“”敗戦“”とは認めない醜さにて、清廉・潔さを片隅に押しやる悪根性のしたたかさが今でも社会に蔓延していることは間違いなく、例えばイジメです。
 酷いイジメに合い自殺する子が絶えなくても地域の教育を司る教育委員会の大方が“イジメ”をした側のみ守ろうとする姿勢こそが、それの典型なのではないでしょうか。
 つまりは、いわゆる“”ナーナー社会””が日本の本質だったという言葉で括れるのでした、これは残念であり無念です。
 もちろん〔罪を憎んで人を憎まず〕ではあるので、それなら罪のみを暴きだせば良いだけのことなのでしょうに、それも出来ないとあってはヤハリ大勢側を庇う習性ゆえのことなのですよ。
 恐らくは、加害者らを公の場に曝(さら)けだすのは忍びないということなのですね、多分は。
 死んだ者の無念さを推し量れば絶対に避けられないはずなのではありましょうに、恨まれるのを恐れるゆえにか良心は押し殺して知らぬ顔の半兵衛を押し通すのでした。
 なお、イジメ以上に明確な証拠として “三つ目で挙げる言葉” もその類なのは間違いありませんね。

2,記憶にございません

 これは、言わずと知れた “ロッキード事件” を象徴する言葉ですね。
 昭和51年の裁判で罪を免れ得た被告人にとっては正に珠玉の言葉、まるで先祖が守ってくれた“”言霊””のように思えたことでしょう、きっと。
 さて、これにつき、その後の法廷でも何度か使われているらしいので、覆す手立てを検察側は未だに持ち得てはいないということなのだから、裁判史上では未曽有の言葉と言えるのでありませんか。
 もちろん諸外国でも用いられているでしょうね、弁護士たちの世界では最も重宝されているモノの一つであること間違いないからですよ、全く以って日本の恥です。

3,想定外

 さて、最後に挙げるのは “福島原発事故” の裁判で盛んに用いられた言葉でしたね。
 「想定できなかった」なら、そんな価値高い地位に居座った罪というモノも ”想定されてはいない” という事でしょうか。
 はい、分かってはいます、それほど重要かつ重大な任に着くには余りにも不釣り合いで小さすぎる人格や意識・技量を咎めたてる法はないのですね、これは残念です。
 以上、日本社会の発展を阻害し未熟な後進国にしている三つの言葉につき少々ながらも論じてみましたが如何だったでしょうか。

4,国民全体の魂みがき問題

 さて、倫理・人道上で世界をリードする北欧諸国と比べたならヤハリ未だ未だの未開性が懸念されてなりませんね。
 すると国民が持つ人類進歩への関わる量、関わる質が大いに違って来るゆえ当然に国民全体の ”魂みがき” が少なくなり末尾に出てくる宇宙運行への貢献度が低くなるという話に成っては参ります。

〖Ⅷ、今の私たちは渋柿かも』

1、一皮むければ

 渋柿は食べられませんね。
ですが、皮をむいて干せば甘柿よりもグッドになりましょう。
 甘柿の熟した物はグジュグジュで食べにくいのに比べれば干し柿の方がずい分と重宝されるように成ってはまいります。
 このことにつき私たち人間にもソックリ当てはまるはずですよ。
 例えば今はダレからも嫌われ見向きもされない人であったとて一皮むけて開き直れば素晴らしい人物へと変身できるのですよ、きっとね。
 はい、そうなのでした、開き直って我が身を晒せば怖いものなしに成るので、それはミゴトな変身を遂げますでしょうこと間違いありませんのです。

2,改心した悪人のスゴサ

 このことは改心した悪人の姿にヨク現れておりましょうね。
 心を入れ替えて善人に成ったなら一般の人々と比べれたらミゴトに潔い素晴らしい人物となる例は幾らもあるのではありませんか。
 さて、それゆえにの話ですよ。
 そこまでには行かないまでも今日までグータラで風采の上がらなかった人とて一たび奮起すれば、きっと大きく変われるのは間違いないのですね。
 ましてや日々に精進を欠かさない私たちだったとあれば本のチョッとだけ皮が剥けただけで大きくジャンプすること請け合いますよ。
 はい、ついては明日といわず今の今にも腹をくくるなら必ず世に秀でた存在へと変身しましょうよ、それを世の中の方も待っているのですからね。
〖人間の精神力が一気に向上する構造が出来ている〗
 つまり ”魂みがき” が容易になる仕組みも備わっているということですよ、私たちの身にはね。
 さー、これにて一件落着、メデタシめでたし。

