パブコメ02

法制審議会家族法制部会の
「家族法制の見直しに関する中間試案」
に関する意見書

はじめに
家族法制の見直しに際して前提となる問題
自然の摂理の問題
生殖権(リプロダクティブ権)についての問題
婚姻の最低要件と様々な形
小括
(前注1)について
(前注2)について
第1 「親子関係に関する基本的な規律の整理」について
第2 「父母の離婚後等の親権者に関する規律の見直し」について
第3「父母の離婚後の子の監護に関する事項の定め等に関する規律の見直し」について
第4「親以外の第三者による子の監護及び交流に関する規律の新設」について
第5 「子の監護に関する事項についての手続に関する規律の見直し」について
第6 「養子制度に関する規律の見直し」について
第7 「財産分与制度に関する規律の見直し」ついて
第8 「その他所要の措置」について8
おわりに

以上の内容につき、次頁以降で意見を表明する。
伊達善信

はじめに
家族法制の見直しに際して前提となる問題

 戦後日本の家族法は、夢、希望的観測、あるいは社会実験が先行し、人類の性質や先人の叡智が十分に反映されないものになっている。今回提示された中間試案もその例にもれない。そこで、個別に意見を述べる前に、自然の摂理の問題、生殖権についての問題、そして婚姻の最低要件と様々な形の観点から、考慮されるべき問題を述べる。

自然の摂理の問題
生物には、植物や、魚類や昆虫類の一部のように胚が一定程度成長し体外に排出されると、その後は独立して成長するものもある。生殖によって期待される効果は第一義的には自らの子孫が遺ることであるが、自らが生殖をするだけでは事足りず、子々孫々に亘って生殖をしていくことによって初めて効果を発揮するのである。従って、例えば万が一にも親が生殖によって得た子が、親同様に生殖をする前に死亡した場合には、親の生殖の不成功が遡及的に確定するのである。
 しかしヒトを含む哺乳類などでは、産まれたままの姿ではおよそ無力であり、生殖が可能になるまでには相当の「子育て」を要する。また、ヒトは有性生殖を行う生き物であるから、単一の性だけでは生き残ることができない。しかもヒトはその生殖にあたって、単に生まれつきの本能に頼るのではなく、経験から学び相手を決定する。
 ヒトは母体の骨盤や産道に対し胎児の頭部が大きいなど妊娠や出産に非常な困難がある。従って、性分化によりオスに負担を転嫁する必要がある。また、ヒトは明確な発情間期に欠くために、中性的な生活を基軸にすることすらままならない。ヒトをイヌの様に扱うことは道徳的側面を差し置いても、なお現実的でないのである。


生殖権(リプロダクティブ権)についての問題 
 
生殖権は第一義的には、「子の出産に焦点を当てた権利である」と言われる。しかし有性生殖を行う生き物は、メスがどれほど望もうとも、オスの協力無くしては妊娠せず、オスもまた、メスの協力無くしては子を得ることはできないのである。 この点、例えばオスの生殖権を最大限に認めて強姦を許容するが如きは人間社会のあり方としては愚かである。我が国においては刑法第177条で強制性交等強制性交等を禁止しさらに罰則として「5年以上の有期懲役に処する」こととしているのみならず、わいせつな行為をした者も刑法第176条によって「6月以上10年以下の懲役に処する」ことになっている。なお、我が国の強姦罪等については、旧くは犯罪の主体は男性のみであるとされていたが、人間の行動の研究が進み、犯罪の主体は男女を問わないことが周知されるに至ったのである。
 いずれにせよ、ヒトの雌雄間の生殖における利害関係の調整は斯様にも困難であり、他方の権利を制限せざるを得ない状況も多々存在する。そして力に任せた暴力的な生殖行動を防ぐためには第三者の介入が必要になる。一方で第三者の介入が常態化すれば、それこそ生殖権の侵害を招く。
 そしてひとたび子を得たとして、その子が生殖に資するまで育てると云うことは、子が生存している状態を維持すれば足りるのではなく、子に適切な教育を施すことを要す。これこそ畜産業と家庭の本質的違いではないか。従ってヒトが家畜のように扱われる事態を避けるためにも、生殖権は「子の出産に焦点を当てた権利」としてではなく、子の教育を含めたより広い概念として理解されるべきなのである。このように生殖権を理解することにより、所謂「子の福祉」と親の生殖権が矛盾するやの如き誤解を幻滅させ、両者を一体のものとして保護することができるのである。
 そこで、このような生殖権と子の福祉を同時に保護するべき必然の発露として婚姻と家族をそれぞれ定義することで、生殖権や子供を適切な時季に適切な手段で保護することができるようになるわけである。付随して、家族という人間関係の境界は、時に暴力的な国家と個人との間を隔てる壁としても機能することに鑑み、民主主義を標榜する国家たるもの、これを無闇に破壊することのなきようにすることが求められる。
 世界人権宣言では「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」ことが謳われている。この宣言を採択した第3回国連総会では、ソ連をはじめとする共産国家などが採択に反対したが、紆余曲折を経て、ロシアの現行憲法は第38条で家族に対し国家的保障を与えている。また、ドイツの基本法も第6条で家族に対し、「国家秩序の特別の保護」を与えている。

