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『脳トレマニアの目から鱗な“愛は百情の王”&“百状の君臨者”なり』

『はじめに』

 私は長い間の脳トレマニアです。
 ついては後期高齢者となった今、人生道の成りたちや進み行く方策が明確に見据えられるように成っております。
 そんな私が「この世を一言で表現してくれ」と請われたなら「“愛”の世界です」と明確に提示したいものですね、“愛”こそ物々事々が存在するための根源的なエネルギーであるゆえにです。
 〖“愛”はアラユル物事のエネルギーなり〗
 さて、「ナゼそう言えるのか」につき、これより縷々丁寧に解説して参りますので宜しくお付き合い願って置きましょう。
 

『Ⅰ、愛の本質』

{1,愛の位置づけ}

 “愛”というものは人間が持つアラユル感情の頂点に立つものであること間違いないでしょうね、全ての喜怒哀楽がそれとの絡みで説明できてくるからですよ。
 〖全ての感情は愛から読み解けるもの〗
 はい、そんな観点から見渡していくと面白いことに人生の根源までもが垣間見えてはまいります、人は如何に在るべきか、如何様に生くべきかの指針が見え隠れしてくるようなのでした。
 

{2,愛の語源}

 ある漢和辞典では【愛:ふり返りながら進むこと】と説明されておりましょう、つまりは「原点を見据えて進め」、「初心忘れるべからず」だという訳でした。
 要するに本来的には次のような含意を持った言葉だったという話なのですよ。
 〖“愛”とは対処する物事への基本姿勢なり〗
 「自分が関わり為したことに疎漏が無かったか、初心のひた向きさをシッカリと確認しながら進みなさい」と私には掴みとれるのでした。
 これにつき世の皆さんが意外に思われましょうね。
 何しろ「“愛”とは人々の交流を潤滑にするための油である」との捉え方で居られるはずだから、そんな風な意味合いのモノだったとは戸惑うばかりなのでありませんか。
 ではありましょうが然し、これを読み進んで行くうちに「さもありなん」と得心為さること請け合って置きたいものですよ。
 

{3,“愛”の恣意的な見方}

 さて、【愛】の語につき一般に「“受の中の心”、で心を受け入れること」と恣意的に読みとる人も多いのではありませんか、現に私とて「それも結構」と思っているのでした。
 はい、初期の頃と綴りが違っているので言語学的には採用しかねる捉え方でありますが、でも愉快な認識法であるのは間違いないでしょうね。
 そんな訳で私も「それが何事であれ、先ずは相手の心(つまり真意)を受け入れること」との把握策を採用し様々な考察を楽しんでいるのでした。
 要するにですよ。
 〖先ずは無条件の受け入れが基本なり〗
 
つまり「“愛”とは相手の存在を積極的に受け入れること」と捉えてみたなら本質が明確に見えてくるようなのですよ、それが人であっても事物であっても。
 

{4,悪意とて許容できるもの}

 「ウソだ、それが悪意だった場合は受け入れられる訳がないじゃないか」と反論なされましょう、皆さんがね。
 はい、そんな常識的な感性をモチロン私も「当然のこと」と積極的に認めますが、その上で次のようにも注釈を添えたいものですね。
 〖悪意があるから善意が伸びるもの〗
 
筋力は伸縮を繰り返すことで強くなりましょうから、それと同じに悪意も“善意力”の向上に役立っているのは確かなのですよ。
 更に言うなら我が身の悪意をも大切に捉えれば対比する善意の大切さをもシッカリと認識できるように成って来るのではありませんか。きっとね。
 つまり「それが無かった場合を考える」ことで「存在する有り難さが認識できてくる」のと同じという訳でした。
 要するにですよ。
 「欠点があるから良点が際立ってくる」との思いを向けたトタンに有り難さが感得できるのは間違いないのですよ、殆どの人々が欠点を否定的に捉えましょうがね。
 

『Ⅱ、自己への愛』

 

