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脳トレマニアの爺が蓄えた"目から鱗の人生訓集Ⅰ”

『はじめに』

 私は後期高齢者ながら現役の脳トレマニアです。
 これは80年の間に自ら気づき蓄えてきた人生行路の道しるべにて世に広く利用して頂けるよう提供する次第です。
 拙文を恥じつつも込めた含意に何やらかの燭光を感じてご自身の足元を照らす一隅の灯りとお捉え下されたなら幸甚の至りに存じます。
 なお、人生を極めて単純に表現するなら”見、知り、感じ、考え、為す”というたったの五行物語に過ぎません。
 はい、しかし「たかが五行されど五行」です、折角の天与なる人生ゆえにシッカリと味わい尽くし〔神仏〕と閻魔が読者となる人生物語に十分な読み応えのある起承転結を盛り込めましょうね。
 では、いざいざ進まん、天上天下唯我独尊を極めるのですよ。

『1、各才の分類』

 人生を端的に言うなら「一途な人格向上にあり」なのではありませんか。 
 ですので先ずは一つの指針を提示して置きますが、あくまでも便宜上のこととお捉え願います。
〖社会常識・慣習に対する姿勢で才力が分かるもの〗
○愚才=常識の中でも答えは出せぬ者
○凡才=常識の中から答えを出せる者
○秀才=常識にはない答えを出せる者
○天才=常識にはない問いを探せる者
○奇才=常識にはない問いを発せる者
○鬼才=常識では計り得ない能力の者
なお、生まれた時点では皆さんが同じにて成長する過程で差異ができて参りましょう。

『2、人は皆が初心者』

 人は誰であっても人生の初心者です、例外は居りません。
 はい、二度目だ、三回目だという人はいず、全てが手探り状態で生きて居られましょうからね、それは健気な毎日なのでありませんか。
 ならば、ミスや失敗は有って当たり前なのですね、当然のことなので許し合いっこし自分をも含めて寛大になりたいものですよ。
 そうですね、物を落としたとて引力の所為にして大らかに遇しましょうよ、目くじら立てるほどのこともないのです。
 三度までは許し、四度目からは「何か事情があるのだろうから放っといて上げよう」とブッダに倣ってみるのも乙なのではありませんか。
〖四度目からは”ホットケの顔”をしよう〗
 えーえー、そんな風な対応もシャレておりましょう、つまりは飄々とした風情を醸すような人物となるのも正しく乙なのですね。
 はい、これで一件落着、メデタシめでたし!

『3、人は誰もが専門家』

1,先ずは無難な心構えを

 さて、人生の初心者であるが一方では皆が自分の専門家です。
 はい、私たちの一人ひとりが自分自身の専門家なのでした、他には絶対に居りませんね。
 それならば本能に任せた行動に走ることなく身を律し抑制の効いた日々を送るというのは如何でしょうか、それこそ吾が身の躾なのですよ。
 自分で自分の立ち居振る舞いを見極めて生活するなら正しく ”躾=姿の美しさ” を持ち、保つ秘訣とは相なりましょうこと間違いありませんね。
 問題が生じるのは大概が本能の趣くままに行動した時ゆえに、それを見据えた暮らしに徹したいものです。
本能”時”の変が生じないよう心がけよう〗
 ですが、これって余りに常識的で詰まらないような気がしませんか。

2,個性の翼を羽ばたかせよう

 どうも在り来たり過ぎて道徳臭い感じさえしてまいります。
 令和の今に「人間として、社会人としてコレコレこう在るべきだ」といった縛りはモハヤ超越したいものですよ。
 それで次のように思うのですね。
〖吾が身の専門家なら個性の発揮、羽ばたきこそ追求したいもの〗
 はい、”天上天下唯我一物”(私の造語、この世でたった一人の希少性)の専門家として余すことなく発揮できるよう工夫し続けることを以て人生の基本としたいものですね。
 それであってこそ命の貸与者である〔神仏〕への恩返しになるのは間違いありませんからです。
* この場合の〔神仏〕につき大自然の摂理といった意味合いで用いておりますことご承知願って置きましょう。
 はい、これで一件落着、メデタシめでたし!

