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明日は明日の風が吹く、っていうけど、ところで今日はどんな風?

「新しい風を吹かせたいと思います。」

入社や異動後のスピーチでよく聞くこの言葉。某コーヒーメーカーのCMでも、「新しい風が吹いた」なんて言っています。

目に見えなくて、肌で感じるものだから、あまり存在感を覚えないですが、

風って吹いているんですよね。


ふと立ち止まって見て、

今年、2020年という年は、新しい風が吹いた年ではなかろうか。


私も、年を重ねてきて、こんなにも風の変化を感じたことは、

初めてと言っても過言ではない。


マスクが必須となり、

感染者数のニュースが跡を絶たず、

今まで気にせずに行えていたことが、行えない環境となり、

仕事を失う人も、次から次へと増えていき、

相手に対する誹謗中傷も表沙汰になることが増え、

家から出ることさえはばかられ、

「飲みに行こう」がぱったりとなくなり、

テイクアウトのお店を検索することが増え、

相手との距離をはかり、親しい友人に触れることさえ許されず、

歌えず、大きな声は出せず、

いつもしづかにわらっている。

たまに外に出れば、お店に入るタイミングで体温を測られ、

消毒液を目にすれば、シュッシュっとやり、手にもみこみ、

夕方に感染者数のことを口にし、気をつけなきゃねと心を引き締め、

仕事はいつまでこの状態なのかと、不安に襲われ、

病院で働く人に敬意を払い、どうしても人と会わなきゃならない人の葛藤を知り、

連絡をにしよう、なんて言葉を発することに耳を疑われ、

焼肉行こうか、という約束は半年以上頓挫のままで、

花火は5分で終わるサプライズ花火、あ、写真撮れなかったよ…泣

思えば、こんな年はなかった。


あなたは、この風が、何色に見えますか?


毎年、よくないことは起きる。心に影響を与える。

それはそれで、心に耐性を作り、自分の受け止め方を決める。

毎朝、暗いニュースを流すテレビ局は、視聴率を上げようと、

目を引く見出しで私たちを引き付けようとする。

テレビのニュースなんか見ない、とテレビを封印しても、

スマホのポップアップニュースに、死亡や事故の文字が飛び込んでくる。


それでも、どうにかして生きている。

それでも、どうにかして歩こうとしている。


家族に患者がいらっしゃる方がいる。

親が患者になってしまい、自分だけが家で生活している中高生もいる。

もはや針の筵(むしろ)を歩いている状態だそうだ。

それでも、必死で生きている。

それでも、懸命に歩いている。


私の趣味である合唱は、今年、演奏会が軒並み中止で、

高校のOB合唱団も中止、大学の合唱団も演奏会の決定という判断をしていない。

しかしながら、

昨日、ある演奏会を見た。同級生のFACEBOOKで告知があり、

その演奏会は「YOUTUBEで見れるよ」とのこと。


同級生の長女は、私が2年前に、少し勉強を教えたことがある。

ほんの少し、だけだが。

「先生」と呼ばれた回数は少なかったけれど、

それでも、先生と生徒の関係になった彼女の晴れ姿を、

動画を通して見ることができた。

ミュージカルの主役として、懸命に表現し、からだ全体で歌っていた。

透明なマウスシールドをして、時々それが曇りながら、

ただただまっすぐに演じている姿に、心動かされた。

練習の成果を見ているからなのか、この状況の中、果敢にも、芸術を世の中に見せようとしていることから、なのか、

途中からはわからなくなったが、

実際に会場で聴いているかのような錯覚に陥った瞬間もあるくらい、惹き込まれた。


今日の風は、どんな色?

そして、明日の風は、どんな色?


自分では、決められないことも多い世の中で、

気持ちが沈みがちなこともある。


でも、その状況を打破して頑張ろうとしている人がいる。

自分も、そうでありたい。

勇気づけられることも、多々起こる。

そして、誰かを勇気づけられる、そんな存在でありたい。


明日は明日の風が吹く。

英語で言うと「Tomorrow is another day.」だ。

まったく別の明日がやってくると信じて、今日も呼吸をして、歩きたいように歩く。


よく考えたら、新しい風を吹かせる、って大それたことだ。

新しい風を吹かせる、って言ったって、毎日吹かせられるものでもない。

でも、吹かせる瞬間をうかがっていたい、とも思う。


どんな風が吹こうとも、前に進んでいる自分でありたい。

どんなに灰色の風だって、次の日には澄んだ風が吹いて、思い切り深呼吸できることを願って…。


それでは、また。

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