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横浜外国人墓地に建つ白亜のマリア像

 次男の死にショックを受け、もう二度と子供は作らないと誓い、不妊手術を受けた。このときの彼には、ほかにつぐなうべき方法を思いつかなかったのだ。
 新たに親となる資格など、自分にはない。克彦の心に突き刺さった悔いの痛みは、その後も四半世紀にわたり、決して晴れることはなかった。
 やがて長男に初孫のカツヤが生まれた。その赤ん坊の顔を見たとき、あの子の生まれ変わりだと、克彦は直感した。夢にまで見たあの子が、そこにいる。元気でとても幸せそうに、にこにこと彼に笑いかけてきた。嬉しくて涙がこぼれた。
 克彦はこの子に余生のすべてを捧げようと思った。孫ではあるが、彼にとって、この子は進次郎そのものなのである。
談合の内幕を描いたデビュー作のペンネームは、諏訪地方で生まれたカツヤへの想いを込めつつ、一文字だけ変えてつけたものだ。半年後に、カツヤが全身のかぶれと発疹で泣いたとき、彼はさっそく山中湖へ出かけ、涼しい木陰の下で一日中抱いてあやしていた。

 そんな目に入れても痛くない孫が半年ぶりにやって来るのだから、真中がなにかと計画し、興奮してハシャいだのも無理はない。彼の好きな野球見物はまっさきに予定に入れていた。
「カツヤ、今年もオリックス戦のチケットを用意してあるぞ」
「ゴメン。俺、できれば横浜ベイスターズ戦が見たいんだ」
 意外だった。カツヤは自分と同じオリックスのフアンだと、真中は思い込んでいたからだ。調べると、八月はじめの週末に横浜スタジアムでナイターがあることがわかった。今からでも間に合うかなと、あわててチケットを手配した。小学校にあがる前から、毎年必ずプロ野球観戦に連れて行っていたが、カツヤが横浜スタジアムで野球を見たいと言い出したのは初めてだった。
 ナイター当日、横浜にあるほかの観光スポットも回ろうと、早めに出かけた。カツヤがぜひ見たいという元町をふたりしてそぞろ歩く。裏道に入って山手に足を伸ばし、外国人墓地にたどり着いた。
  この時期、外国人墓地は金、土、日の昼間に限って、有料で開放されている。神仏を信じない真中は、めったにこのような場所には足を踏み入れない。だが、このときだけはなぜかすんなり入場できた。
 墓地内をカツヤと右手に向かって進む。見上げると、折しも真夏の午後の太陽を背後から浴びた白亜のマリアが、まばゆく逆光の中に浮かびあがった。横浜開港当時から数年前まで、ある学校に置かれていた白亜の聖母マリア像である。
 その瞬間、真中はまた不思議な震えを覚えた。名古屋で不思議のメダイに遭遇したときに感じた、あの奇妙な震えだった。
 マリアだ。今度はなんだ。
 カツヤに動揺を悟られないようにして墓地を出た。前の通りを横切ると、百メートルほど先の庭園内に、ひっそりと佇む、目立たない木造建築の山手資料館が見えた。普段なら、おそらく気づかずに通りすぎていただろう。このときはやはり躊躇なく入館できた。
 資料館にはめぼしい展示品がほとんど見当たらない。一階を見終え、二階に上がっても、昔の横浜のつまらない写真や紹介文ばかりで、興味を引くようなものは皆無だった。真中は開港当時の古びた写真を眺め、帰りがけになって、一枚の絵を前にして足が止まった。
 聖母マリアが両腕に幼いイエスを抱き、こちらをじっと見つめている。
 十八世紀に流行したよくある「聖母子像画」だった。無名の画家による作品で、どこかの教会に掛かっていた絵を捨てるのは惜しいと展示したらしい。ごく平凡などちらかというと駄作の部類に入る。だが、ここで真中は再び、あの震えるような悪寒を覚えた。
 これが真実のマリアの姿なのだと、真中は感じた。

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