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能登復興支援と憲法

 昨日は憲法記念日でした。
 憲法記念日には恒例(当然)として改憲派、護憲派双方の意見がイベントやテレビで披露され討議が行われます。
 大筋の論調は政権側(改憲派)から安全保障の観点で9条の改定と、緊急事態対応の観点から緊急事態条項の盛り込みのため改憲が必要という意見が出され、それに平和主義(不戦主義)の観点と個人的人権確保の観点から護憲派(表現として主張される方々の真意とは少し違うかもしれませんが便宜上)から反対意見が出されるといった構図になります。
 昨日のテレビでの討論もベースは変わりませんでしたが、昨今の政治不信によって世論調査で改憲を不要と考える方がかなりの差で多数派となったこと。政権側の改憲の動きに底の浅さが感じられる風潮もあって、以前より改憲派が攻める展開ではない感じが強いと思いました。
 その中で能登地震の復興支援の実態を踏まえて、25条で保障されている生存権が確保されていない状況(震災後4か月経っても水、食糧、トイレ等の確保が困難である状況が政府の支援不足により継続してしまっている。)を放置している政府が今憲法改正を進める大義や緊急性はないという主張が出されましたが、従来の議論にない新しい角度からの意見だと思いました。
 世界情勢が緊迫度を増している中、安全保障も新しい対応が必要なのは理解しますが、安全保障の究極の目的は日本を含めた世界平和にあるわけで、軍事力よりも外交が優先することを再認識しなければなりませんし、現在のような政治不信の状況で政府の権限を徒に高めるような動きは理解、容認されにくいと思います。
 能登の復興も現地に行かれた方の情報によるとかなり遅れたまま放置されていて、被災された方の日々の苦悩が継続しているとのこと。
 東日本大地震よりは被災エリアの規模は小さいものの、支援体制の不備による困窮度は匹敵するか上回るレベルとのことです。
 私事ですが、小学生の頃家族旅行で能登半島を訪ね、輪島の朝市や輪島塗、御陣乗太鼓等に触れて大変感銘を受けましたので、現地には行けていませんが、能登の復興が遅れている現状を生々しく痛ましく感じております。
 やはりここでも感じるのが、新自由主義の進行による切り捨ての現象です。困っている方たちを社会全体で優先的に支援する。そういう社会にしないとすべての国民が切り捨てられることになってしまうと懸念します。
 これは不登校支援共同じことであると思います。

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