{1,欠点は渋柿のようなモノ}

 さて、前項で「欠点も有ってイイ」と述べましたが、これにつき敷衍して空気の有無に例えたなら尚よく分かって参りましょうね、普段は意識しない空気ですが無い状態を想像したトタンに感謝するのでした。
 するとヤハリ欠点とて大事に思えて来るのは間違いありませんが、さて、それならば次のようにも言えるのですよ。
 はい、ここにて『Ⅰ、2項』で述べた「愛の語源:ふり返りつつ進むこと」を想いだして下さいな、すると欠点の本質も見えては参りましょう。
 〖欠点は柿渋のようなもの〗
 
つまり、ふり返ってシッカリ確認するならスムーズに進めるということゆえ、そんな姿勢で欠点の本質を見据えたところ、どうやら“柿の渋”と捉えられて来るのでした。
 えー、えー、要するに工夫次第で良点に変身するのですよ。
 もちろん柿の渋は欠点です、がしかし皮を剥いて干したなら甘柿に匹敵する美味しさに変身しては参ります、しかも手にし難い完熟ガキよりも扱いやすくなりましょう。


{2,自己の丸ごと受け入れ}

 さて、という訳で自分の性格をソックリ丸々受け入れてご覧なさいな、すると奇跡が起こって参りましょう。
 「私は100点の満点で存在しているのだね」、「だから持っている夢・希望も十分に成就できる資質はできているのさ」、「だから順調に進まぬ状況だったとしても必ず解決策が見えてくるはずさ」、「あ、そうか“ふり返りつつ”とは、そう言うことだったのか、邪魔や妨害に思える事柄も渋柿と同じで工夫次第なのだし、その方策も100点満点の私なら絶対に見えてくるはずだね」
 とは成りましょうから、ならば次のごとくに設定できても参ります。
 〖自己愛は問題解決のエネルギーなり〗
 
更には、ですよ。
 「お~、そうだ、この今の思いこそが自己愛そのものだということに成るのだね」、「これがナルシストなら、大いに結構」、「自信過剰だって? 誰にも迷惑を掛けていないのだから何ら問題はないね」
 かくして人は成長し続けるということに成るのでした。
 

{3,他愛も自己愛の一部}

 さて、確かな自己愛に目覚めたならば次には当然に他愛をも身に着けだしましょう、他人への愛を含めてこそ自己愛が確かなものに成るのは間違いないからです。
 はい、つまりは次のように言えては参ります。
 〖ナルシスト=他愛主義者なり〗
 
他人を大事にしない者は単なる我欲の強いヤツに過ぎませんね、当然に。
 更に言うなら博愛主義者もナルシストなはずですよ、自分に自信が無ければ他人の世話など出来ないと思いますね、私は。
 そうですね、例を挙げるならマザーテレサやアリの街のマリア・北原怜子さん、そして身近にも居る聖職者らがそうなのではありませんか、例え反省をするにしても自己否定は誰も為さらないでしょうね、きっと。
 

{4,ならば自己否定は?}

 さて、もしも自己を否定するような気持ちが芽生えたなら{2項}での心情に水を差すのは間違いありませんでしょうから、となればソレは成長へのブレーキに成ることも、これまた間違いないのですよ。
 はい、自分の在りように少しでも否定する発想が浮かんだなら進歩・成長への妨げに成ること疑い得ようがありません・・と述べ掛けてはみましたが「いや、それも否定論になるから、逆に受け入れたいものだ」との思いへと切り替えましょう、つまりは次のごとくに。
 〖否定もまた可なり〗
 ナゼなら渋柿と同じゆえにですね、つまり否定論は工夫策が見えてないからだけのことに過ぎないのであって“皮むき干す”となす良化策の条件が見えぬだけなのではありませんか。
 「これではダメだ」との寒風を吹き付けるよりも「条件次第なのだね」のように温かく向き合い微笑み掛けたなら、その条件も自ら名乗りだすものなのだろうことを付け加えて置きましょう。
 

