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Happy Women's Map 北海道小樽市 日本初の女性映画プロデューサー 水の江瀧子 女史 / The First Female Cinema Producer, Ms. Takiko Mizunoue

-『白銀のダリア』(水の江瀧子 白陽社1936年)

「俺はミズノーエ・ターキーだぁ!」
「I am Mizu-no-e Ta-key, yeah!」

水の江 瀧子(本名 三浦ウメ子) 女史
Ms. Takiko Mizunoe
1915 - 2009
北海道小樽 生誕
Born in Otaru-city, Hokkai-do

水之江 瀧子(本名 三浦ウメ子) 女史は日本初の女性映画プロデューサーです。松竹歌劇団で男装の麗人「ターキー」の愛称で活躍後、日活の女性プロデューサーとして、岡田真澄・浅丘ルリ子・石原裕次郎ら新人の俳優また監督・スタッフを起用して70本以上の映画を企画。プロデューサーが絶対的権力を持つ構造を作り上げます。やがて甥の三浦和義の「ロス疑惑」に巻き込まれ芸能界を引退します。
Ms. Takiko Mizuno, also known by her real name Umeko Miura, was Japan's first female film producer. After gaining renown as the cross-dressing beauty "Turkie" in the Takarazuka Revue, she later became a female producer at Nikkatsu. Mizuno played a pivotal role in planning over 70 films, featuring emerging talents such as Masumi Okada, Ruriko Asaoka, and Yujiro Ishihara as actors, directors, and staff. She established a structure where producers held absolute power. Eventually, she retired from the entertainment industry, getting entangled in her nephew Miura Kazuyoshi's "Los Angeles scandal."

「ターキー」  
 ウメ子は2歳の時に家族で一家で東京の千駄ヶ谷・目黒と移り住み、ベーゴマ・チャンバラ・洞窟探検など活発に遊んで過ごします。ある日、ウメ子は姉に連れられて浅草の東京松竹楽劇部第1期生試験会場に連れ出され、言われるがままに試験に臨み合格します。10カ月あまりの基礎訓練を受け、「水の江瀧子」の芸名で浅草松竹座に出演。ウメ子の身長は163cmと当時大柄で群舞でひとり目立つため出番が与えられず度々楽屋で待機さえられます。ある時、『先生様はお人好し』で舞台装置の転換する間を繋ぐために、急遽断髪して男子学生として幕前で踊らされると大ヒット。『メリー・ゴーランド』で扮したカウボーイ「ターキー」の愛称でたくさんの女性ファンを獲得します。芸の未熟さとパーソナリティを絶賛されます。

「ニッポン号ガイドホステス」
 やがて不況で劇団部員の解雇が相次ぎ、待遇改善を求める劇団部員と経営陣の争議労働争議が勃発。共産党員が加わってウメ子は委員長に担ぎ出され世間の話題を集めるも解雇されます。その頃、国産航空機「ニッポン号」が難航路の北回りルートでニューヨーク万博を目指す計画が持ち上がり、贔屓筋である外務省職員の手配により、ウメ子は「ニッポン号」乗務員を現地ニューヨークで出迎えるガイドホステスに抜擢され渡米します。ブロードウェイを観劇すると「自分が少女歌劇でやってきたことは、どう贔屓目に見てもプロとはいえない」と思い知らされます。帰国後、当時ウメ子のマネージャー兼恋人であった松竹宣伝部の兼松廉吉とともに新たな劇団「たんぽぽ」を創設。戦後も浅草を拠点に活動します。

「日本初の女性映画プロデューサー」
 ある日、兼松廉吉が借金6000万円(現在の9億円相当)を苦に自殺。ウメ子は兼松の遺書を持って読売新聞の深見和夫を訪ねます。ウメ子の今後を託された深見は、松竹・大映・日活の社長に会いに行き、ウメ子の希望する月給二十万円の交渉に奔走します。ウメ子は晴れて日活の1年更新契約の日本初の女性プロデューサーになります。読売新聞の連載小説を映画化すべく、ウメ子は見様見真似でプロデューサー業を始めるも、同僚らは俳優・スタッフを囲い込み貸し出してくれません。そこでウメ子は街に繰り出し、日本劇場ミュージックホールに出演していた岡田真澄、銀座のクラブでドラムを叩いていたフランキー堺、映画オーディションの新人・浅丘ルリ子、芥川賞作家石原慎太郎宅でぶらぶらしている弟・石原裕次郎を見出し抜擢、ならびに若手の監督・脚本家を積極的に起用します。ウメ子のプロデュースする映画は日本国内でのヒットのみならず国外でも高く評価されるようになります。

「ロス疑惑」
 ウメ子は70本以上の映画を製作しながら、たびたび暴力団と交渉して横浜港にオープンセットを建てたり、浅丘ルリ子の父親の借金を半分にまけさせたり、石原裕次郎に代わって撮影妨害を止めさせたりします。監督の権力が絶大だった他の映画会社と異なり、ウメ子はプロデューサーが絶対的権力を持つ構造をつくりあげます。やがて石原裕次郎が自身のプロダクションを設立して独立すると、ウメ子は映画界から引退して大阪万博の仕事に専念しながらテレビのバラエティ番組に出演し始めます。そんな中、甥の三浦和義が保険金目的で妻を殺害した疑念「ロス疑惑」で世間が騒ぎだし、和義にウメ子が実母だとずっと信じていたと告白されスキャンダルに巻き込まれます。ウメ子は和義の父であるウメ子の実兄と絶縁、本名を水の江瀧子に改名して芸能界を引退します。

-『ターキー自画像』(水の江瀧子 少女画報社1934年)
-『ターキー舞台日記 続ターキー自画像』(水の江瀧子 少女画報社1934年)
-『白銀のダリア』(水の江瀧子 白陽社1936年)

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