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「関わる」ことを恐れずに

先日書いたこの記事。

いろんな人と関わることが、間違ってはいなかったんだと思えた今日の研修でした。

ただいま、中堅の人が受ける研修真っ只中です。
いろいろ学びが多すぎて言葉にできませんが、

地域が子どもたちを育てるという概念がなくなり、共働きや核家族の家庭が増えて家でも関わりが減り、情報化が進んでネット上のコミュニケーションがメインになり、追い討ちをかけるようにやってきたコロナ禍。

人と関わることが面倒で怖いという子どもたちや、そんな子ども時代を経てきた若者たちが多いらしいです。

関わる経験が少なかったので、ガラスのハート状態。ちょっとした誤解や行き違いで、心が砕けてしまいまいます。

傷ついてしまうので、いじめの件数が増加しています。関わりを避けたいので、不登校が増えています(もちろん要因は様々ですが...)。


今日の研修で、週に1度ほど、生徒達が10分間トークをするという、意図的に関わる時間を設けることで、学校全体の生徒指導的問題がなくなったという事例がありました。

自分のことを話すこと。相手の話を聞くこと。相手のことを理解しようとすれば、自然に自分への理解が深まります。それは面白くて楽しいことであることがわかりました。


すでに私の学級では朝礼で、当番が3文スピーチというものをやっていますが、あまり普段は目立たない生徒が意外な趣味について話したり、笑いが起きたりして、あたたかい時間が流れているような気がします。

子どもたちに聞いたら、エンカウンターなどで、ペアやグループでテーマに沿った話をするのは面白いといいます。

道徳では自分が思いもしなかった友達の考えを沢山聞けるから楽しいと言っています。

社会科でも、現状解決が困難な課題に対してのアイデアを自分で考えたり、友達から考えを聞くのが楽しいといいます。

社会的に「関わり」が少なくなってしまったこの世の中だからこそ、学校でだけでも、とことん関わりの場を提供することが大切だと分かりました。


しかしながら、大人になると学校よりは関わることができる相手が絞られてしまい、合う合わないで関わりがより難しいものになっている気がします。

私は特に、人と深く関わることが苦手です。友人関係は昔から広く浅いです。
親友と呼べる人も、昔はいましたが今はおそらくいません。

他人に対してめったに心を開くことができません。相手のことを深く知り、自分のことも知ってもらうと、最終的には、自分のことを何でも分かってくれるだろうと、互いに我儘に振る舞ってしまうような気がします。

その我儘の積み重ねで、関係性が壊れた時、本当に立ち直ることができないほど傷ついてしまいます。

だから、今は誰かと深い関わりを持つことが怖くてたまりません。深い関わりをもてば、それだけ傷も深くなります。


なぜ、学校で、自分のことを沢山話し、相手のことを多く知る、深いつながりを作ることが求められているのか。表面的に楽しく仲良く関わればいいのではないかと思ってしまいます。


今の学生さんたちも、コロナ禍で授業が、サークルさえもオンラインで完結した経験もあり、
「関わりが面倒だ」
「傷つくなら関わりたくない」
と言っているそうです。

その言葉に対し、今日の講師の先生が言ったのが、

「たとえ面倒でも、傷つく可能性があっても、
関わりは、人の心を癒してくれる。
関わりは、人を成長させてくれる。」


ということでした。
自分自身は人見知りで、できれば人と深く関わりたくないと思っていますが、
一方で教師という「関わり」のプロである以上、
子どもたちが安心して関われる場を提供しなければいけないし、自分自身勇気をだし、関わることを恐れてはいけないと感じました。


特定の人と関係を深めるのが怖いのなら、多くの人との関係を一歩ずつ深めていくのもよいかもしれません。そこから、何か新しい気づきや発見があるかもしれません。

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