婚姻の最低要件と様々な形 
 以上のように、生殖権と子の福祉を両立させる立場から、許容されうる家族の形が導き出される。第一に、親と子の関係が明確である必要がある。そのためには、離婚が安易に認められないこと、1人の女性に対して1人以下の割合で男性が割り当てられていることが求められる。第二に父母ともにそれぞれの果たす義務とその実行に必要な権限が定義されていることが必要である。
 このような要件を満たす婚姻は一夫一妻あるいは一夫多妻であり、夫婦間の協力が求められる。また家族という側面においては、父子関係の確立が求められ、婚姻の枠組みにおいて生殖が行われるべきである。これは我が国、ひいては人類の存続という公共の福祉のためである。このような生殖の形式は、多くの国で、明示的にあるいは暗黙のうちに自然権として認識されるものであり、例えば米国では2017年6月にペンス副大統領が「そして、アメリカで課題が拡大し、あまりにも多くの分裂が起きている今こそ、『フォーカス・オン・ザ・ファミリー』の優しい声、つまり皆さんの価値観、家族への支援は、かつてないほど重要なものなのであり、それが紛れもなく神の御心から湧き出るものであると私は信じています」と演説している。
https://www.presidency.ucsb.edu/documents/remarks-the-vice-president-the-focus-the-family-40th-anniversary-celebration-colorado
 このような一連の要件の範囲で、より詳細な家族観を定義できる宗教が存在する。例えばキリスト教の代表的な一派であるカトリックは、上乗せの規定として一夫一妻や離婚の禁止を定める。イスラーム教も同様に、一夫多妻を限定的に許容しつつ、妻の上限人数を4人以下に制限する上乗せ規定がある。また離婚を抑制的に容認するものの要件を設け、女性や子供が困窮しない制度になっている。
 また、我が国においては戸籍制度により、親子関係を特に尊属側に向けて確認し易い制度設計になっていることについては、一定の評価がなされるべきである。

小括
婚姻時に口頭あるいは書面で締結される具体的な契約内容は、宗教により左右されるため、家族法は公共の福祉と併せて宗教をも尊重する必要がある。冠婚葬祭の儀式と宗教は断ち切ることができないものであり、だからこそ自然権と密接な関連があることを指摘しておきたい。
 次に示す図はOpenAIが提供する、GPT-3.5系の対話型言語モデルであるChatGPTに離婚に関して問い、答えを改めて日本語で説明させたものである。

人類の作成した文書を読み込んで回答するAI(人工知能)が子供の精神状態に懸念を示すことからわかるように、日本の法制度で見落とされている視点も、人類の知見に存在しないのではない。この際、日本の司法関係者の不勉強こそが日本の子供達の不幸を招いている実態を改めて認識した上において、家族法制の見直しを行うべきである。
 以上を踏まえ、以下の通り「家族法制の見直しに関する中間試案」に意見を述べる。

(前注1)について
 「親権」は子に対する親の権利義務の総称であり、子から見れば親に義務を果たしてもらう権利があると同時に、親がその義務を果たすにあたって必要な権限のあることをも示唆する。また、「親権」は第三者に対する対抗力でもあるから、子供を社会から保護するものでもある。この用語の見直しを行うがごときは不適切である。

(前注2)について
 「虐待がある事案に適切に対応」の意味が不明瞭である。「虐待」、「適切に対応」の定義はそれぞれ何か、また「対応」するのは誰か、議論を尽くしてから改めて世論に諮るべきである。国家(行政や委託先などを含む)が、その国家権力を背景に家庭に踏み入るがごときは、緊急の場合を除き厳に慎むべきであり、法はこの点を明確にすべきである。