{5,事柄サンの気持ち}

 さて、ただ今、目の前に有る事柄と対峙しているとしましょうか。
 なかなか首尾よく進めずにいる自分に「これではイケナイ」と自己否定感に囚われていたという設定ですね。
 で、否定の思いから「いや、健気に難問と対峙しているし、“事柄サン”にも丁寧に向き合っている」といった風な姿勢に替えてご覧なさいな。
 するとトタンに。
 〖解決策が頭脳に浮上してくるもの〗
 
はい、まるで事柄の方から糸口を提示して来るように成るのでした、自らです。
 つまり“渋柿の甘柿化策”が見えては参りましょう、フッと「お、良い案が浮かんだよ」となるのですね、それもほぼ100%にて。
 以上、“愛”の持つ力につき本来的な意味合いから論じてみました。
 

『Ⅲ、物にも心がある』

{1,物事・事象とて心がある!?}

 ここで話を搦め手より進めてみますね。
 さて、もちろん一般的に人は人、事物は事物であり命の有無で明確に線引きいたしましょう、事物・事象・事柄と表現される場合は命がないから情感もないと完全に思い定めているのではありませんか。
 でもですよ、しかし探し物は「必ず見つかる」思えば見つかるし事の成就も「成るはずだと見据えれば問題の解決策が見えて来る」ことにつき、皆さんが認めてくれるのではありませんか。
 〖物事とて問えば答える〗
 
え!「それも人間の側の心象範囲のことだ」と反論なされましょうか。
 ならば、“マーフィーの法則”や昨今、賑やかな“引き寄せの法則”につき、どういった意味合いにお捉え為さいますか。
 はい? 「同じことだ、心理作用の為せるワザさ」ですって?
 では、こうしましょう、完全な物理現象に関する事柄は置いといて先ずは
人々で造る組織に限定して論じてみます。
 

{2,組織には理想像がある}

 人間社会は組織で動いておりましょう、企業、行政、親睦団体などなど、それは活発で賑やかです。
 さて、どの団体も目的を定めて設立されておりますね、更には年月ごとの目標を決めて活動しているのでした。
 ということは理想像を持っていることに成りましょう、「こう在りたいものだ」、「あー、成るとステキだね」とですよ。
 つまり成長したいという希望を持つことに成りませんか、組織とい“物”ではありますがね。
 〖組織も理想像を追い求めている〗
 
もちろん生物ではないが然し関わる人々の心情を取り込んで組織自らが丸で生きているかのように見えて来るものですからね、いっそのこと擬人化してみましょう、すると一気に変容し始めるゆえにです。
 はい、組織そのものを生き物のように扱かいだしたなら理想像への道筋が、それは明確に成って参りましょう、恐らくは。
 

{3,社会レベルに合わせた仮の姿}

 ちなみに擬人化して「組織サン、貴方は自分自身が如何様に在ることを望んでいますか」と問いかけてご覧なさいな、するとトタンに疑似ながらも心情を吐露しだすように思えては参ります。
 「うん、実はコレコレこんな姿に成ることを望んでいるのだよ」、「今の姿は接してくれる君たちの思いの総体なのさ」、「だがワシとて此の世に存在するからには誰からも慕われるように成りたいね」
 と、それは活き活きと語りだして来るように感じられるのでした。
 〖人と見做して問いかけるなら問題点がミゴトに浮き上がる〗
 「ついては、今こう成っている処をコレコレに替えて欲しいものだね、そうしてくれたら君たち皆をハッピーにして上げよう」
 つまり擬人化策は大いに効くのです。
 

