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山手線外側のネズミと、内側のネズミ

Mちゃんと恵比寿駅のカフェでお茶をした。彼女は数か月前に渋谷区から世田谷区に引越していて「超、住みやすいよ!」と、語ってくれた。

Mちゃん(以下、M)「恵比寿は車と言えば、ベンツだったじゃん? 世田谷ではトヨタとかスバルとか、国産車がたくさん走ってる。あとね、し〇むらで買った、ヨレヨレの服を着た人も見た!」
私「恵比寿はちゃんとしてる、きちんとした服を着てる人が多いよね。それか、やたらとがったファッションの人」
M「レストランに行っても子連れが多いし、ファミリーを前提とした作りになってるから、とっても広くて快適なんだ」
私「ここだと『子ども連れてて、ごめんなさい』ってなるような気持ちになるもんね……」
M「あとオーゼキっていう安いスーパーがあって、生きたままの車海老とか新鮮な魚がたくさん置いてある」
私「この辺で買おうとしたら、恵比寿ガーデンプレイスか明治屋しか売ってないよね。しかもバカに高い値段で」

良いなぁ、と思った。もちろん新居は、彼女の青山のクリニックや、息子くんの幼稚園まで、以前よりも離れてしまったというデメリットもある。でもお洒落にも、外出先でも、買い物でも、ものすごく気を使う必要はない。それって素晴らしいことだと思う。

「気を使うと、即死」というプリミ恥部さんの言葉がある。気を使い続けると、疲れてしまう。癒されるためにマッサージに行ったのに、そこでもガンガンに話しかけられて、また気を使い続けて疲れたり……。一体私は何をやってるんだ?と、安くもないお会計を払いながら思うこともある。

都心で気を使いながら過ごすよりも、郊外で気を使わずに過ごす方が、幸せなのは間違いない。

じゃあ、どうして私を始めとした人間は、薄汚くて欲深い都心で住むのだろうか? 答えは簡単で、それは薄汚くて欲深い人間だからだ。あれもこれも欲しい、こんな自分になりたい、そういったものから解脱しない限り、都心からは逃れられない。

私が都心に住み続ける理由の一つに「既得権益が嫌い」もある。うちは先祖代々、公務員とサラリーマンの家系だった。土地やファミリービジネスを持っていない。だから、そういった家で育ち、のうのう過ごしてる人を見ると、正直言って羨ましい。頑張らなくても、生きていけるから。

都心でも土地やファミリービジネスを持っている人はもちろんいるけれど、郊外や田舎に比べると、圧倒的に少ない。都心はフェアだ。資産を持たないサラリーマンは、資産を海外に逃して先祖代々で承継させる方法も、金持ちだけにもたらされる投資話も知らない。それでも東大に入る近道は分かるし、三菱商事に入るも知っている。子どもに残せる唯一の財産は「良い大学と、大きい企業に入る方法」のみ。都会では受験戦争が激化するのは当然で、就職活動も同様である。

一方で、地主やファミリービジネスの子どもたちは、競争から一歩離れて物事を見ることができる。彼らにもそれなりに苦労はあるのだろうけど、だいたいは賃料収入だけで生きていけたり、寡占企業だったりする。「やっぱり、フェアじゃないよな」という気持ちは拭えない。

だから、そういう「親ガチャで成功した子どもたち」が幅を聞かせていたり、ゲームの勝者になっているような土地が、私はどうしても苦手だ。だから、必死で勝者を目指す、都心のゲームに参入している。失うものは大きいし、何よりお金がかかる。気も使わなくてはならない。命を削っているのと同じだ。

私は既得権益に対して敏感だから住めないけれど、別にそれが気にならないんだったら、田舎や郊外の方がコスパよく幸せになれるのは間違いない。Mちゃんの生き生きとした表情を見て、それは確信した。駒沢の緑を連想させる、フレッシュで素敵な「気」を分けてもらい、私まで元気になれた。ありがとう、Mちゃん(多分このnoteは読んでいないと思うけど)

都心のオアシス。明治神宮


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