『4、人生の目的は』

1,生きる意味

 後期高齢者になってツクヅク思うこと、それはですね。
 「人は何のために生まれ生きるのか」につき、つまりは次のようにホボ断言できるのでした。
〖吾が存在の最大なる活用化・最良化〗
 はい、そうなのではありませんか、もちろん強弱は有っても然し日々対処する事々に〔魂〕を込め遣り遂げたい思いで居られましょう、誰も彼もがです。
 現に私自身が今こうして、この文章につき持った能力の目一杯ほど発揮したい欲求の下に書き綴ってはいるのですよ。
 えーえー、結果として拙さが残っても「実力以上は出ぬもの」と受け入れながらでした。 

2,一つの行為にも“魂”が

 吾が存在の最大なる活用化・最良化を日々に心がけているならばですよ。
 それは正しく “魂磨き” そのものに成るのではありませんか、心を込めた行為は全て〔魂〕と直結することに成るからですね。
 はい、思考はモチロンのこと、歯磨きやトイレでの作業なども含めて丁寧に行っているなら “生命存在を実感する” ことに成るはずなのでした。
 何しろ呼吸の一つごとに自分の生命との対話であるのは疑い得ませんでしょうからね、絶対に。
 するとですよ。
〖呼吸と同じに単なる一挙手一投足でも “魂マター” となる〗
 つまりは日常の些細な行為だとしても結局は〔魂〕との対話だという話にはなってまいります。
 さて、禅宗の教えに “歩行禅” というものがあり無心の境地で歩きましょうというのですが、これに〔魂〕を持ち込んでみると仏教の真髄が浮き上がって参りますので、これは愉快ですよ。
 あ、いや、逆でした。
 そうではなく、反対で〔魂〕の在りように “禅” を添えてみれば、それこそ此の世の真理が垣間見えてくるという訳なのですよ。

3,魂と禅の違い

 さて、誤解を恐れずに〔魂〕と〔禅〕の本質を一言で表現するなら次のように成りましょう。
○〔魂〕=「折角の生命ゆえ精一杯に使い切れ」
○〔禅〕=「有も無もなくヒタスラ泰然で在れ」
 これにつき、つまりは次のごとく定義できるということですね。
〖魂:神仏の御許(みもと)に回帰しなさい、禅:この世は幻ゆえ生死を超越しなさい〗
 
はい、両者を並べてみれば〔魂〕は先天的生存欲が前提になるのに対して〔禅〕は完全なる後天性の悟りが下地なのだから、先ずは〔魂〕ありきにて次いで〔禅〕の発想を加えると一つのキワメテ興味深い境地が見えては参ります。

4,魂に神を、禅に仏を重ねたら

 つまり、両者を分かりやすくするなら次のようにも成りましょう。
○〔魂〕=「天与の有り難い命ゆえ可能な限り色濃い人生を求めなさい」
○〔禅〕=「この世は “無” ゆえ命に拘らず出来るだけ無色になりなさい」
 更には〔神と仏〕の違いにも思えては参ります。
〖魂は神の代理、禅は仏の愛弟子〗
 はい、こんな風に把握してみればトタンに大きく確かな悟りへと導かれて来るのではありませんか。
 要するに “絶対なる有と完全なる無” という真逆なモノの並立が為されては参りましょう、それこそ完璧なる悟りがですね。 

5,神と仏、魂と禅の行き来は

 さーさー、大きな結論が見えて参りましたよ。
 “絶対なる有と完全なる無“ の言わば ”赤” と ”白” の融合が心の中で矛盾なく為されては参りましょう、それこそ完璧なる悟りがですね。
 つまりですよ。
 〖“有”と“無”を自在に行き来する心境が得られる〗
 という訳なのでした、物事に拘るようで囚われず、欲しながらも平然と他人に譲る、そんな感覚で日々を暮らすように成りましょう。
 そうですね、天上天下唯我独尊である吾が無二の存在を愛おしつつ然し、広大無辺な大宇宙の一粒であることも見据えて暮らす、そんな風な人物とは相なる訳なのでした。
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!