第1「親子関係に関する基本的な規律の整理」について


 子の最善の利益の確保と銘打っているが、「子の最善の利益」の定義が不十分である。親権者が親権者自身の判断において社会的責任に照らして、子の最善の利益を定義できるのかどうか議論をするべきである。親の裁量を制限するならば、子育ての結果に対して免責範囲を拡大するべきである。「親の権利義務や法的地位を表す適切な用語を検討すべきであるとの考え方」については、前述の通り不適切であり、却下されるべきである。また、子の不利益になる事項を明確に定義し、 「子の意見又は心情を把握しなければならない」範囲は未成年者でも容易に判断できると推定される事項に限定すべきである。
 次に、養育に関する規律ついて意見する。前述の通り、子供が養育を受けること自体は当然である一方で、養育する責務が最終的に誰に帰属するのかを明確にし、子供が養育を受けることを保障すべきである。単独親権制度では、子供の養育の義務は一義的に親権者にあるとも言い得るが、親権を複数人が共同で行使する場合、責任の所在が不明である。「父母は」ではなく、父母のいずれなのか判断できる規律が求められる。従って、「父母の扶養義務」という用語は慎むべきである。養育あるいは教育を受けるという、子の権利を保障する目的で、子に対する親権を共同で行使する必要があると特別に認められる場合はこれを許容するべきである。親権の共同行使は婚姻中であるか否かなど、親の都合に関わらず、子の権利の実現に必要な時に限られるべきである。
 成年に達した子に対する父母の扶養義務の程度については、注釈の案が最も適切であるが、乙案にも理由がある。


第2 「父母の離婚後等の親権者に関する規律の見直し」について


 父母双方を親権者とすることの可否は、前述の通り子の権利の実現に必要な時に限られるべきであることに照らして、父母の一方を親権者と定めることを離婚時に限定する規律は廃止するべきである。離婚の如何に依らず父母の一方を親権者と定めることを基本としつつ、子の利益の確保のために親権を共同で行使する必要があると認められる場合はこれを許容するべきである。子の権利である側面もある「親権」を、親の都合で勝手に変更される子供の立場に立って、親子関係の法的な安定に留意しつつ慎重な議論を求める。人権はいたずらにばら撒いたり剥奪されて良いものではないのである。
 親権者の選択の要件として甲①案と甲②案が提示された。両案ともに「父母の離婚の場合においては」の文言を削除するべきである。その上であれば、甲②案を支持する。なお、注釈に甲③案が提示されているが、これでは手続きが煩雑になり公正さを担保できない。
 続いて、「監護者の定めの要否」について意見する。A、B両案ともに「監護者」の文言を廃し、「監護権者」ならびに「監護責任者」に適宜置き換えるべきである。また、「離婚後に」の文言は削除すること。監護については子の利益を確保することに直結することから、監護の第一義的あるいは最終的な責任の担い手が判然としない事態を回避するよう努めるべきである。A案では対応しきれない事件が多発するのは明らかであるから、B案を基に基準を明確にした上で議論を尽くしてから改めて世論に諮るべきである。
 「監護者が指定されている場合の親権行使」の項目においても、「離婚後の」との文言が繰り返されている。「離婚後」かどうかで子の権利に変更があることは、保護を受けるべき権利を持つ子供の立場から見て有害であるから削除するべきである。
 「離婚後の父母の双方を親権者と定め、父母の一方を監護者と定めたときの親権」については独特の不安定性を生ずることに鑑み、次の通り意見する。
 子の利益を確保するために親権を共有して行うと決めた以上は、親権者らは事前の協議に基づいて親権を行うべきである。親権を共同して行う場合は、少なくとも2人の個人がそれぞれの気まぐれな時機において、一方の判断で行使することができるが、このような規律は採用するべきではない。親権の共有が相応しくない事態になった場合は延滞なく単独の親権者を定めた上で、単独で親権を行使するべきである。
 「子の居所指定又は変更に関する親権者の関与」については、「離婚後に」の文言は削除するべきである。婚姻中であっても2人以上の親権者がいるときは、そのうちの1人が一方的に子の居所の指定又は変更に関する決定を行うことがあってはならないからである。
 「認知の場合の規律」について意見する。甲案は婚姻制度の根幹を危うくするものであり、社会制度の観点から却って子が父母のもとで育つことを阻害するから却下されるべきである。乙案からさらに踏み込んで、「裁判所は、母の認知請求により裁判を行い、父に認知させたときには、父が親権を行うと定めなければならない」との規律も新設すべきである。

