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喝采 母の日に思うこと

今日は明日納品するクラフトの制作に追われ、娘のダンスのショーの付き添いを彼女の父親に頼みました。
私のデスクからサンセットに照らされた、港と橋が見えます。
太陽が沈むのは見えないのだけれど、港一面が、向こう岸がオレンジに染まるこの時間帯が大好きです。
あれ??でも私は森のキノコです(笑)←たまに港のキノコです。

お昼前に友達が突下に来てるから出てきて~と突然テキストをよこしました。アパートメントのエントランスに行くと、小さなランチバッグ(茶色の小袋)を差し出して「母の日のギフト!お疲れ様」と。
えーーーーーー???
すっかり忘れていた。
彼女はいつも何か作って届けてくれる。週末はバタバタの私を覚えていてくれて、早めに届けてくれるのだ。
ちなみに、お返しは私はお花(←料理嫌い・・・笑)

彼女がくれた手作りのスイーツとお茶を飲みながら、仕事の手を止めてオレンジの港を見て、ふと涙が出てきた。
きっとザ更年期。
急に母が恋しくなった。

私の母は強い女だ。
小さいころ、私は母は女子プロのレスラーだと信じていたほど(笑)
とはいえ、彼女が体を張って戦っていたところを見たことはないのだけれど・・・。
そして、全力で一秒も無駄にせず生きている人だ。
最近は、いや震災以来、少し弱くなってきたけれど、80がすぐそこだから少しスローダウンしているけれど・・・。でも口は相変わらずだ。笑

母のことを思い出すと、いつも思い出すのは、歌を歌っていたということだ。母親を知らずに育ち、妹たち世話を物心ついたころからしていた人だ。
小さい頃は、お母さんらしくなくて、友達の優しくてお菓子作りもしちゃうようなお母さんに憧れたものだけど、大人になって思うのは、母親というモデルのいない中で、手探りの子育ては、必死だっただろうなあと今は思えるのだ。
いわゆる毒親系!?な感じの母ではあるけれど、私は大好きだ。
「なんでお母さんは、自分の子供の自慢しないの!」と子供の話を人にはせずに自分の興味のあることだけの話を友達や親せきとしている母にある時聞いたことがあり、その答えは「だって、何にも自慢することないんだもーん!」と言われたけれど、大好きだ(爆笑)
必ずお弁当を作ってくれて、どんなことがあっても朝は必ず起きて朝食を作ってくれ、転校が多かった兄たちに問題が起きるとすっ飛んで行って問題解決に向かっていく人だった。今だと迷惑がられるのかもしれないけれど、でもみんな最後は笑顔で解決となっていた。
人は伝えればわかる。とにかく話し合う、会話をする、そんなことを大事にする人だった。そして今もそれを彼女は実行している。

そんな母がよく歌っていたのが、ちあきなおみの「喝采」だ。
小さいころから私は、電気のコードをマイクにして、「喝采」を歌っていた。
小さい頃は何も意味も分からず歌っていたけれど、4歳くらいの子供がこんな重たい歌を歌っていたなんてーー!と大人になってから、思ったものだ。

夕日が沈む感じが、なんとなく、喝采の出だしの感じにあっている。
だからか、思い出したのか。
今朝、母と電話で話したのに、また話したくなった。
一緒に喝采を歌って、そしてテレサテンの「つぐない」と「時の流れに身をまかせ」を歌い。最後に、小林旭の「オロロン慕情」で締めたい。
母に会いたいなあ。
夕焼けが無性にそんな思いに駆り立てられる。
5080問題に引っかかる年齢に、お互いなってしまったけど、
6090問題に一緒に元気に突入したいな。
でも70100問題は一緒に三途の川を一緒に渡りたいものだ。

クスリを必要とせず、ラジオ体操を欠かさず、朝の緑茶から始まる彼女のシンプルライフ。母として、娘にとってのおばあちゃんとして、そして日本人として私は彼女を尊敬します。
そして大好きです。
世界中のお母さんが笑顔になる母の日になりますように。
素敵な母の日の週末をお過ごしください。

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