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東京

有名な駅名ばかりが流れていくJR。
駅構内を歩く人たちの速さ、無駄の無い動き。無駄にスマートだ。

東京に来た。
東京には何度も遊びに来たことがある。
なんなら、生まれだけ東京である。
でも、今回知った東京がいくつかあったので、その記録を。






勝手にばりばりのビジネス街だと思っていた池袋は、一歩入れば潔いラブホやガールズバーとその類(余りにもマニアックそうで流石に引いた)が立ち並んでいた。
真面目に働く人々が抑え込んだ欲がよく見えて良かった。
(潔いラブホって何??)
(潔くないラブホは、地元にある、ノーマルなホテルの顔をして並んでるやつ。わたし的に)





おしゃれなお店の並ぶ街を、おしゃれな格好で歩かなければならないような気がしていて、マニキュアは、少しも剥げていてはいけないような気がしていた。

それでも雨の東京は、朝がんばって巻いたであろう髪の毛をボサボサにしてしまって不機嫌そうな、綺麗なお姉さんが歩いていて、少しだけ親近感が湧いた。





こんな歌詞があった。

明け方の5時前に ふたりで乗ってた山手線
あのままどこまででも走ってくれればよかったのに
明け方の5時前は もうすっかり明るくて
あのままどこまででも走っていければよかったのに
「終わり」/ SHISHAMO




環状の鉄道を持たない街に住んでいるので、この気持ちが全然わからなかった。

けど、長めに山手線に乗ってみてわかった。
対極にある場所に行こうと思った時、どちらからも行けてしまう、選択肢を与えてくれる気ままな感じ。
もう少し乗ってたいな と思ったら、そのまま乗っていられてしまう、環状という形態が生む寛容性。


それらこそが生んだ歌詞だったのだ。
私は行きたい駅に行く方法を二通りも持てないし、終点は私を否応なしに降ろす。
そんな生活なので、あんまり真意がわかっていなかった。
私が遊び終わりに二人で乗る電車は、乗ってしまったらいつだって必ず別れなければならない、最後の時間の始まり。
だけど、山手線は違ったのだ。明け方乗った始発は、終電まで終わりを迎えない。当然、「このまま乗っていればずっといられるかもしれないのにな」という気持ちを生みかねない。



山手線を使う恋は、終わり方が難しそうな気がした。
続きそうな気がしてしまうものね。このまま走っていければ。いければの話ですが



東京編、続く(かもしれない)



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