{4,擬人化=愛}

 さて、物事につき擬人化して問いかけるというのは、そこに“愛の思い”を持ち込むことになりましょう、初頭に申した「自分が関わって為すことに疎漏がないか、ふり返り・・・」を想いだして下さいな。
 はい、正しく「自分の関りに抜けが生じないようシッカリと内情を認識し、より良く成長させる姿勢を保ちたいもの」といった話なのでした。
 〖物の擬人化は丁寧さを増す〗
 つまり接する事柄を生き物に見立てて語りかけるならね、それは、ソレは丁寧に成ってくるので無造作な扱いは全くなくなりますから、となれば当然に結果もドンドンと良いものに変容しては参りましょうね、これは嬉しいことです。
 「うん! いや、待てよ、そうだとなれば本当の生き物と見做したならモッと凄いことに成るのではないだろうか」
 

{5,集団組織を擬人化したら}

 かつて私は自治会組織の長を務めたことがありました。
 会員数が800件を優に超える大所帯でしたので“一人の大男”に見立てて問いかけた処、改善案が浮かぶは出るはで、それは愉快になり「いずれは県下一の自治会に成る」と確信できるまでに思えたほどでした。
 実際には急激な向上に抵抗する人々も居たので頓挫はしましたが、それでも当時の新鮮な感覚は今だ消えずに居りますよ。
 さて、それで思うのですね、「ヤハリそうなのだ」と。
 〖事物にも必ず心は有るらしい〗


{6,残された物の哀れな風情}

 「自治会は人間たちの組織だから会長の思いが大きく絡んでくるのは当然なこと、不思議など感じないね」、「これまでの論は人間たちの組織なので人心が影響するのはシゴク当たり前なこと、何を今さら言い立てるのかね」との反論が聞こえて来るようです。
 それならば、と次のような質問を用意しました。
 〖持ち主が亡くなり残された物々の廃れ方が早いのはナゼか〗
 はい、それは持ち主の生前に添えた心配り気配りに応えるモノが有るから保たれていた輝き(モチロン可なり鈍いですが)が消えるからではないでしょうか。
 

『Ⅳ、文明の発展は無限』

{1,文化・文明は進化する一方}

 話題を一変させましょう。
 さて、世の中では文明の進化がスゴイですね、掘っ立て小屋から高層ビルへ、大八車から大型トラックへ、駕籠から新幹線へと、それはオタマジャクシがガマガエルに変身したようなものではありましょう。
 ですが未だ未だです、クルマが宙を飛ぶように成るのは間違いないですし、人類が火星へ移住することも視野に入りかけているようですね。
 更に言うなら宇宙人の存在を意識しだした人類の今は西洋人を目にした日本人の違和感ほどではありませんよ、そうして「いずれは地球人とて、きっと・・・」と思い始めても不思議はないのです。
 文化面でも同じです。
 現に貧者への生活保護費、先天性り患者への配慮、マイノリティサポートなど遅々として進まぬがしかし、それが無かった時代とは雲泥の差がありましょう。
 もちろん未だに戦争を止めない世界の在りようには幻滅させられますが、それであっても未来志向は根付いていること間違いないのです。
〖文化・文明は進化するのが宿命なり〗
 

{3,未来志向は心理作用}

 さーさー、このことにつき考察を進めるに当たり「“愛”を込めて行う」ようにしてみたなら未来像がイキナリ浮上してくるのでした、次のように。
 〖文明の未来像が既に有って、それに現状が近づいていくもの〗
 
つまり“未来像=より良き理想像”なのであり、それに向かって人類が日進月歩するという宿命に成っていること疑いえないでしょうね。
 さて、となれば「それこそ心が有る証拠」なのではありませんか、未来志向が定まっているなら、物理現象ではなく心神の分野なのだという話ですよ。
 

{4,結論}

 さて、結論が見えてきましたね。
 〖世の物事の全てに理想像を希求する心があり人々との“愛”の交流を企図しているもの〗
 
つまりはアラユル状況・状態の支配者、君臨者なのだということに成りましょうね、“愛”がです。
 〖“愛は百情の王”&“百状の君臨者”なり〗
 
はい、これにて一件落着、メデタシめでたし!

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