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空気が読めます!

 先日ある集まりで元教師の方とお話しする機会がありました。
 その方は退職後も短期(有期雇用)で教えられていたそうで、集まりは不登校や学校の問題について情報交換する場であったのですが、ある小学校で2年生を受け持つことになり、学校側から勉強が出来る子が多い優秀なクラスと事前説明されたとのこと。
 初めて教室で児童と対面した際「このクラスのいいところを教えてください。」と聞いたところ、ある女子が元気に手を上げて「空気を読める子が多いことです。」と答えたと言います。
 これには協調性が最優先されている教室の雰囲気を生々しく感じましたし、より心配になるのは子どもたちがそれを肯定的に受け入れていること。更にはその環境に違和感を感じず包摂されていることです。
 このことは自分の考えや存在が少数派である場合に意思表示や改善を求めることを排除することに繋がります。
 学校のクラスにおいてはそのほうが先生も、主流の児童も効率的で過ごしやすいのでしょうが、協調性が高い人間が優れている。優秀である。社会にとって有益である。という考え方はそもそも間違いである(現状の前提、ヒエラルキーを全面肯定して本来の社会、組織の目的である構成員すべての幸福の実現から離反してしまう。)と思いますし、子どもながらにその考えの根底には「自分はうまく適合して勝ち組になる。」という自信があるのでしょうが、社会においてはすべてにおいて勝ち組、多数派・主流派になれることは稀であることを認知する必要がありますし、例え勝ち組になったとしても、切り捨てや格差が存在すれば安心、安全で満足出来る環境を継続させるのは難しいでしょう。
 このような学校環境ではそこに違和感を感じる、みんなや常識とされていることと違う意見を持つ児童(多数派ではないが、少なからず存在するはず)にとっては過ごしづらいと感じますし、それが不登校の要因になっているのは間違いないと思います。
 集まりの場でも「うちの子協調性ないから辛いんだよな。」という声がありましたが、少数派の意見を持ち、それを発信することが悪いことではなくむしろ重要なこと。多様な意見を尊重して慮ることが社会のために有益なこと。誰しも少数派になり得ること。を学校教育の場で共有して欲しいと痛感しました。
 不登校生の親としては、我が子が社会適応性が高くあればと望む切実な気持ちも正直あるかと思いますが、社会として、またその基盤となる子育ての中で多様性を重視した認識が拡がることを切に望みますし、その啓蒙や働きかけをしていきたいと思います。

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