『Ⅸ、そこに山が有るから登る? 違うね』

1,苦難を求めて

 ワザワザ時間を掛けながら遠くの山を目指して登りに行くのは一体ナゼなのでしょうか。
 「そこに山が有るから登る」のでは決してなく、むしろ好き好んで“”アイガーなどの絶壁””に挑みたがるのですよ。
 ならば、その辺に人間が秘める何やらかの大きな意味合いが在るからのことなのは間違いありませんよ。
 それにつき先ずは次のように明確な答えを提示して置きましょう。
 〖人は自分の心身を濃密に使いたい欲求を本能的に持っている〗
 はい、それがつまりは“魂を磨く行為”に成るのではありませんか、恐らくですが。
 つまり ”魂みがき” が宿命づけられているのではないかと私は捉えているのでした、その証拠として””ランナーズハイ””を挙げて置きましょう。

2,極限を求める本能

 更にまた例えば大谷選手などスポーツをやる人々は日々に極限まで自分を追い込んだ練習に明け暮れておりましょう。
 ケガや故障と隣り合わせの危険を見据えながら黙々とまい進する辺りに人間の身に備えられた”“ある種の本能””が垣間見えてなりませんのですよ、私には。
 つまり、心身を極限状態に置いたなら〔神仏〕が貸与してくれた生命の意味合いと直接的に対峙できるからではないでしょうか。
 要するにですね、それつき次のような定義ができるようになって来るからですよ。
〖それこそが “魂みがき” の最たるもの〗
 はい、以上につき断言して置きます。 

3,神仏が希求するのは

 要するにソレが人間存在の根本なのではありましょう、自己の存在価値を高める最たる行為と言う訳ですよ、ナゼなら次のような定義ができるゆえに。
〖どれだけ自分の心身を密度濃く用い得るか〗
 
更に言うならですよ。
 〔神仏〕が人間たちに求めて止まないこと、それは “濃密な魂みがき” であるのは間違いないでしょうね、それを以って宇宙運行のエネルギーとするために。
 はい、これにて一件落着、メデタシめでたし。

『Ⅹ、宗教と偉人たちの教え』

1,宗教

 世に宗教団体は数多ありましょうが、その主張は全て一つです。
〖幸せに成ろう〗
 はい、これにつきましょうね、間違いなく。
 そうなった状態なら人類の質的向上への貢献に寄与するからであること間違いないゆえにです。

2,偉人たちの教え

 人道を説く偉人たちも皆さんが一つの合言葉を用いましょう、ブッダやマザーテレサ、ヘレンケラー等が挙って次のように言うのでした。
〖人々を幸せに導きなさい〗

『Ⅺ、生命の意味する処』

1,人生は向上あるのみ

 自己の存在意義を高めることこそ人生上に一貫するテーマです。
 昨日より今日を、今日より明日を、そうして死ぬまで今より以上の価値高い吾が身の姿を追い続けるのでした、誰彼なく一人残らずです。
〖成長しない今日がもどかしい〗
 もし、そう出来ずにいる人々が居たなら、それは社会の責であり人類全体の瑕瑾であること間違いありませんでしょうね。

2,生物全てが!

 ””今日より明日””の姿勢は生物全体で言える事ではありましょうね、動物や草木たちも同じです。
〖コンクリートを破りでる草、崖っぷちの木〗
 はい、そんな健気に生きようとする小さな生き物たちに大いなる宇宙の営みが垣間見えること不思議ではありませんよ。

3,魂の総体こそが!

 さて、自己の存在意義を高めていく””魂みがき””でエネルギーを魂に蓄えられるのですよ、きっとね。

『Ⅻ、宇宙の成りたち』

 全宇宙の〔魂〕が糾合されものこそ〔神仏〕なのだろうと、私は推定しているのでした。
 そのように捉えてみれば〔魂〕の磨かれ方でパワーの大小が違って来るのは容易に分かって来るのではありませんか。
 それゆえに宿命であり天命なのですよ、 ”魂みがき” がですね。
 さて、そんな〔魂〕たちのパワーが一つとなった総体が大宇宙の運行を担っているのだろうと私には思えてなりませんのです。
 もちろんソレ等は一気にでなく、一惑星ごと、銀河ごと、銀河団ごとに纏まれているのではないでしょうか。
〖ブラックホールの仕組みにも個々の魂が関わっている〗
 はい、このように想えたならですね、今の今から吾が身のより良い価値高さへの追求へと勤しみたく成るのではありませんか。

『さいごに』

 私たちの生き方を電気に例えると分かりやすいかも知れませんね。
 天上天下唯我独尊の存在そのものが電圧であり、その価値を高める行動こそが電流なのですよ。
 それが〔魂〕に一時蓄えられて後に〔神仏〕へと合流し宇宙運行の一端を担っているのでした。
 更に言うなら〔魂〕の永遠性を以てして次のようにも言い定めてペンを置きましょう。
〖不死鳥とは私たち一人ひとりの魂だった〗
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!

〖付録〗

 なお、このように私が想像し推察できること自体、私たち自身の〔魂〕が神仏の欠けらである証拠なのではありませんか。
 そもそも自分の能力にない事柄は想像だに出来ないでしょうね、これは人間存在の鉄則です。

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