『5、“磨いた魂”はどうなるか』

1,人は仏の掌上の孫悟空

 「魂を磨く」と人は言う。
 だが、ナゼ磨くのか、磨いた〔魂〕は一体どうなるのか、との先は誰も知らないようですね。
 それならば、私が確信を以て次のように明答しましょう。
 〖神仏へと回帰し合一する〗
 
はい、そうなのでした、元々は天なる方々の一片・一欠けらだったのだから “合一” 以前に御懐(みふところ)に戻るとの表現も大事になっては参ります。
 つまり人生とは “仏の掌上の孫悟空” だったという訳でした。
 ”仏掌上” で飛び回っていたのは〔魂〕を研磨する個々人のこととの結論に成りましょうからね、それならばヤハリ “神仏へと回帰し合一する” との表現がピッタリなのではありませんか。

2,孫悟空である私たち

 さて、飛び回っている間に積み重ねた経験には大きな意味が有ること間違いありませんね。
 何しろ〔天上天下唯我独尊〕とばかりに粋がって有象無象の渦巻く俗社会を渡り歩いた実績には、それなりの貯めこみがありましょう。
〖人生上の実り〗
 つまりは人格を富ます果実が有るはずなのでした、心神面での向上が可なり積み重ねられていることは間違いありませんよ。
 はい、そうなのでした、物質的な資産形成にも似た精神面での生成があるはずなのですよ。
例えば武術家たちの神懸かった高度な技には心的エネルギーが培われているということですね。

3,魂の磨き

 武術家たちの神がかりな技こそ〔神仏〕が求めて止まない “魂の磨き” なのであり、磨かれた〔魂〕もまたエネルギーを持つようにも成るという流れですね。
 では “そのエネルギーとは何に使える?” 、更には “神仏とは何?” との次なる命題が垣間見えてまいりましょう、次のごとき興味深い先が待っているのですよ。
〖〔神仏〕とは此の世のアラユル生物の〔魂〕の総体〗
〖磨かれて出たエネルギーが宇宙を運営する元となる〗
 尤も、その前に ”魂を磨く” とは一体どういうことなのか、でしたね。
 濁世の汚れを落とすことなのではありませんか、俗世に於ける有象無象で身に沁み込んでしまった濁りを磨き落とすことに相違ないでしょうね、恐らくは。
 武術の達人たちが得る神技も正しく、その辺から鍛えだされたモノであると断定できても来るようなのでした。
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!

 『6、未来とは夢持ち人の既得権益』

  もちろん希望を持って生きる人にとって未来のカレンダーはバラ色をしておりましょうね、年ごと月ごと日ごとに鮮やかな彩りがあるのですよ。
 さて、だが然しですよ。
 〖夢なき者には単なる日付に過ぎぬもの〗
 はい、そうなのでした、何の期待も持たない者にならカレンダーは数字の順送りに過ぎませんね。
 つまりは従って、単なる日付が並んだ ”枯れたんだー” と化してしまうので、それでは未来が無いも等しいのですよ。
 あー、モッタイナイ勿体ない。

『7、“人は時の旅人に過ぎぬもの”だから』

 私たちは時の旅人に過ぎませんね。
 否も応もなく進み続ける時間と言う電車の乗客なのですよ、世のダレもカレもが。
 さて、では、そんな宿命下の身として一体どのように在れば良いのでしょうか、如何様に過ごすべきなのかが問われては参ります。
 つまり〔神仏〕より貸与された命の用い方を思案しますに次のような事柄が浮上してくるのでした。
 〖天上天下唯我独尊たる自己存在の価値づけ、個性の発揮〗
 
はい、つまりは個性の飽くなき追求と、その証明たる事績なのではないでしょうか。
 私がこうして考察し結果を開陳しているのも私という独自性の披露であり、それによって得られるかも知れない誰彼のご利用を期待するからに違いありませんね。
 要するに、自分の存在価値の発生を望んで日々刻々の時間を旅しているという訳なのでした、価値を求めずしての人生なんぞ意味を為さないからですよ。
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!

