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地元志向のボクが、地元に帰ってきて感じること

それは、それぞれの価値観の話で、

でも、振り返ってみるといつか地元に帰ってきたい、と話していたなぁ。

いろんな所に住めるのは住めるで、とても楽しかった。

新しい発見や新しい味や新しい人間関係に、うきうきしたり、

いわば観光気分で、その土地に住まわせていただく幸せを感じていた。


私は、子供が生まれたタイミングで、地元に帰ってきた。

それは「ひょんなことから」という表現がしっくりくるのか、

「前から決められていたみたいに」という表現のほうがぴったりするのか。


それまでは、転勤転勤と言い渡され、

都合のいいように、というか、会社の思惑通りに、

私は辞令を受け取っては、送別会を開いてもらい、花束やプレゼントをもらい、

引っ越しをしなければならないときは引っ越しをして、

生きる場所を変えた。


短い時は、1ヶ月で転勤、なんてこともあった。なつかしい。

働くことは好きで、人のためになることが好きで、

仕事は仕事、と割り切れないタイプなので、

仕事でできた縁を、かけがえのないものだととらえて、

たくさん時間や労力をかけたくて、同僚や上司、後輩や部下に

関わってきた。

なぁんて、自負している。


かといって、地元にずっといたら「帰ってきたい」という思いすら湧き起らなかったでしょうから、

これは、前から決められていたかのように、

長男が、この世に産声を響かせたあの瞬間、

まさに私が、引越作業の真っ最中から、地元に引き寄せられていた。


その夜、暗い病棟の中で、長男を抱きしめた時のぬくもり。

何とも落ち着く、不思議な瞬間であった。


地元で家族の近くに暮らし、

数年前に実家を増改築し、そこで暮らしています。二世帯住宅。


仕事場も県内が多いので(県外に行っても、クルマ通勤圏内)、

ありがたく、地元中心に仕事をさせてもらっていました。

(2020年4月まで)


2020年5月からは、というと、もっぱら在宅勤務。

家族と一体化した仕事場に戸惑い、この中でできること、

この範囲でできること、やっていきたいことを整理してはとりかかり、

思いついては頓挫し、そんな繰り返しでした。


動きづらい世の中にはなったものの、その中で生かされていると、

やっぱり、地元が好きだなぁ。

今は、そんなことを思っています。


また「ひょんなことから」「前から決まっていたかのように」

何かが動き出すかもしれませんが、

それは、その時。


今は、今をせいいっぱい生きていく。

今をせいいっぱい生きられる幸せに感謝。



それでは、また。

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