第3 「父母の離婚後の子の監護に関する事項の定め等に関する規律の見直し」について


 「離婚時の情報提供に関する規律」について、提示されている甲案は、言い換えるならば「子の最善の利益の何たるやを理解している者のみに離婚を許容する規律」であるように見受けられる。良案であり、これを採用するべきである。
 「父母の協議離婚の際の定め」のうち、「子の監護について必要な事項の定めの促進」の項目で甲①案、甲②案、ならびに乙案が提示されている。それぞれに意見する。
 甲①案については「子の監護に要する費用」の負担は親権者によることを合意することも要件に含めるべきである。この時、父母双方の合意を前提に父母双方を親権者にすることも、厳正なる司法審査の上においてならば許容されて良い。
 一方で、離婚の手続きに弁護士を関与させることについては、葛藤の惹起を防止するために可能な限り抑制的であるべきであるから、甲②案は却下されるべきである。
 乙案は、「現行民法の規律を維持」をいうのであるが、現行民法の規律は特に離婚後の親権者の養育義務が不明瞭である。この点は改めるべきである。
 「養育費に関する定めの実効性向上」についてア、イの方策はいずれも親権者の養育義務に照らして不適切であるから却下されるべきである。また、「離婚の時から一定の期間にわたり、法定された一定額の養育費支払請求権が発生する」ような「法定養育費制度の新設」が検討されているようであるが、単独親権下においては、「養育費支払請求権」が如きは存在しない旨、法律によって新たに明記すべきである。
 「離婚等以外の場面における監護者等の定め」について、「家庭裁判所は、父又は母の申立てにより、当該事項を定めることができる」とする案が提示されているが、「当該事項を定めることができる」の文言は削除し、「共同して子の監護を行うことを命じなければならない」に置き換えるべきである。子の利益を確保するため、結果を予測できない表現は可能な限り避けるべきである。
 「家庭裁判所が定める場合の考慮要素」について「監護者」と「親子交流」について記載がある。監護権者であるための考慮要素は単に「実の親であること」とすべきである。むしろ「実の親である」とは何かを定義することに注力するべきであろう。一方で「監護責任者はすなわち親権者である」とすべきである。また、「父母と子との交流」は「する」と定めること。その範囲内において「その実現を促進するための事項を附帯して定めることができる」としても良い。
 なお、駐日欧州連合代表部は「欧州議会は、EUの戦略的パートナーの一つである日本が、子の連れ去りに関する国際的なルールを遵守していないように見受けられることを遺憾としている」と発表している。

次々と親子を断絶して厭わない現行の規律や慣習は、まさに国辱であるから、速やかに見直すべき旨、ここに強く申し述べる。
 現行の日本の制度において実子誘拐とは、一方の親が子の人格を単なる手段として利用するものであり、その行為によって期待される効果は、一方の親が他方の親の人格を単なる手段として利用できるようにすることである。子供を誘拐するという行為は、行為者、時期、あるいは場所を問わずに普遍的に認められるような行為ではない。実子誘拐においては行為者に特権を認めるべきであるとの主張により正当化されるものであるが、この特権の根拠は単に現行の民法を参照しただけでは説明できない。実子誘拐が発生した時に、被害親が実力の行使によって原状回復を図ろうとする行為は連れ戻しと呼ばれるのであるが、このような行為が違法と考えられていることは判例からも明らかである。親権そのものが実子誘拐を正当化するものではなく、他の複数の法律との兼ね合いで合法化されることは、議論の上で再確認されるべきである。特に共同親権に係る議論においては、親権の効力が及ぶ範囲や状況を誤解させる、あるいは誤導する言論が目立つ。推進派からは共同親権によって、世界的に批判される実子誘拐の問題が解決するかのような誤導が絶えないし、反対派からは別居親の親権が、同居親や子供の生活が脅かされるかのような主張が繰り返されている。このような主張は国民を一層混乱させるものであるだけでなく、社会問題の解決にもならない。一方で親権制度に関する誤解が蔓延するのは、日本の家族法制が包括的かつ一体的な独立した法として存在していないからである可能性もある。家族に関する一連の規律は民法の一部ではなく、家族法として再編することも検討されるべきである。


第4「親以外の第三者による子の監護及び交流に関する規律の新設」について


 「親以外の第三者」による「監護」は、保育園等における虐待や過失による死亡事例が多発していることを踏まえ、厳格に制限する規律を設けるべきである。親以外の第三者であっても「親族のうち尊属による監護」は、認めても良い。また、親以外の第三者と子との交流は、原則として親の帯同を要件とするべきである。