『8、人生で最も大切なものは“意”』

1,”意”がなければ人生もない

 人生に於いて随分と大切にしなければならぬ語、極めて肝心なことを一言で表す漢字、それは “意” でしょうね。
 ナゼなら人間は動く物、何を見、何を聞き、何を考え、何を為すかの全てが “意” を以って行われるからですよ。
 はい、それは “意思や意志、意欲の意” の〔意〕なのでした、日々に自ら ”意” を持って行動する生き物ゆえにです、それにて我が身を活かし続けることこそが人生だからですね。
 〖"意"は天命なり〗
 つまりは天与の命を活かすことが絶対的宿命であり、活かさなければ人生の意味はありませんのです。

2,天命の具体性

 さて、この〔意〕という語を分解してみればですよ、次のように楽しく且つ明日への気力が湧き上がるように読み取れては参ります。
 〖日ごと心に音を立てて生きる〗
 はい、〔意〕を恣意的に見たなら ”日頃から心の中に音を立てる=無為に過ごさない姿勢” という風に読み解かれて来るという訳なのでした。
 つまり”意”には天命の具体的な活かし方が見え隠れしているという話に成っては参りませんか。
 それを怠ったトタンに天与の人生が意味を為さなくなりましょうし、正しく ”生きた屍” と化してしまうからですよ。

3,神仏の嫌うもの

 あえて付け加えます。
 モチロンこの〔意〕は長い人生上を一貫して必要とされる語であり、もしも使わぬ日があればタチマチ怠惰へと身を落とすことに成ってはしまいましょうね。
 それゆえ次のようにも定義できてくるはずなのでした。
 〖それこそ〔神仏〕が最も嫌う命の使い方なり〗
 その証拠に “生活習慣病” を挙げれば直ぐにも理解して頂けるのではありませんか、ナゼならそれ等の全てが〔意〕を用いぬゆえの怠惰に起因するからですよ。
 はい、これにて一件落着、メデタシめでたし !

『9、愛は“百情の王”なり』

 ライオンは百獣の王と言われましょう。
 弱肉強食の自然界に在って特に精悍な狩りをするヒョウやトラ等ネコ科のトップにも君臨するという訳でした。
 さて、霊長類の頂点にある私たち人間ならば「霊の最も優れたものは何か」と問われたなら “愛” を挙げたいものですね、数ある “愛科” のてっぺんに位置するものなのだからです。
 〖愛科に属するもの=慈しみ、優しさ、親しさ、和みあい、触れあい、癒し、気品のあるジョーク等など〗
* 当然、下部に悪意のものも含まるので、それこそ「百情の王」以外の何者でもありませんよ。
 ついでに言うなら「 ”愛” は生物間の無条件なる交流券」なのだとも付け加えて置きたいものですよ。
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!

『10“人生山あり谷あり”さ、でもね』

 もちろん「人生山あり谷あり」です。
 しかしですよ、花咲く樹々や微風が吹き抜ける野原もありましょうからね、捨てたものではありませんよ。
 ホラ、鳥たちが群れ遊ぶ河原を眺めたり穏やかに梵鐘が鳴り渡る夕暮れだった時にも心に沁み入る何やらかの有り難さが得られること確かなのではありませんか。
 つまりですね。
 〖人生山あり谷あり & 花咲く野原あり & 人々の賑わい和む集いあり〗
 はい、要は味わい深い人生なのだという訳でした。
 はい、それをシッカリ噛みしめようとするなら自分なりの調味料さえ添えられるようにも成りましょうからですね
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!


 〖11、欠点はミゴトに変身する〗 

1,欠点は工夫次第で逆に満点となる

 人は欠点を嫌うもの。
 一般的に「これは自分の欠点だ、いかん」、「それは貴方の欠点です、直しなさい」とて誰も彼もが毛嫌い為さいましょうね、もちろん当然のことですが。
 その場の雰囲気を乱したり事の成就に加勢できなかったりするとあっては受け入れがたいこと間違いありませんね、それゆえ私とて「さもありなん」と一応は認めましょう。
 しかしですよ、次のような例もあるのです。
 〖渋柿は皮むきして干せば甘柿以上に重宝されるもの〗
 はい、そうなのですね。
 むしろ完熟した甘柿はドロドロで手に取り難いものですが、逆に干し柿なら扱いやすい状態で同じ甘さを持つようにも成りましょう。

