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小説「灰色ポイズン」その4

「うーん!」
わたしがお菓子の匂いに負けてガレットをひと口かじろうとしたまさにその瞬間、母さんの声がした。
母さんの目が覚めた!

母さんは寝返りを打ってダイニングにいる私の方を向いた。
「お おはよう母さん」
夕方なのにわたしは朝のような挨拶をした。母さんはキョトンとした顔でわたしを見た。
「あら おはようカナタ」
母さんは、まだ眠そうでだるそうな身体を起こしてそう言った。
そして、それからゆっくりわたしのいる方にふらふらとゾンビさながらの動きでやってきて椅子に座った。

「カナタちゃん 悪いんだけど母さんにお水を一杯ください」
まるで酔っ払いのような口調で言った。
わたしはかぶりを振って無言のままコップを取り出してポットから水を注いだ。
「はい、母さん常温のお水です」
母さんはまるで暑い日に飲むソーダ水のようにおいしそうに水を飲んだ。
「ありがとう。なんだか喉が渇いてて、おいしかったわ」
わたしはまじまじと母さんの顔を見た。まだはれぼったさの残るまぶた以外はいつもの顔だった。
「カナタ、何よ?母さんの顔に何かついてる?」
母さんは何もなかったような体でそう言った。
「う ううん 何にも...」
「あ そうだ 兄さんに連絡しなきゃ」
わたしは急いで隣の部屋に行き電話で兄さんのペイジの番号を回した。

3分程経つか経たないかで電話が鳴った。兄さんだ!
兄さんは電話の向こうで
「母さん目が覚めたの?わかった1時間以内にそっちに行くから」
と言ってすぐに電話を切った。

母さんは水の入ったコップを空にしてテーブルに突っ伏した。「何だか母さん、疲れちゃった」
母さんは夕べのことを覚えているのかいないのか何事もなかったようにそう呟いた。
わたしは母さんにブランケットをかけた。

「ねえ母さん、何か食べませんか?兄さんの作ったおいしいサンドイッチと教会でもらったガレットがあるの」
母さんは不思議そうな顔しながらも
「優一郎の作ったサンドイッチを少し頂こうかな」
わたしは、母さんが何かを食べる気があるのが嬉しくて飛び上がるように椅子から立って用意をした。
それから母さんはレモンティーを飲みながら兄さんの作った卵ときゅうりのサンドイッチをゆっくりとモニュモニュと食べた。そして「ありがとう、もうお腹いっぱい」と手を止めた。

母さんは夕べのことを一言も話さない。わたしも何も言わない。いったい母さんは何を考えているのか...。母さんの出方を待つことにした。
兄さんが来たら何か話すのだろうか?母さんがまた情緒不安定にならなければいいのだけど。

わたしは何だか母さんと同じ空間にいるのが気まずかった。何を話せばいいのかわからなくなっていた。
当たり障りのない話なら教会の牧師様が説教のお話をする時にくしゃみをしたらメガネが飛んでしまったこととか。シスターアグネスの焼き菓子がやたらバニラバニラしている話だとかくらいだけど。

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