第5 「子の監護に関する事項についての手続に関する規律の見直し」について


 「当事者は、家庭裁判所又は行政庁が把握した住所の記載された記録を閲覧することができないとの規律を設けるべきであるとの考え方がある」との注釈があるが全く論外である。司法や行政の当局が親子断絶の共犯者になるようなことは国のあり方として、あってはならないことである。
 注3からは、公示送達に関する懸念が生じていると読み取れる。前述の通り、子が行方不明になることを防ぐため子の住居地秘匿は認めてはならない。すると必然的に、本来は同居親の住所は住民票の通りであると推定することになり、万が一相違する場合の責は同居親に帰す。したがって公示送達を認めることに支障はない。
 「収入に関する情報の開示義務に関する規律」について、「実体法上の規律」には「自己の収入に関する情報を提供しない時は子の養育をするにあたって適格な収入がないものとみなす」と追記するべきである。また、「手続法上の規律」には次の通り追記するべきである。

家庭裁判所は次の決定をしてはならない。
1 子の養育をするにあたって適格な収入がない者に単独の親権を付与すること。
2 婚姻費用を分担させることによって、同居義務を回避する目的を達成せしめること。

「親子交流に関する裁判手続の見直し」について、「調停成立前や審判の前の段階の手続」の案として示された2案はいずれも不適切である。代替案として、次の規律を提案する。
「同居親が離婚を申し立てようとするとき、現に別居親と子が親子交流をすることが可能であることが立証されない場合は家庭裁判所はその申し立てを却下しなければならない。」
「成立した調停又は審判の実現に関する手続等」も次の通り簡略化するべきである。「親子交流を妨害した親の親権は停止する。」
 また、提案されている「養育費、婚姻費用の分担及び扶養義務に係る金銭債権についての民事執行に係る規律」は不適切である。第一に、非親権者にあっては、養育費は義務でないことを明記するべきである。第二に、婚姻費用の分担及び扶養は、同居義務の履行を前提とし、同居義務が履行されないときは婚姻費用の分担及び扶養は義務ではないことを明記するべきである。
 「家庭裁判所の手続に関するその他の規律の見直し」において「子の監護に関する家事事件等において、濫用的な申立てを簡易に却下する仕組み」が検討されているが、子の監護に関する家事事件等において、濫用的な申立てが存在するという考え方は法律で明確に否定するべきである。併せて、親同士の諍いは親子交流の妨害を正当化する理由にならない旨、現行法の規律の見直しが必要である。


第6 「養子制度に関する規律の見直し」について


 養子制度は、抜本的な見直しが期待される。この際、養子制度は全面撤廃を求める。子を譲渡したり、売買することは民法上の正当化材料を除去するだけでなく、刑事罰を以って抑制すべきことである。背景としては、子供は親の私有財産ではなく、家族という社会的構造体を通じて親と自己同一性を共有する人間であることが挙げられる。

第7 「財産分与制度に関する規律の見直し」ついて


 財産分与は当事者間の合意に基づき、任意で行うことを容認する税制上の規律に留めるべきである。残りの雑多な制度は、この際廃止とすべきである。


第8 「その他所要の措置」について


 戸籍制度は国民の国に対する権利を証明するものの根源であるから、国家の暴走を防ぎ国民の人権を確保するために当面は改変すべきでない。一方で、家族を構成するに必要な権利義務罰則その他の規定は、確かに民法にのみ定められているものではない。今後、刑法や「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律」も含め、必要な改正を議論するべきである。なお、家族や親子関係についての規律は、民法とは別けて「家族法」として整備し、物権や債権と家族によって社会から守られることが異なることを明瞭にするよう提唱する。


おわりに


〜 法制審議会家族法制部会の委員の身分に対する意見 〜
 
 児童虐待・DV対策等を口実に家族の破壊が正当化されるような事態が許されないことは言うまでもないが、最近の世情を見るに問題は家族の破壊だけに留まらず、いわゆる「政治とカネ」の問題にも発展しているようである。
 厚生労働省が平成30年度に都道府県主体でモデル事業を始め、令和3年度から本格実施している「若年被害女性等支援事業」が公金の使途に係る問題で非難を浴びていることは報道各社の記事にある通りである。「若年被害女性等支援事業」が「児童虐待・DV対策等総合支援事業」の一環として行われてきたことに鑑み、これ以上に児童虐待・DV対策等を口実にして公金の私物化が行われることのないよう、細心の注意を要するところである。
 厚生労働省が平成27年度に「ひとり親家庭への支援施策の在り方に関する専門委員会」ということで諮問していた委員会では、関連事業に携わる立場でありながら「予算費用を上げて、使いやすくなったらいい」、「母子生活支援施設あるいは子供の居場所があるというのはとても大切」などと発言した者が居た。法制審議会家族法制部会にあっては公金の使い道に不正を誘発するようなことがあってはならない。
 しかるに、法制審議会家族法制部会の委員について、公金から補助金を得て特定の立場の者を支援する民間団体の関係者が名を連ねている。これら関係者は利益が相反する者として、委員から排除するべきである。


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