2,悪人は改心すると善人以上の人物になる

 干し柿の件につき、人間も同じです。
 一皮剥けて改心した者はミゴトな人物へと変身して参りましょう、一般の善人以上に善人化すること干し柿と全く同じなのですよ。
 つまり「自分はこれで生きて行く他ない」と開き直り(皮剥き)「そんな身ながらも世の役に立ちたいのだ」とて身を晒す{陰干し}なら、それはもう俄かに輝きだすのですよ、間違いなく。
 〖世のため他人のため我が身のために役立ちたい、と思うだけで欠点は良点と化すもの〗
 はい、これにつき間違いないものと確信しておりますよ、私はね。

3,シンデレラとも成りうる

 ”2,悪人・・” を敷衍すればですよ。
 欠点につき【人間万事塞翁が馬】とのコトワザも当てはまる場合がありましょう。
 はい、「私は強く大きな欠点があってミジメだった」とは思っていたが一夜明けたら世間の扱いが逆転している、といった風な話も聞くのではありませんか。
 つまりですよ。
 〖悪びれずに泰然としていれば世間が変る〗
 
はい、そんなものなのですよ、それだからこそ ”浮き世” なのではありませんか。
 はい、これで一件落着、メデタシめでたし!

『12、“不死鳥”それは私たちの魂』

  伝説の鳥、不死鳥とはですね。
 それは私たち自身のことなのですよ、正確に言えば個々人の〔魂〕です。
 はい、生身が死んだとて〔魂〕は生きていますし、それどころか未来永劫も存在し続けるのでした。
 ナゼならですよ。
 〖魂は神仏の欠片〗
 
つまりは、全宇宙に広く分散する〔魂〕の総体こそが〔神仏〕だったという訳でした。
 さて、これに関してなら幾らでも書き続けられるので切りがありませんからね、それならば今の時点で止めてしまっても何ら構わないという話になりましょう。
 ゆえに、これにて一件落着、メデタシめでたし!

『13、生きてる中に天国を』

 死んだとて天国へ行けるとは限りませんよ、地獄かもです。
 それならば、生きている間に天国住まいと成るよう心がけることを提案いたしましょう、それは楽しいですよ。
 さて、ではソノ方法とは何か。
 簡単です、幸い日本には実現させる次のような素晴らしい指針が在るのでした。
 〖般若波羅蜜多心経〗
 
はい、サラリーマンが大好きな超宗教の、むしろ哲学とも言うべき “般若心経” なのですよ、コレに一たび読み込んだならタチマチそれはスゴイ心境が得られては参りましょう。
 つまり、これにて吾が身自身のユートピア園を造れます、心の中に桃源郷を持てるのでした、それは容易に。
 わずか262文字が示す世界から全宇宙の存在をも我が物にできては参りますからね、それはソレはミゴトなモノなのでした。
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし!

『14、幸せの極みとは』

  “幸せの最たるもの” を単純に言うなら次のように成りましょうね。
 〖現状に過不足や良し悪し判断を入れず在りのままを100%受け入れられること〗
 
すると人間存在の基本である「今日より明日、より良い状態に」との向上欲が純粋な形で出るゆえ、自ら求め定める ”夢の成就日” に向かって日々の生活を誘導するようにも成ってはまいります。
 加えて、その背後には〔神仏〕の後押しと先祖の見守りがシッカリと寄り添いだすこと疑いえませんよ。
 はい、ソレは間違いなく、きっと、必ず、絶対に。
 以上、これにて一最落着、メデタシめでたし

『15、“笑う門には福来る”の深読み』

1,二つは虹がつなぐ

 世の中のダレもが【笑う門には福来る】と信じておりましょう、もちろん正しくそうなのですからね。
 ならば当然に「ユーモアを楽しむ人には夢が添う」とも言えるように成るのではありませんか、期待できる未来が感じられて来るからですよ。
 はい、つまりは従って “ユーモアと希望は仲が良い” ことに成っては来るのでした、もしかして無二の親友なのかも知れません。
ナゼならですね。
〖希望を語る人たちは皆が明るい〗
 という訳だからです。

2,明るい人は夢を語る

 とにかく希望を語る人たちは皆さんが明るいのですね。
 心が弾むからに相違ありませんよ、だから常にニコニコとほほ笑んで居るのでした。
 それゆえ自然にユーモアも生じて参りましょう、心の中は春を迎えた草木のように生き生きとして正しくスプリング中という訳です。
 さて、その逆も真なりで次のようにも表現できて来るのではありませんか。
〖ユーモアは希望を生む〗
 はい、これは当然でしょうね。

3,二つは虹で行き来する

 いつもユーモアを持って楽しくしていると夢も芽生えて参りましょうね。
 ナゼなら心が春だから草木の芽生えと同じに希望も容易に湧いて来るのでした。
 さて、ついては次のような新しいコトワザだって浮上しだすのではありませんか。
〖夢とユーモアは虹の橋で行き来できる〗
 以上、これにて一件落着、メデタシめでたし。 

『16、失敗は成功するための経費』

 もちろん誰もが失敗を厭い避けたがりましょう。
 ですが成功するための必要経費と捉えたなら受け入れられるのではありませんか、成功報酬が高くなるほど経費は掛かりますし、むしろ掛けた方が成功する確率が高くなるのは間違いないのですよ。
 彼のエジソンとても電球の発明まで2千もの失敗を繰り返したそうですよ、日本の竹を試すための経費も掛けているそうなのでした。
 更に言うならと次のようにも成って来ましょうね、きっと。
 〖失敗は投資でもある〗
 はい、必要経費には投資の意味もあるのだから支払いを拒んだりケチり惜しんでしまっては ”成功の女神はソッポ向く” でしょうね、間違いなく。
 はい、これで一件落着、メデタシめでたし!

『17、なんと将棋の駒は吾が心理』

 将棋のコマには “歩から王まで8種” ありましょう。
 さて、それらの全てが自分の心身と捉えてみたなら面白いですよ。
 例えば「今のこの時この場は角となって斜に構えてみよう」、「只ひたすら香車となって進むだけさ」などとです。
 するとゲーム感覚で事に当たれるように成りましょうから、それは楽しいのですよ、絶対に。
 さーさー、ここにきて興味深い事柄が垣間見えてくることにお気づきでしょうか、実はですね。
 〖将棋の駒は人の真理を表したもの〗
 
はい、つまりは人生上に生じる様々な場面で私たちが選択する行動の種類を当てているゲームなのだした。
 え、「ならば王は何を意味するのか」ですって?
それは、当然に生命ですよ。
 更に言うなら、もちろん〔神仏〕より授与された掛け替えのない命を運用する私たち一人ひとりの人生なのでした。
 以上、これにて短いですが一件落着、メデタシめでたし!

『18、言の葉が生じる樹はね』

 ジョークや会話が “言の葉” で出来ているならですよ。
 葉っぱの元は樹なのだと見做して考察してみたところ次のように成ってまいりました。
○ “根”、それは性格でしょうね。
 口から出てくる言葉の内容は心そのもの、性格そのものを吐露しているのは間違いないのです。
○ “幹”、は概念です。
 これまでの人生上で仕入れ、積み重ねた知識が概念化され、そこから蘊蓄が引きだされて来るのではないでしょうか。
 ○ “枝”、これは知恵です。
 会話の最中に気づき・閃き・思いつく知恵から適切な言葉が紡ぎだされてはまいります、きっとね。
○ “花”、ならば情感として置きましょう。
 心の中で湧き上がる感性・感覚から芽生え湧き上がるのではありませんか、花を引き立たせるのは葉っぱですからね。
 ○ “土”、土壌は深層心理として置きたいものですよ。
 言葉に訛りが有った場合は育った地域の方言なのだから、となれば当然に根強い思考グセがあるという事に成ってまいりましょうゆえに。
 以上につき如何でしょうか、皆さんなら一体どのようにお捉えなさるか試みるのも楽しいはずですよ。
 はい、コレにて一件落着、メデタシめでたし。

『おわりに』

 一般には ”人生道” という。
 ですが仏の掌上ながらも飛翔しておりましょう。
 私たちの〔魂〕は不死鳥ゆえ、それに支えられて心神は ”人生空” を飛び回れるはずだからですね。
 それならば、いずれ〔神仏〕の御許へと回帰するまで浮き世を俯瞰し、世人を観察し、天下を睥睨してみませんか。
 と、そんな風な発想で綴り込んだ此のエッセイにつき如何だったでしょうか。
 
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